「ねぇ、ジノ。ほ、本当に乗るの?」
「ええ、そうしなければ近くで見えないでしょう」

 頭上から降ってくる声は酷く楽しげだった。その声の主の表情は見えないが、絶対に満面の笑みを浮かべているに違いない。そう確信できる程の明るい声音だ。

 ーーもっと近くで虹が見たい。

 公務の最中に自分の部屋の窓から見えた、遥か遠くに掛かる虹を眺めて呟いたのを自分の騎士は聞き逃さなかった。お任せ下さいと自信に溢れた返事が返って来たかと思えば、あれよあれよと言う間にジノの専用機、トリスタンの前に立たされていた。
 グオン、と言う機械の動く音と共に、自分の目の前に差し出された手。人一人、簡単に捻り潰せるその鉄の塊がおどけたように自分を誘う。まるで、操縦している本人そのもののように見えた。

「なまえ様、しっかり掴まっていて下さいね」
「分かってる。でも、絶対安全運転よ」
「はいはい、分かってますよ」

 本当に分かっているのかしら。不安に思いつつ、しっかりとトリスタンの指にしがみつく。
 壊れ物を扱うかのように優しく自分を包み込む大きな大きな両の手。 小さい頃に読んだ、親指姫にでもなった気分だ。ゆったりとしたソファーではないけれど、これはこれで最高の特等席なのかもしれない。

 そう思った矢先だった。

「それじゃあ、行きますよ!」
「え、ちょっと待っ……、いやあああああ!!!」

 まだ心の準備が出来ていないと言おうとした瞬間、抗えきれない圧迫感がなまえを襲った。重力に抵抗している時に起こる、あの独特の感覚。尋常でないスピード、目まぐるしく回る景色。

「なまえ様、口閉じてないと舌噛みますよ」

 そして、何とも軽いジノの言葉。

 安全運転って言ったのに、やっぱり分かっていなかった。あなたと言う人は全く……! 言いたいことは沢山あったが、言葉にはならない。必死に唇を噛み締めて、心の中で恨み辛みをぶちまける 最高の特等席? 最低の特等席の間違いでしょ! 数分前の自分に自分でツッコミを入れれば、トリスタンの赤い瞳が愉快気に光った気がした。







「今日はその書類全てに目を通していただくまで外には出しませんからね」
「カノン、部屋を出る前より増えてる気がするのだけど」
「なまえ様達が遊び歩かれてる間にも世の中はしっかりと動いていると言うことですわね。ジノも分かってますね?」
「はい、了解しました」
「頼みましたよ」

 バタンと扉が閉められる。それをしっかりと確認してから溜め息を一つ。目の前に積み上げられた書類を手に取り、パラパラと捲る。

「怒られたわね」
「怒られちゃいましたね」

 地上に戻り、トリスタンから降りると、待ち受けていたのは酷くご立腹のカノンだった。
 そのままズルズルと引き摺られ、部屋へと連れ戻された。公務を放り出したのだ。こればかりは普段優しい兄のシュナイゼルも擁護は出来ないらしく、穏やかな笑みのままカノンの説教を受ける二人を眺めているだけだった。
 漸く終わったお説教に解放されたと喜んだのも束の間。残っていた仕事に、更に新しく取りかからなければいけない仕事を上乗せされ、現実逃避するかのように二人して肩を竦めた。

「でも、すごく綺麗でしたよね」
「私は虹どころじゃなかったわ」
「それはなまえ様が怖がって目を瞑っていたからでしょう」
「ジノの操縦が荒いからでしょう。私、安全運転でって言ったじゃない」

 普段、移動に使うとしたら皇族専用飛行機か、兄のアヴァロンくらいだ。それが、ナイトメアの中ならまだしも、掌の上に乗るなんて。戦闘機だから仕方ないにしても、そのスピードも勢いもなまえの想像の遥か上を行っていた。だから少し怖かったのに、ジノはあっさりとフルスピードで振り切ってしまった。
 頬を膨らませるなまえに向かってジノは笑う。申し訳ありませんと謝罪の言葉を述べるが、その言葉には全くの不釣り合いな笑顔だった。

「なまえ様の望みを叶えたいと思う気持ちが先行し、少し張り切りすぎてしまいました」

 その言葉になまえは書類を捲っていた手を止めた。

 何でこの男はこう、恥ずかしいことをサラリと言いのけてしまうのか。微かに熱を持った自身の頬を咄嗟に書類を読む振りをして隠す。
 もうジノを騎士として傍に置いて数年経つと言うのに、未だにジノの一挙一動に素直に反応してしまう自分が情けない。

「なまえ様。今度虹が出たら、また二人で見に行きましょうね」
「………今度は絶対に安全運転よ」
「ええ、勿論。約束します」

 それでもやっぱり、ジノの言葉に胸は高鳴るし、ジノの笑顔に心は浮ついてしまう。
 雨、降らないかな。期待を込めて窓に視線を移せば、雲一つない真っ青な空に眩しい太陽。
 それは、目の前で笑う自分の騎士のように晴れやかな景色だった。


虹色サテライト
title by コランダム




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