箱庭ロマンス | ナノ


 読書は好きだけど、どうにもジッとしていることは昔から苦手である。どちらかと言うと裁縫よりは駆けっこの方が得意だったりする。だからだろうか。幼い頃から、落ち着きが無いとかもっとお姫様らしくしていなさいだとか、幾度となく言われてきた。
 そんな私も、年頃の女の子らしくお華やお琴なんかを習うことになった。これも花嫁修行の一貫で、私一人の為にその世界じゃ有名な御仁を先生に雇ってしまうのだから、赤司財閥様々だなぁと吃驚するやら感心するやら。
 父曰わく、跳ねっ返り。母曰わく、お転婆。そう揶揄されることも屡々あるけれど、お華だってお琴だって、私でもやれば出来るのだ。やってみると案外奥が深いし、楽しいし、新しいことへの挑戦は期待に胸を膨らませてしまう。こういう所はちゃんと女の子らしいでしょう? と人知れず胸を張ってみる。
 それでもやっぱり、だ。外の美味しい空気を目一杯吸って、ブラブラ散歩する方が性に合ってるのかなと思ってしまう時がある。

 少しはしたないけれど、誰も居ないのをいいことにグッと伸びをして凝り固まった体を解す。小一時間正座をしていた所為で先程まで使い物にならなかった足も、今やすっかり普段の調子を取り戻し、フワフワとした足取りで庭園へと向かう。
 まるで一つの絵画のようだと、ここを訪れる度に惚れ惚れと思う。見事に手入れされた庭には四季折々の花が植えられ、年中退屈させることは無いのだろう。自然をそのままくり抜いたように立ち並ぶ木々達は赤司財閥の幾末を映し出すかのように青々と生命力に満ちている。
 のんびり、のんびりと。花の一輪一輪を、木の一本一本をじっくりと観察するように歩みを進めていると、木立の隅に群になって咲き誇る白詰草を見つけた。

「……こんな所にも咲いているのね」

 白詰草の咲いている場所だけ、他の花々と違い誰にも手を加えられていない、自然そのままの姿で残されていた。不思議に思いしゃがみ込み、ソッと触れる。一本だけ摘み取ると、気付いたら手は勝手に動き出していた。
 完成したそれを右手の薬指に嵌める。あっという間に、控えめながらも真っ白に輝きを放つ指輪へと早変わりだ。

「懐かしいなぁ」

 右手を太陽に翳してしげしげと眺めていると、不意に思い出したのは朧気で歪で虫が食い散らかしたように幾つもの穴の開いた記憶。
 何でこんなことを今思い出すかなぁ。つい数分前まではとんと忘れていたことなのに。苦笑いを浮かべたその直後だった。

「可愛らしいですね」
「! ……く、黒子さん」

 突然、頭上から降ってきた声に過剰なまでに反応してしまった。ゆるゆると首だけ持ち上げると、私の目線に合わせて腰を折ってくれている黒子さんがニコリと微笑んだ。
 神出鬼没。征十郎さんも気付いたら傍に居るけれど、黒子さんもその比じゃない。いや、黒子さんの方がその頻度が多い。そう感じるのは多分、私が黒子さんの存在を素早く認識出来ていないのと、彼の影が薄い所為もあるのだろう。

「お仕事の方は一段落着いたんですか?」
「いえ。どうにも行き詰まってしまい、気分転換に散歩でもと」

 今度、文芸雑誌で新しく連載を始めることになったらしい。売れっ子小説家には次々と仕事が舞い込んで来る。忙しさも征十郎さんと大差ないのだろうと思うのだけど。
 ああ、行き詰まってそのまま眠ってしまったのね。ついうっかり睡魔に負けたらしい。眠たげな瞳と重力に逆らう毛先に笑みが零れた。

 暫く二人並んで歩いて、庭園の丁度真ん中にあたる池の縁へと辿り着いた。池の中を覗き込むと、金や赤の色鮮やかな鯉が悠々と泳いでいる。

「よく作っていたんですか?」
「え?」
「白詰草の指輪。先程、懐かしいと仰っていたから」

 黒子さんも一緒になって池を覗き込みながらそう問うてきた。未だ右手に咲き続ける白詰草。チラリと横目で伺ってから、小さく首を横に振った。

「一度、小さい頃にこの指輪を貰ったことがあったんです」
「それは、もしかして異性から?」
「ええ。でも、本当に幼い頃ですよ。四歳とか五歳とか、それ位」

 慌てて手で大きさを表すと「分かってますよ」と黒子さんは頷いた。だって、黒子さんが異性だなんて言うから。

「昔、どこかの子爵の家の花見に家族で招かれたことがありました」

 跳ねっ返りでお転婆だった私には、どこぞの子爵の家は大層素晴らしい遊び場だった。小さな体に広い庭はどこまでも果てがないように思えた。そんな庭の一角で、私はある男の子と出会ったのだ。
 一緒に遊ぼうと声を掛けたのは私から。幼い頃は男女の垣根と言うのは無いに等しい。女の子から話し掛けたとて、誰も私を窘めたりはしない。
 すごく物静かな男の子だった。あまり会話は無かった気がする。それでも私は、時々彼が目を細めてほんのり笑ってくれることが嬉しくて、彼の傍を離れることはしなかった。

