好きだと言ったことも言われたことも一度も無い。手を繋いで隣を歩いたことも無かった。そんな恋人のような甘い時間は、私達の間に流れるなんてことは一生無いだろう。そう理解した上で、私は彼に“ただ都合のいい時に会える都合のいい女”としての私を提供した。

「いつものでいい?」
「ああ、構わないよ」

 どちらかと言うとコーヒーを好む彼も、私と一緒にいる時だけは飲み物を私の好みに合わせてくれた。一番お気に入りの茶葉の入った缶を手に取る。最早彼専用となったそれにマーマレードを少しだけ混ぜる。ユラユラと湯の中に溶け出す様を見届けて、私もいっそこんな風にあの人の温もりの中で消えてしまいたいと、そう思うことが時々ある。
 今もそう。私が差し出したカップを「ありがとう」と受け取る彼の笑顔を見る度に、私の心は台風が来た時の海のように荒れ狂う。高く高く打ち上げられた自分の気持ち。でもそれは彼には届かない。いつだって、てんで的外れな場所に辿り着いてしまうんだ。

「で、今回はどんな理由で別れたの?」
「別に話すまでもないよ。いつも通り」
「あまりヘコんでないね」
「そりゃあ、ね」

 苦笑交じりに肩を竦めて、カップに口を付ける。それだけなのに一枚の絵画のように見える。彼は−−氷室くんは美しい。初めて会った時からその印象は変わらないままだ。

「正直言うと、別れを告げられた時にホッとしたんだ」
「へぇ」
「来週から合宿も始まるし、冬に向けて今よりもっと集中しないといけないなって考えていたところだったからさ。タイミング良かったなって」

 彼女を蔑ろにして、男としては最低だよね。そう言って氷室くんは眉を下げたけれど、その表情はどこか晴れ晴れとしていた。
 氷室くんを一言で言い表すならば、バスケ馬鹿。多分それは彼の隣にいつもいるやる気の無い後輩の姿を見ているから強く感じるだけなのかもしれないけど。それを差し引いても、氷室くんのバスケに対する情熱は相当に熱い。彼の心の隙間に入る余地など無い程に。
 きっと彼のことだから、今まで付き合ってきた彼女達のことも大切にしてきたんだと思う。それでも傍に居ると分かってしまうことだってある。どんなに優しくされたって、どんなに甘い言葉を囁いてくれたって、満たされることはないのだから。だって氷室くんはいつも彼女達とも私とも全く違う方向を向いているから。我ながら報われない恋をしているなと、呆れてしまう。
 だけど、この気持ちだけはどうしようもない。報われないと分かっていても、それでもやっぱり傍に居たいと思ってしまう。氷室くんに別れを告げた彼女達とは違った形で、友人でも恋人でもない関係で、彼を何とか繋ぎ止めて。あまり多くは求めない。ただこうして一緒にお茶を飲んで、彼と取り留めもない話をするだけでいい。それだけでいいんだと、自分に強く強く言い聞かせて。

「……なまえ、」
「え……、あ」

 彼の手が伸びて来たかと思うと、スルリと私の頬に氷室くんの指が滑った。突然のことに身を固くする私を見て、氷室くんは眉を下げて困ったように微笑んだ。彼の指先が濡れている。そこで漸く自分が涙を流していることに気付いた。

「ご、ごめんね、何か急に」

 別にこんな風に泣きたかった訳ではない。私の気持ちが彼に響かなくたって構わない。私が彼の近くに居たいだけだから、それでいい。そう思っていたけれど、私の気持ちは抑え切れない程に大きく大きく膨れ上がってしまったらしい。
 何で今更。今までだって上手く自分の気持ちを押し留められていた筈なのに。一度零れ落ちた涙を止める術が分からない。ぐいぐいと手の甲で拭うけど、その傍からまた溢れ出る。もう、本当に何をやっているんだろう。

「なまえ、そんな風に擦ると腫れてしまうよ」

 再び伸ばされた氷室くんの手に心臓が嫌な音を立てる。押し潰されてしまいそうな感覚に、私は彼の手から逃げるように立ち上がる。「大丈夫、大丈夫だから。目にゴミが入っただけだから」そんな言い訳を繰り返しながら、一歩一歩と氷室くんから距離を取る。お茶を淹れ直すと、彼の目を見ないまま告げて背を向ける。

「……ごめんね」

 私がキッチンへと向かうのと同時に、彼の言葉がポツリと落ちてきた。その「ごめんね」がどう意味なのか、考えるまでもない。そんなこと分かってるんだよ、氷室くん。それでも一緒に居たいと思ってしまうんだから、どうしようもないでしょう。


オレンジペコに悲しみをまぜて


愛人様に提出。



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