最近、元々高かった男子バスケ部の人気が鰻登りらしい。

「すごい。女の子達が流されるように体育館に向かってる」

 友人の感心するやら呆れるやら、何とも言えない声音に釣られてちらりと視線を走らせる。
 友人と帰路を共にするべく、たまたま通りかかった体育館の傍で。何やら色めき立った女子生徒が数十人、体育館の扉の周りに集まっていた。
 緑間くん格好いいー! とか、高尾くん今こっち見たんだけど! 等々。女の子特有の高い声が響く。当人達は内緒話のように小さな声で言っているつもりでも、少し離れた場所に居る私の耳にもしかと届いた。おそらくは、緑間くんと高尾くんにも聞こえていることだろう。

 我が秀徳高校男子バスケ部は高校バスケ界に置いても屈指の強さを誇る、言わずと知れた強豪チームだ。祝インターハイ出場だとか何とか、毎年必ず垂れ幕が掛かる程に優秀な成績を収めている。
 だから、と言う訳ではないのだろうけど。その強さがバスケ部の人気に拍車をかけている。勿論、一部の顔の良さがウケていると言う理由もある。

「大坪くんが言ってたけど、最近毎日こんな調子らしいよ」
「仕方無いんじゃない? ウィンターカップの予選も難なく通過しちゃったみたいだし」
「ねー。インハイ予選の時は静まり返ってたのにね、本当現金なもんだよ」

 全く、友人の言う通りだった。
 今年の夏、校舎に掲げられる筈だったインターハイ出場の垂れ幕の出番は来なかった。まさかの予選敗退。笑顔で迎えるつもりだった夏に暗雲が立ち込めたのだ。
 しかし、東の王者の名も伊達ではない。先週末に行われた試合で、見事ウィンターカップへの切符を手に入れたのだ。その前に行われた試合は、夏に彼等を敗北へと追いやった誠凛高校が相手だったらしい。苦渋を飲まされた因縁の相手とは、接戦の末同点だったと聞く。冬に白黒付けてやるんだと、言っていたのは確か木村くんだったか。
 インターハイへ行けないと分かった途端、今まで献身的に応援をしていた女子生徒達は掌を返したように体育館へは寄り付かなくなったと言うのに。ウィンターカップへ行けるとなると、再び以前のような活気を取り戻した。いや、以前よりも幾分賑わいが増している気もする。私の横を足早に過ぎ去り、体育館へと走り寄る女の子達を見つめながら、何も言えずにぎゅっと唇を噛み締める。本当に、現金すぎるよみんな。

「なまえはいいの? 応援しなくても」

 そんな私を見かねてか、友人が声を掛けてくれる。何なら一緒に着いて行こうか? なんて。

「いいよ、別に。行った所で邪魔になるだけだし」
「もう、あんたはまたそんなこと言って! 先週の試合も見に行かなかったらしいじゃん。可哀想でしょ−−」

 −−宮地くんが。

 友人がそう口を動かした。が、その名前だけは聞き取ることは出来なかった。甲高い女の子達の叫びにかき消されてしまったから。
 何なのよ、もう。そんな悪態を吐きながら、友人が体育館の方向へ探るように視線を向ける。きゃあきゃあと、嬉しそうに声を上げる女の子達の視線の先を、私もついつい追ってしまう。多分、緑間くんがまたスリーポイントを決めたんだろう。そう高を括って。
 固い扉が全開にされ、大きく広がったその先で、遠目からでも分かる程の眩しい金色が見えた。その瞬間、ドキンと鳴った心臓が嫌なリズムを刻み始める。噛み締めていた唇に更に力が籠もる。
 どうやら、彼女達の歓声は緑間くんでは無く、宮地清志に送られたものらしい。

「凄い人気。あんたの彼氏、顔だけは良いもんね」
「顔だけって、失礼な」

 確かに口悪いし、直ぐに手は出るけども。そうは思っても、何だか癪で言い出せない。仮にも人の彼氏を顔だけなんて、失礼にも程がある。

「でも、バスケ部の中では一二を争う位に人気があるんだって」
「清志が? まさか」
「本当本当。宮地くん、ああ見えて頭良いし、面倒見もいい方でしょ? それに加えてバスケも出来るとあっちゃ、モテない方が無理あるでしょ」