「今思えば、初恋だったのかもしれませんね」

 思い返すと、解れていた記憶は意外にも頑丈なものだった。でも、男の子の名前も顔も思い出せない程には傷んでいるから、そうとも言い切れないのだけど。

 −−いつか、大人になったら、その時は−−

 別れ際、彼は私に言ったのだ。
 その言葉も今やもう思い出すことは出来ない。ただ、私の右手の薬指に真っ白なそれが彼の代わりに存在を一際放っているだけで。

「なんてこんな話、小説のネタにもなりませんよね」
「いえ、そんなことは。……その話、赤司くんには」
「話しませんよ。婚約者に初恋の人の話なんて、ね」

 私の伴侶となるのは初恋の彼ではなく征十郎さんなんだ。そんな実にならない話をしたとて、征十郎さんにとっては迷惑なだけだ。だからどうしたと、切り捨てられる他ないだろう。
 水面を覗き込んでいた黒子さんが顔を上げる。相変わらず、吸い込まれそうな位に澄んだ瞳をしている。その瞳が私へと向けられ、何かを言いかけようと彼の薄い唇が開いた時。

「黒子っちー!」

 聞き慣れない声が、周りの木々や池の水面に反響し、私達の鼓膜を揺らした。

「……黄瀬くん」
「え、あ……!」

 二人同時に振り返った先で、大きくこちらへ手を振る青年を見つけた。呆れるように息を吐き出した黒子さんの隣で、私の目は点になる。
 役者の黄瀬涼太だ。何時だったかお母様と見に行った演劇で、他の誰よりも注目を浴びていた彼。その存在感で会場の全ての人を魅了した主人公がそこに居たのだ。

「黄瀬くん、何でいるんですか?」
「冷たっ! 久しぶりに会ったのにそれはないっスよー」

 黒子さんの若干投げやりな言葉にも彼は笑顔を崩さない。ヘニャリと下がった眉は、舞台上で見た彼とはまた違った印象を受けた。多分、こちらが本当の彼の顔なのだろう。不思議と親近感の湧く笑みだった。

「たまたま稽古帰りに赤司っちに会ったんスよ。ね? 赤司っち」
「涼太はもう少し考えて外に出るべきだ。凄い騒ぎだった」
「いやー、俺変装しても雰囲気とかでバレちゃうから」
「それは僕に対する嫌味ですか?」

 そして、黄瀬涼太から少し遅れて、征十郎さんも姿を現した。三人のやり取りが微笑ましくて、その様子を静かに眺めていると、ふいに黄瀬涼太と目が合った。うわあ、睫長い。本当に綺麗な顔してるなぁ。

「赤司っち、この子が噂の婚約者っスか?」
「ああ、そう言えばまだ紹介してなかったね」

 噂って……。一体どんな噂をされているのやら。チラリと征十郎さんを見遣ると、はぐらかすように肩を竦められた。もう、と心の中で呟きながら、征十郎さんに紹介されるまま頭を下げる。

「はじめまして。望月綾芽と申します」

 舞台上で彼を見たことのある私からしたら、はじめましてではないような気がするけれど。なんて、考えつつ笑顔で挨拶をする。
 すると、黄瀬さんは何故だか苦笑を浮かべた。

「あー、やっぱり忘れられてたみたいっスね」
「え、あの?」
「実は俺達今回がはじめましてじゃないんスよね」

 黄瀬さんの言葉に目を瞬かせる。今回がはじめましてじゃない? それはもしかして、私が彼の舞台を見に行ったことを指しているのか。いや、でも。こうして面と向かってお会いするのは初めての筈。
 考えながら、それでも見に覚えのないことに首を捻る。そんな私に、黄瀬さんは苦笑いのまま再び口を開いた。

「て、言っても小さい頃のことだから忘れてても無理ないんスけど。俺、これでも子爵の家の生まれだから、よくいろんな催しとかやってて。君と会ったのは確か……、花見の席じゃなかったっスかね?」
「花見……?」

 子爵の家の花見と聞いてドキリとした。先程まで、黒子さんにしていたあの話と重なったように見えたのだ。

「周りは大人ばっかで退屈してた時に君が声掛けてくれて、一緒に遊んだりしたんスけどねぇ」

 やっぱり、覚えてないか。そう言って、黄瀬さんはあっけらかんとした笑い声を上げた。私の頭の中で、もう顔すら思い出せない少年の姿が浮かんでは消えていく。
 あの少年に声を掛けたのも私からだった筈だ。ヒヤリとした何かが私の胸元を撫でていく。まさか、あの少年が黄瀬さん? そう簡単に結び付けていいものかどうか。でも、今のこのタイミングの良さに、そう感じてしまうのも致し方ないのかもしれない。
 黒子さんに何か話し掛ける黄瀬さんをぼんやりと見詰めて、少年の面影を探そうと試みる。だけど、そう簡単に見つかる訳もない。あの子の顔も名前も、自分の心の奥深くに仕舞い込んでいたのだから。

「!……征十郎さん?」

 ふいに手を握られた。その先を追って行くと、私の右手をそっと掬い上げるように征十郎さんの左手が重なっていた。
 一瞬、チクンと針で刺したような痛みが胸の奥に走った気がした。いけない。そんな昔のことばかりに捕らわれて、今を見失う所だった。今、私の隣に居てくれるのは誰でもない征十郎さんなんだ。モヤモヤと渦巻く感情を咄嗟に追い払うように、右手に力を込める。

「綾芽さん」
「はい、何でしょう?」

 繋がれた手を見ていたかと思ったら、征十郎さんは静かに私の名を呼んだ。指先で、ゆっくりと私の右手を撫でる。何かを探すような手付きに、自然と手元へと視線が落ちていく。

「……いや、何でもない」

 征十郎さんが緩く首を振った気配がした。表情は、分からない。ただ、その声音に胸が詰まった。

 気付けば、右手の薬指に嵌められた白詰草の指輪はぷつりと切れて、虚しくも地面へと落ちてしまっていた。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -