夢見が悪かった。目を覚ますと、嫌な汗で服はぐっしょりと濡れていた。暫く呆然として、それが夢であることにホッとして、でも妙に現実めいていたことを思い出してまた気落ちした。

「なまえ、どうしたの? 具合でも悪いの?」

 どうにも食欲が湧かなくて、朝食の殆どをサシャに与えていると、その隣のクリスタが心配そうに私の顔を覗き込んできた。ユミルは私に目もくれず、黙々と朝食を食べ進めている。

「大丈夫。大したことないから」

 ヘラリと笑う私にそれでも尚気遣わしげな視線を寄越すクリスタが「それならせめてスープだけでも」と勧めてくれる。既に私の分のパンはサシャの腹の中に収まっていた。小さく頷いて、匙を手に取る。
 ゆっくりとスープに口を付けていると、ちゃんと食べないと訓練中に倒れますよ、的な意味合いの言葉をサシャが言った。一生懸命動く口の周りにはパンの屑が付いていて、少し間抜けで口元が自然と緩む。「何言ってるか分かんねぇよ」そう言って更にサシャの口にパンを突っ込むユミルにまた笑っていると、鐘が鳴った。
 少し気が紛れた所で、食堂を出て行く彼の姿に目を留める。やはり、言いようのない不安は私の足下に巻き付いて離れなかった。



 それは夢だった。いや、夢であって欲しいと私が願っているだけの現実だったのかもしれない。
 どんなに名前を呼んでも、彼は私に応えてくれることは無かった。必死に彼の手を、服を、足を掴んだって、いとも簡単に振り払われてしまった。どうして? 何で? そう問い掛ける私に背を向け、彼は真っ黒な闇の中を進んで行こうとした。
 私も一緒に連れて行ってとは言えなかった。彼の行く先が茨以上に研ぎ澄まされた険しい道だと、何となく理解していたから。私には心がズタズタになってまで、彼の傍に居る勇気が無かった。
 ただ、涙を流して彼の名前を呼ぶことしか出来なかった。

 −−戻って来て、行かないで、ベルトルト。

「……目、覚めた?」

 気付くと、私はベルトルトの背におぶられていた。何があったのか全く覚えていない。これもまた夢なのだろうか? ベルトルトの首に巻き付いた私の腕に力を込める。「ちゃんと宿舎まで連れて行くから、そんなに強くしがみつかないで」と、優しく諌められた。どうやら現実、らしい。

「覚えてる? 訓練の最中に倒れたんだよ」
「……そうなの?」
「うん。糸が切れたみたいに後ろからバッタリと」
「……ごめん。迷惑かけて」
「別にいいよ。これ位」

 訓練が終わったらきっとクリスタに怒られるかもしれない。ちゃんと朝ご飯食べないから! って。申し訳ない気持ちがジワジワと喉元からせり上がって来る。額をベルトルトの背中に擦り付け、小さな声でもう一度謝罪した。ベルトルトは何も言わなかった。

「夢を、見たの」

 ベルトルトの背に額を擦り付けたまま、ポツリと呟く。くぐもって聞き取りずらいその言葉に、ベルトルトはやはり答えない。それでも、私は言葉を続けた。

「変な夢と言うか、嫌な夢。ベルトルトがどこかへ行っちゃう夢」
「……僕が?」

 そこで漸く反応したベルトルトに、私はこくんと頷く。
 ベルトルトの体温と私の体温が混ざり合い、妙に熱い。それでも、彼がここに居る現実を目の当たりに出来るのなら、くっ付いて離れられなくなってもいいと思った。
 私がどんなに縋っても、名前を呼んでも、ベルトルトは暗い暗い闇の中へと行ってしまう。そんな、嫌な夢。思い出して、胸がザワリと音を立てた。それに紛れて、ベルトルトの渇いた笑いが耳に届いた。

「……本当、変な夢だ」
「うん。嫌な夢」

 そう言った切り、ベルトルトは口を閉ざした。ザクザクと彼の足が砂利を踏む音だけが響く。何故だかこの世界に二人しかいない錯覚に襲われた。私の足元に纏わり付いていた不安が、体を這いずり回っている。
 夢の内容を口に出せば正夢にならないと聞いたことがあった。だから言葉にしてみたけれど、それはどうにも嘘のように思えた。死が二人を分かつかもしれない。物理的に離れ離れにだってなるだろう。ベルトルトは自分の故郷へ帰りたいと願っているのだから。その時私は、どうするんだろうか。
 まだ夢の中から抜け出せていない気がした。これは紛れもない現実で、ベルトルトが私をおぶってくれていることも夢では無いのに。それでもまだ、私はベルトルトを連れて夢の中を這いずり回っているように感じてしまった。

「……ベルトルト」
「……ん?」

 微かに反応をしたベルトルトにどうしようもなく涙が滲んだ。グズリと鳴った鼻を彼の背中に押し付ける。ベルトルトが私を背負い直してくれる。大きく揺れた体から、ベルトルトの汗の匂いがした。心地良いと思った。

「……行かないで」

 どこへ、とは言わない。それは彼の故郷なのか、巨人の腹の中なのか、もっと別の場所かもしれない。それが分からない私には、他に言う言葉が出て来なかった。

「……戻って、来て」

 やはりベルトルトは何も答えなかった。私を連れて明かりの付いていない宿舎へと足を進める。
 どうか、今のこの瞬間だけでも私をベルトルトから引き離さないで欲しいと願った。例えこれが夢であったとしても。


夢悔い夢食い




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