広げられた教科書とノート、それと向き合いながらステレオから流れてくる音楽に合わせて握ったペンで軽くリズムを刻む。明日の授業の予習を始めてかれこれ二時間。集中力も切れてきたし、そろそろ休憩するかな。コキリ、と肩を鳴らした。

「清志ー、入るよー」

 扉の奥から聞き慣れた声がした。返事をする間もなく開けられた扉の先に、これまた見慣れた人物。お盆を持って当たり前のように俺の部屋に入る幼馴染みに、タイミングいいなおい、とぼんやりと思う。
 つーか、普通は返事があってから入るだろ。俺が着替えてたりしたらどうするんだ。

「うちのお父さんの出張土産持って来たんだけど。カステラ、食べるでしょ?」
「…おう」

 なんて、文句の一つでも言ってやろうかと思ったが止めておいた。言ったとて、今更改めるとも思わない。「別にいいじゃん」と肩を竦められるのがオチだ。

 お盆に乗せられた二人分のカステラとお茶。長崎の老舗のものらしい。ちゃっかり自分の分を用意しているなまえに苦笑いを浮かべるが「あ、これあのバンドの新譜?」なんて、ステレオから流れて来る音楽に夢中で気付かない。
 鼻歌混じりに差し出されたお茶には、茶柱が立っていた。







「この曲、好きなんだよね」

 空になった皿と湯呑みを片付けながら、なまえが小さく呟いた。その言葉に読んでいた雑誌から顔を上げて、耳を傾けてみる。
 流れて来るメロディーと、それに乗っかるボーカルの声。所謂、ラブソングに位置付けされるそれを、なまえは目を細めて聞き入っていた。

「お前、たまにしおらしいこと言うよな」
「……たまにって、すごく失礼なんだけど」

 僅かに顔をしかめて、なまえは俺を睨み付けた。その顔に、緩く一つに纏められたなまえの黒髪が一房落ちた。あちこちに散らばった後れ毛や軽く跳ねた毛先に、なまえの適当さを感じる。
 それなのに時々、如何にも女らしいことを言ったりするものだから。そのちぐはぐさに、戸惑うことがある。

「私だって、こういうの聞いてキュンとすることだってあるわよ。女の子なんだし」
「デートに遅れて来た彼氏に、回し蹴り食らわすような奴を俺は女と認めない」

 そう言えば、なまえはあからさまに不機嫌を露わにした。
 どうやら、まだ彼氏とは仲直りをしていないらしい。

「……二時間も待たされたんだから、あれ位したって許されるでしょ」
「まあな…」

 いつものことと言えばそうなんだろう。俺達の二つ上のその人はなまえの所属する剣道部の先輩だった人で、二人が喧嘩をする光景を俺は高一の時から嫌と言う程見せ付けられていた。さぞかし、こいつの足は綺麗に鳩尾に入ったことだろう。そんなことを簡単に想像出来る位に、だ。

「喧嘩する度に愚痴を聞かされる俺の身にもなれよ」
「それは悪いと思うけど…、でも今回と言う今回は絶対に許さない!」
「お前なぁ…、」

 確かに、連絡も無しに二時間も待たされれば腹も立つ。なまえが回し蹴りする気持ちが分からないでもないが。
 それでも、二時間も待つなまえもなまえだ。メールでも何でもして、さっさと帰ればいいものを。大人しく待つ程に、あの人に惚れている。

「……何で上手く行かないかな」
「そりゃ、お前の忍耐力の問題だろ」
「私、全然悪くないんだけど」
「そう言う所だよ」

 膝を抱えて小さくなったなまえを横目に雑誌を捲る。

「あの人がああ言う人だって、知った上で付き合ってるんだろ。だったら、それ位許せる気構えでなきゃやってけねーよ」
「…そんなこと、」

 分かってる、と呟いて唇を噛む。

 実際になまえはよくやっていると傍目から見てもそう思う。自由奔放で時間にルーズ、約束も守らない、それに加えて彼女を放って他の女と遊ぶような男と二年も付き合っているんだから。相当、我慢しているんだろうし、だからこそ喧嘩しても最後は結局なまえが折れるんだ。
 涙を流したりでも何でもすれば、別れたらいいのにと吐き捨てることも出来るのに。小さく丸まって必死で堪える姿を見せられては、「別れろ」なんて、あまりにも酷な言葉に感じて口を噤んでしまう。そもそも、そんなこと言ったとてこいつが素直に聞き入れるとも思えないが。

「……早く仲直りして、何でもいいからお詫びに何か買ってもらえよ」
「……指輪、欲しい」
「俺じゃなくて、あっちに言え」

 だからいつも、こんなことしか言えなくて。
 ペシリと頭を叩いて、そのまま添えた手でゆっくりと撫でてやる。目を閉じて俺の手を受け入れるなまえはあまりに小さくて細くて、思わず全身に力が入ってしまう。

「ありがとう、清志」

 まさかお礼を言われるとは思わなくて一瞬戸惑えば、それに気付いたなまえが可笑しそうにクスクスと笑い出した。
 それが何だか気に食わず、気恥ずかしさも相まって、振り払うように口を開く。

「お礼に今度何か奢れよ?」
「えー」
「えー、じゃねーよ」

 一頻り笑った後、再び何事も無かったように穏やかな時間が戻ってくる。なまえが、恋をする普通の女の子から、ただの幼なじみに戻っていく。
 好きだと言った曲を口ずさむなまえの横顔を眺めながら、そのことに意味も分からず安堵して。
 それなのに、なまえの口から滑る歌詞は、好きな男に振り回される女の気持ちを描いたもので。
 ――まんま、お前のことじゃないかと、皮肉にも似たその言葉を心の中で呟いた。


優しくない愛の歌
title by 休憩




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -