箱庭ロマンス | ナノ


 祝賀会から一月以上が過ぎた。

 あれから忙しなく時が過ぎて行った。内閣総選挙が始まり、普段から忙しく走り回っている父がその普段の比でない程に各地を奔走していた。母も母で、父の身の回りの世話に追われ、時々家のソファーでぐったりと伏せっている姿があった。使用人達も何となく落ち着かない様子で、家の中は暫くの間変な緊張に包まれる日々が続いた。
 そんな緊張感も、選挙が終われば自然と払拭される。結果は言わずもがな、祝賀会の日に緑間さんが言っていた通りに父が総理大臣と言う位置に就くこととなったからだ。

 季節は春。四月も終盤に差し掛かっていた。選挙が終わって、漸く周りが落ち着きを取り戻す。気付けば桜は既に散ってしまっていた。
 毎年恒例の家族での花見も出来ずじまい。桜をゆっくりと堪能することが出来なかったことが非常に惜しまれる。そんなことを思いながら、すっかり葉桜に変わった庭の桜の木の横を通り過ぎた。

「あれ? 緑間さんと、高尾さん……?」

 来年はさつきちゃん達を呼んで、盛大にお花見をしたいな。まだ先の未来に思いを馳せていると、玄関に見知った影が二つあることに気付く。
 何で私の家に二人が? 疑問符を浮かべながら走り寄る。
 軍服をきっちりと着込んだ二人−−緑間さんと高尾さんは私の存在に気付くと、片手を上げて応えてくれた。

「綾芽ちゃん、久しぶり。今日も学校だったの?」
「はい、ただいま帰りました。高尾さん、ご無沙汰してます」

 胸元に光る勲章に負けない位の笑顔を覗かせてくれたのは高尾和成さん。緑間さんの同僚だ。
 緑間さんとはあの祝賀会以来だけど、祝賀会に参加していなかった高尾さんとはそれ以上の期間顔を合わせていないことになる。相変わらず元気そうな姿に自然と笑顔が零れた。

「お二人共、今日はどうされたんですか? 私の家に何かご用でも?」
「今日、これから望月首相と軍のお偉方との食事会があるのだよ」
「そう言えば、そんなこと言ってたような……」
「で、俺達は望月首相の護衛を仰せつかり、ここまでお迎えに上がったってわけ」

 今朝方、母が使用人に新しい背広を下ろすように言っていたことを思い出す。私には全く関係ないことだからと適当に流していたけど、なるほどそう言う訳か。
 食事会、と言えども仕事には変わりないのだろう。首相となってからと言うもの、父が食事会やパーティーなどに行く回数が増えた。そのせいか、父と会話する機会もめっきりと減ってしまったことに今更ながら寂しさを感じた。
 でもそれは仕方のないことなのだ。私にとやかく言う資格はない。気を取り直して、二人に向き直る。

「父のこと宜しくお願いしますね」
「いやいや、こちらこそ。首相のお供を出来るなんて鼻が高い」

 ちょいと軍帽を上げて、高尾さんはおどけたように笑った。それに呆れたように息を吐いた緑間さん。それが何だか可笑しくて、小さく笑っていると、突然高尾さんが「あ!」と声を漏らした。

「そうだ、言い忘れる所だった。綾芽ちゃん、おめでとう」
「……ありがとう、ございます?」

 唐突な祝いの言葉に目を丸くする。多分、父が首相になったことに対するものだろうと判断して、それでも疑問は拭い去れないままにお礼を口にした。
 そんな私の様子を見て、高尾さんは笑いを噛み殺しながら「違う違う」と片手を振った。あまり噛み殺しきれていないせいか、高尾さんの喉の奥がクツクツと鳴っていた。

「勿論、首相のこともお祝いしたいけど、俺が言ってるのは縁談のこと。決まったらしいじゃん、しかもその相手が−−」
「高尾」

 高尾さんの言葉を緑間さんが遮った。静かに首を横に振る緑間さんを見て、高尾さんがゆっくりと顔色を変えていく。

「……真ちゃん、もしかしてこれ言っちゃまずかったやつ?」
「もしかしなくてもそうなのだよ」
「……あの、縁談って? 私に、縁談が来てるんですか?」

 小首を傾げて問いかけると、ああああ!と高尾さんがその場に崩れ落ちた。

「うわあ! やっちゃった……! ヤバい、どうする?」
「お前のせいだろう。お前が責任を取るのだよ」
「そうは言っても……。あーあ、最悪だわ、俺……」
「だからお前は駄目なのだよ」