 友人の言うことは最もなんだろう。でも、釈然としなくて。顔をしかめると「その顔、酷い」と笑われた。
 清志がモテるのも分かってはいる、いるんだけど。彼女達の見ている清志は、私の知っている清志じゃない気がして。それが何だか納得がいかなくて。でも、その理由も分かっているからこそ、こんなに苦い思いをしているんだろう。

「本当に見に行かなくていいの?」
「……うん、いい」
「そっか」

 私の気持ちを察してくれる友人に、感謝の意を述べると優しく微笑んでくれた。それが少しだけ、私の気持ちを軽くする。
 私はあの日−−彼がレギュラーになって初めて敗北したあの試合以来、公式戦は愚か練習試合すら見に行かなくなった。
 彼女達の、バスケ部のファンのあの子達が知っている清志は、ただバスケに直向きな清志で。でも私は、その姿をもう数ヶ月も見ていない。誰よりも努力していたあの背中に、惚れた筈なのに。




 もう直ぐ冬休みだと浮かれそうにはなるけれど、その前に待ち受けている期末試験に頭を悩ませる。ましてや受験生。勉強しないなんて選択肢は無いに等しい。
 教室でひたすら苦手な数学と格闘していた。漸く見切りを付けた頃にタイミング良く、いい加減帰れよー、と見回りの先生が顔を出した。辺りを見回すと、私以外には誰も居ない。最後に暗闇を写す窓に目をやり、うんと伸びをして凝り固まった体を解した。
 こんな真っ暗で、一人で帰るの嫌だな。一人教室に残ったのは自業自得なくせにそんなことを考える。とりあえず、早く帰ろうと自然と足の歩幅は大きくなる。
 そんな中、どうしたことか突然に私の足が止まる。近道にと通りかかった体育館に、チラチラと明かりが漏れていたのだ。
 期末試験を控えているこの時期は全ての部活は活動禁止だ。はて、と不思議に思う。だが、扉の隙間から覗くのも憚られる。考えた末に、私には関係無いかと再び歩き出そうとした瞬間。
 キュッと、何かが床を擦れる音がした。もう一度足を止め、耳をそばだてる。ダン、と今度はボールが床に叩きつけられる音。
 −−もしかして。そう思ったら、もう何も考えられない。急いで扉の前へと走り寄り、ソッと扉に手をかけた。

「……清志」

 開けた扉の先に、清志がいた。
 動く度に揺れる金色が照明に反射してキラキラと輝く。玉のような汗がもう何時間もそうしているのだと物語っている。真剣な表情に、すらりと伸びた手足に、目を逸らすことすら出来ない。
 いつも清志はそうだったな、と思い出す。試験が近くたって関係無い。彼はいつもバスケのことで頭がいっぱいで、本当にバスケ馬鹿で。レギュラー入りした時に嬉しそうに私に報告してくれたこととか、いろんなことが思い起こされて胸が苦しくなる。
 久しぶりに、清志がバスケしてる姿を見た。ひたすらボールを追い掛ける後ろ姿は、紛れもないバスケ馬鹿の清志の姿だった。
 足に根っこが生えたかのようにその場を動けずにいると、シュートを決めた清志がクルリと身を翻してこちらを向いた。ぱちりと合った瞳が、先程までの真剣そのものの色を失っていくのが分かった。

「……なまえ、何で…」
「うん」

 何を言っていいか分からず、ただ頷く。うんじゃねーよ、と眉根を寄せ、清志が私の下へと遣って来た。ふわりと香った汗の匂いすら懐かしさを感じさせる。

「俺がここに居ること、知ってたのか?」
「ううん。体育館を通りかかるまでは気付かなかったんだけど」

 期末試験間近に、先生に頭下げてまでバスケするのなんて清志くらいなものだろう。なんて、言ったら怒るかな。
 はぐらかすように、鞄から今日は体育があったにも関わらずあまり出番の無かったタオルを取り出す。差し出すと、素直に受け取ってくれる。それが堪らなく嬉しかった。

「つーか、お前こんな時間に帰るのかよ」
「そうだけど……」

 テスト勉強してたんだから、仕方ないでしょ? と、清志を見上げると盛大に溜め息を吐かれてしまった。そして、私が貸したタオルでバシリと頭を叩かれた。え、何で?

