インターホンを押しても反応が無いのはいつものこと。どうせ最終的に裏口から勝手にお邪魔するのだから必要は無いのだろうけれど。それでも時々ひょっこりと玄関から出迎えてくれることもあるから、ちょっとした期待を込めてしまう。まあ、今日はその期待をあっさりと振り払われてしまったのだけど。お裾分けに持って来た梨の入ったビニール袋が指に食い込んでくる。ずっしりとした重量感から解放されたくて、早足に庭を横切って、不用心にも鍵の掛かっていない扉を開ける。「お邪魔します」と呟いたが、当然返事はなかった。

「ハル、入るよ?」

 一直線に向かった先はお風呂場だ。洗面所の引き戸を開ける前にとりあえず声を掛けるけど、ここに来ても未だ扉の向こうからはうんともすんとも返って来ない。ハルの無言は肯定を意味する、そう解釈しないと先へ進めないので、小さく溜め息を吐いて引き戸を開けた。続いて脱衣場にある奥の扉を開けると、ザバンと飛沫を上げてハルが水から顔を出す所だった。

「そろそろ水風呂は寒くない?」
「別に寒くない」

 袋から梨が零れないようにソッと床に置く。漸く解放された片手をブラブラと振っていると、首を少し伸ばしてこっちを見ているハルと目が合った。「梨のお裾分け。嫌いじゃなかったよね?」そう聞けば、小さく頷いてくれたのでホッとした。

 濡れていない場所を見つけて、浴槽の縁に腰をかける。ツンと指先だけ水に触れれば、思った通りに冷たかったので苦笑いが零れてしまう。日中はまだまだ暑いけれど、朝晩は冷える。少しずつ秋の訪れを感じるようになってきた。だからと言って、ハルが水風呂を止めることは無いようだけど。

「もう夏も終わったんだね」
「そうだな」
「なんか寂しいよね」
「散々暑いのは嫌い、早く涼しくなってほしいって言ってただろなまえは」
「そうだけど……」

 ぷう、と唇を尖らせると、ハルは呆れたように首を振った。確かに暑いのは嫌いだし、夏よりは秋の方が好きだけど。それでも寂しいと思ってしまう理由が私にはちゃんとあるんだ。だってさ、と尖らせた唇をそのままに言葉を続ける。だって、だって−−。

「今年の夏はあんまりハルと一緒に過ごせなかったんだもん……」

 今年の春に水泳部を設立してからと言うもの、ハルと一緒にいられる時間はぐっと減ってしまった。昔からハルが水が大好きなことも泳ぎが上手なことも知っていたし、中学で水泳を辞めてしまったことは気掛かりだったから、ハル自身がもう一度水泳部に関わろうとしてくれたことに関しては純粋に嬉しいのに。でも、やっぱり、って言葉が吐いて出る。一緒にお祭りに行きたかった。花火がしたかった。スイカを食べるだけでも良かった。その一つだけでも叶っていたらって、思ってしまう。
 ウジウジとそんなことを考えて、あまりにも我が儘な自分に気分が落ちていく。水泳漬けの日々となったこの夏はハルにとっては忘れられない時間になった筈だ。それを否定するようなことは言いたくない。ぐっと唇を引き結んでいると、真っ直ぐに私を見据えるハルに気付いた。

「……渚が、」
「うん」
「なまえが部活に全然顔を出してくれないって怒ってたぞ」

 ちゃぽん、とハルの髪から滴った雫が水面を打つ音。それをかき消すように、でも静かに口を開いたハルからの言葉に思わず目を瞬かせる。確かに渚くんに差し入れ持って練習見においでよ、なんて言われていたけど。ハルの意図することが読めないでいると、どこか気まずそうに視線が流れていく。

「怜も、お前に会ってみたいって言ってた」
「うん」
「凛も、今度の合同練習でなまえを連れて来いって」
「うん」
「真琴は部活に入ってからずっと、お前を一人で帰らせるのは不安だって言ってた。なまえは誰かが見てないとフラフラとどこかにいなくなるからって」

 ハルの言葉に耳を傾けていると、自然と私の口角がゆるゆると引き上がっていく気がした。その言葉の節々に優しさが垣間見えたからだ。何も寂しがっているのはお前だけじゃないと、彼なりに伝えようとしてくれているらしい。そのことがすごくすごく嬉しくて、先程までの沈んだ気持ちが嘘のように明るくなってくる。

「ねぇ、ハルは?」
「……何?」
「ハルは、私と一緒にいる時間が減って寂しいって思ってくれた?」

 みんながそう思ってくれたことは勿論嬉しい。だけど、肝心のハルの気持ちは聞いていない。もう一度名前を呼んでみる。ジッと見つめるけど、視線を逸らしたままのハルが見つめ返してくれる気配はない。それでもいい。ハルの耳が僅かに赤いことに気付いたから。

「ね、ハル?」

 そう思ってくれてたんでしょ? と、少しだけからかうように促すと、ザブンと水飛沫を上げてハルは水中へと隠れてしまったから答えは聞けずじまいだけど。私にとってはそれで十分だった。だって、ハルの無言は肯定を意味するから。ゆらゆらと波打つ水面を見ながら、暖かくなる心に緩む頬は止められなかった。


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