 それよりもちゃんと説明をして欲しいのだけど。とも言えず、二人の顔を交互に見遣る。
 私に縁談? そんな話、初耳だ。父も母からも今までそんな話をされたことは一度もない。

「あの、その縁談って……」
「綾芽ちゃん、さっきのは冗談だから! ね、だからその話は忘れて−−」
「…………」
「……なんて、出来る訳ないか。ごめん」

 高尾さんの慌てる姿なんて貴重だな。なんて、そんな場違いなことを思う。自分のことだと言うのに何故だか妙に落ち着いているのは、多分目の前にいる高尾さんが必死そうだからだ。
 溜め息を吐きチラリと私に視線を寄越した緑間さんに向かって、苦笑してみせる。
 そっか、私に縁談が……。いつかそうなるだろうとは思っていたけれど、意外と早かったなぁ。

「何だ、綾芽帰っていたのか」
「……あ、お父様」

 玄関の戸が開き、真新しい背広を着た父が姿を現した。
 父の登場に、素早く姿勢を正した二人の中尉様。しかし、視線は相変わらず私に注がれていた。それも、酷く不安そうに。

「お父様、これから食事会なんですってね」
「ああ。……そうだ綾芽」
「はい?」
「帰ったらお前に話がある。なるべく早く帰って来るつもりだから、それまで待っていてくれるか?」

 私の頭を優しく撫で、父はニコリと微笑んだ。
 話、と聞いて直ぐに察しがついた。私の視界の隅で、高尾さんがバツの悪い表情を浮かべている。

「はい、分かりました。私、寝ずに待ってます」

 そう快く返事をすれば、父は満足そうに頷いた。
 そのまま歩き出した父を見遣ってから、高尾さんが「本当ごめん。あと首相に言わないでくれてありがとう。このお礼は必ず!」と一気にまくし立てて、慌てて父の後を追いかける。
 一方、緑間さんはと言うと−−

「緑間さん……?」
「高尾がすまなかった。……しかし、綾芽さんにとって決して悪い話ではないのだよ。俺が保証する」
「え……?」

 そう言って、私の肩を軽く叩いて踵を返す。
 どう言う意味なのか。その後ろ姿に問い掛けたかったけれど、それは叶わない。

「私にとって、悪くない縁談って……?」

 ポツリと呟いて、小さくなっていく背中を見送る。
 何故だろう。緑間さんの言葉は信じられる気がした。不安なんてものは感じない。
 ただ、気掛かりなのは−−

「……赤司さん」

 あの祝賀会以来、何の音沙汰もない彼のことだ。
 結局、最後まで着物の御礼は言えなかった。もし叶うなら、縁談が決まるまでに一度お会いしたい。そう願い、ソッと瞼を閉じる。

 あの日から、揺れる赤色が、瞼に焼き付いて離れなかった。


 赤司さんにもう一度会いたい。その願いは案外あっさりと叶うこととなった。

 私に縁談が来ていることを知った数日後。祝賀会以来、これでここに訪れたのは二回目だろう。私は女学校の帰りに真っ直ぐに赤司邸へと足を向けた。
 応接室で出迎えてくれた彼は、突然押し掛けた私に驚くこともなく、相変わらず悪戯を思い付いた少年のように、愉しげな瞳をしていた。

 珈琲の注がれたカップを持つ手がカタカタと震える。でもそれを悟られたくなくて、普通を装いカップに口を付けると、あまりに苦い味に思わず咽せそうになった。
 ……私、珈琲飲めないんだった。

「珈琲は苦手かい? それなら紅茶を……」
「いえ、お構いなく!」

 彼が立ち上がろうとするのを慌てて止める。どうにも緊張していけない。何とか落ち着かせる為に強く握った拳は若干湿っている。
 無理もない。だって、もう一度会いたいと願っていた人が、まさか−−自分の縁談相手だなんて。誰が思おうか。

「僕が君の縁談相手と聞いて驚いたかい?」
「はい。それは、とても……」

 本当に驚いた。耳を疑って、何度も父に聞き直した程だ。
 あの日−−祝賀会の日に感じた「この人に恋をするのだろう」と言う私の直感はあながち間違いではなかったのだろうと、少しだけ嬉しくもなった。
 でも、一つだけ。私には気になることがあった。今日は、それを確かめる為にここを訪れたのだ。
 その気になることが当たっていたならば、私は……。乾いた唇を一舐めし、居住まいを正す。