「ちょっと待ってろ、直ぐ着替えて来る」
「え、あの、ちょっと…」
「それから悪いけど体育館の鍵返して来てくれ」
「き、清志……?」

 ぽいぽいと投げられる言葉と、突き出された体育館の鍵。ぽかんと口を開けていると、清志が険しい顔をしながら言い放った。

「送ってく、って言ってんだろーが」

 それ位分かれ、と投げやりなその言葉にただただ頷くしか無かった。




 特に会話をすることもなく、二人で並んで歩く。清志との沈黙は苦では無い。しかし、どこか重たい空気にどうしようかと考えを巡らせていた時に、脈略もなく清志が口を開いた。

「がっかりしたんだろ」
「え?」

 その言葉の意味が謀りきれず、隣に居る清志を見上げる。清志は私を見ることもせず、言葉を続けた。

「こんだけ練習してんのに、一度負けた相手にまた勝つことが出来なかったから」

 −−だからお前は、先週の試合も見に来なかったんだろ?

 怒っている訳でも、責めている訳でも無い。ただただ、遠くを睨み付けながら、そう言った。
 どこか、寂しそうな横顔だった。

「そうじゃ、ないよ……」

 そうじゃない。顔を伏せ、首を振る。そんなこと言わせたい訳でも、あんな顔をさせたい訳でも無かったのに。ギシギシと軋むように胸が痛い。

 ただ、自分が許せなかった。周りが許せなかった。
 あの日、秀徳が誠凛に負けたあの日。秀徳バスケ部のOB、応援に来ていた秀徳生の非難めいた視線や雰囲気。歴史ある秀徳高校バスケ部が、あんな新設の名もない学校に負けるなんて。そんな声にただ嫌悪した。何も知らないのにって。清志の努力を泥で流すような、その全てにあまりに腹が立った。
 でも、一番腹が立ったのは、結局何も出来ずに、悔しさを滲ませたあの背中を見つめることしか出来なかった自分自身に対してだった。
 何も出来ないなら、あんな姿を見る位なら、周りの煩わしい騒音に嫌悪する位なら、見に行かない方が良いんじゃないかって。プライドの高い清志だから、負けた姿なんか二度と見せたくないだろうって。自分が怖いだけのくせして、勝手に理由を付けて。
 それが、更に清志を傷付けて。

「……馬鹿か、何泣いてんだよ」
「え? あ…」

 気付いたら、目から大粒の涙が零れていた。やだ、もう。何なのこれ。堰を切ったように流れ出すそれらを必死で拭っていると、赤くなるから止めろ、と清志がやんわりと私の手を払った。

「悪い。別に泣かせたかった訳じゃねーんだ」

 幾分優しさを孕んだ声音に、またボロリと涙が零れた。「だから、頼むから泣くな」困ったように、親指の腹で伝い落ちた粒を拭い去ってくれる。こういう時、とことん優しいこの人の性分が、堪らなく愛しいと思う。

「お前がそんなこと思ってる訳ないって、分かってはいるんだよ。だけど、どうしようも無く苛ついた」

 私だって分かってはいる。私の、自分勝手な想いを汲んでくれていることくらい。だから今まで私が試合を見に行かなくても何も言わずに普通に接してくれていた。それに、ずっと甘えていたことも、分かってはいたんだ。

「体育館を見回しても、観客席を探しても、お前が居ないから。一番に見て欲しいなまえが居ないから、無性に腹が立つんだよ」

 力強い瞳で睨まれた。髪の隙間から見える清志の耳は真っ赤だった。ああ。また、涙が滲んでくる。
 お互い無理してるって、分かってた筈なのにね。本当、馬鹿だなもう。

「周りの奴らのことなんかどうだっていい。俺はなまえに見てて欲しいんだ。お前は俺らが勝つ所を見届けてりゃいいだけなんだよ。だから、ウィンターカップは見に来て欲しい、つーか来い」

 来なかったら刺すぞ。やっぱり、どんなに格好いい言葉を吐いたって、清志は清志だった。彼女に刺すぞは無いだろう。
 漸く取り戻したいつもの調子に、沸々と笑いが込み上げる。

「ふふ、へへへ」
「…泣いたり笑ったり、気持ち悪いな」
「気持ち悪くて結構」

 とるに足らないことだった。私は清志のバスケしてる姿が誰より見たくて。清志は誰でも無い私に見に来て欲しくて。
 何も出来ないけれど、清志が勝つって信じていればいい。その想いだけを、強く強く抱いていよう。

「清志、ありがとう」
「……分かりゃいいんだよ」

 照れくさそうに細められた目つきの悪い瞳は、彼なりの暖かさで満たされていた。


やさしくにらむ瞳はいつだって




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