「一つ、お伺いしたいことがございます」
「何だい?」
「父から、この縁談を申し出て下すったのは赤司さん本人からだと、聞いてます」
「ああ、そうだね。僕が持ちかけた、それが?」

 私の向かいに座る赤司さんは何てことないと言うように頷いてみせる。そんな質問をしてどうするのかと、色の違う双眼が私に問い掛けている。
 ドクドクと早くなる鼓動。湿った手で、ギュッと着物の裾を握り締めて、ゆっくりと息を吸った。

「それは、赤司さんが私との縁談を申し出て下さったのは、私が総理大臣の娘だからでしょうか?」

 自分でも、何て失礼なことを言っているんだと思う。でも、聞かずにはいられなかった。これを聞かなければ、私の心のモヤモヤは晴れることはないだろう。
 だからこそ、こうして父と母の目を盗んで赤司さんに会いに行ったのだ。二人に言えば、大反対されて見合いの当日まで外出の許可など出してくれなかっただろう。

 総理大臣の娘、と言うものはとても便利な存在だと思う。その娘と契りを結ぶだけで、簡単に自分の格を上げることが出来るのだから。おまけに政界との関わりも強力なものとなる。赤司財閥のように金も権力も全てを持ち合わせた一族でも、未だに政界には進出した者はいないと聞く。
 もし、仮に、赤司征十郎が政治に興味を持っているとしたならば、総理大臣の娘である自分はその足掛かりになる為の格好の人物なのではないだろうか。
 それはすごく嫌なことだけれど。そう言われても可笑しくはないと思っている。私にはそれ位しか価値はない。総理大臣の娘と言う肩書きを捨てれば、ただの世間知らずの小娘なのだから。
 だとしたら、何故私に着物を贈ってくれたのかも納得がいく気がした。私の気を引きたかったから。私達が初めて会ったのはあの祝賀会の日だ。その以前から、どこかで私の噂を聞いたとしても好意を持てるような要素など見当たらない。
 つまり、赤司さんは私のことなど−−

 そこまで考え、ふと頭上で何かが動く気配を感じて顔を上げる。
 私を見つめる彼の姿が、直ぐ傍にあった。彼の瞳に、驚く私の表情が映っていた。キラリ、と光ったその瞳に怖くなる。
 ……怒って、る?

「何を聞くのかと思えば、そんなことか」
「そんなことって……」
「あなたも案外思慮深いようだ」

 怒っていたのかと思えば、次は小馬鹿にしたように鼻で笑う。それにムッと来て、睨みを効かせる。
 思慮深いって……、その一言で片付けられるのもどうかと思う。これでも私、三日三晩寝付けない程に悩んだのだから。

「何をどう考えようとそれはあなたの自由だ。だが、その考えだけはいただけないな。それは僕の本意じゃない」
「え……、あ、赤司さん……?」

 ソファーに座る私に目線を合わせたかと思えば、床に片膝を付く。財閥の当主ともあろう方が、そんなまるで従者のような格好を。慌てて、立ち上がらせようと赤司さんの着流しの裾を掴もうとすれば、それを制すように両手をやんわりと赤司さんの胸の前で拘束されてしまった。
 赤司さんの手は冷たかった。私の汗ばんだ手には心地良くて、でも恥ずかしくて。手を引こうとするが、それは出来なかった。
 真っ直ぐに私を見据える瞳に捕らわれて、動けない。

「言っておくが、この縁談は随分前から決まっていたことだ。それこそ、あなたの父が議員として駆け出しの頃から、あなたがまだ幼かった時分からだ」

 そんな、昔から……? 驚きで言葉も出ない私に、赤司さんは再び口を開く。

「首相の娘ではないその時からずっと、決めていた。それだけは嘘偽りない。あの頃から僕は−−」

 何かを言いかけて、思い止まるように赤司さんは緩く首を横に振った。その代わり、と言ってはなんだけれど、私の両手を掴む手に力が込められる。
 その力の強さが、今の赤司さんの気持ちの表れなのか。まるで信じてほしいと乞うているような、縋っているような、そんな切なさが赤司さんの手から私の手へと伝わってくる。

「とにかく、あなたは僕と夫婦になるんだ。これだけはいくらあなたと言えども逆らうことは許さない−−絶対だ」

 そう言って、赤司さんは私の両手に唇を落とした。

 不思議なことに、私の心渦巻くモヤモヤは綺麗さっぱり拭いさられていた。
  だからだろうか。気付けば私は、赤司さんの言葉に小さく頷いていた。




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