jojo | ナノ


▼ オルゴール

頭の中に静かな音楽が流れている。
少し物悲しいオルゴールの音色。
そう、これは彼と最後に話した時に流れていた音楽。
私のお気に入りだったものだ。

しかしあれ以来、私はこの音楽を聴いていない。
悲しい記憶を思い出してしまうから、ずっと避けていた。
なのに何故今になってこの音楽が頭の中に流れているのだろうか。
オルゴールの音色の中。
目を閉じると「あの日」の事が昨日の事の様に呼び起こされた。


**

あの日、オルゴールの音色が静かに流れる部屋には私ともう一人いた。
その人物は私の想い人だった。
二人きりになったのは単なる偶然だ。
偶然に偶然が重なって、私にとって千載一遇のチャンスとなった。

「コーヒーで良かったですか?」

トレイにコーヒーカップを二つ乗せて彼がいるリビングへと行く。
彼は優しく微笑んで、ありがとうと言ってくれた。
たったそれだけの事でもドキリと胸が高鳴った。

カップを彼の手前のテーブルに置き、そして彼と対面するように私もソファーに腰を下ろした。
チラリと彼を見ると視線がかち合ってしまった。
恥ずかしくて咄嗟に目を逸らすと、彼はクスリと笑った。

「美味いな」

「え?」

「コーヒー。 俺の好きな味だ」

「ふふ、お口に合って良かった」

そりゃあ、貴方の好みに合わせて買った物ですもの。
とは言えず、当たり障りのない言葉だけを返した。

千載一遇のチャンスと思ったものの、やはり私は臆病者。
想い人を前にしても、なんにも言えやしない。
目を合わせることだって…満足に出来やしないんだもの。

「どうした?」

「えっ?」

「暗い顔しているぞ」

指摘され、思わず頬に手を当てる。
自分の顔が驚愕に染まるのがわかった。
そこまで暗い顔をしていたのか。

「な、何でもないですよ!」

笑顔を作って両手を振り、何でもない事をアピールした。
すると彼はソファーから立ち上がった。
そして在ろう事か、私の隣りに腰を下ろした。

「ブチャラティさん…?」

「本当に大丈夫か?」

そう言って、まっすぐ私を見つめてきた。
今度は逸らすことができなかった。
逸らしてしまいたくなかった。

「ブチャラティ、さん」

名を呼ぶと彼は、なんだ?と少し首を傾げた。
彼の綺麗な黒い髪が小さく揺れた。
やっぱりとても綺麗だと、そう思った。

「私…私ね」

声が震える。
声だけでなく身体まで小さく震え出していた。
それでも、この気持ちの方が勝っていた。
羞恥や不安などよりも彼を想う気持ちの方が強かった。

「ブチャラティさんが好きです」

私の声が部屋に静かに響いた。
ブチャラティさんを見ると、その表情は驚きに変わっていた。
眼を見開いて、何も言えずにいた。
優しい彼の事だ。
断るにしても私が傷付かないように気を使って言葉を選ぶのだろうか。

まるで死刑執行を待っているかのような気分だと思った。
やるなら一思いに、バッサリとやってほしいなあ…。
あんなに言えなかった言葉なのに、言ってしまえば呆気ないものだ。
こんな他ごとを考える余裕があるのだから。

オルゴールの音色だけが鳴り続ける室内で、暫くして漸くブチャラティさんが口を開いた。

「……すまない」

返ってきたのは重たい言葉だった。
一瞬、心の中が無になった。
しかし直ぐに言葉の意味を頭で理解した。

「そう、ですか」

私の口から出たのは軽い言葉だった。
視線を落とすと、私の手が視界に入る。
もうその手は震えてなどいなかった。

「…君なら俺なんかより良い奴が見つかるさ」

そう言った彼は苦笑いを浮かべていた。
私の想いは、きっと彼を困らせてしまった。

「……ありがとうございます、ブチャラティさん」

私が言うと、ブチャラティさんは益々困った顔をしてしまった。
私は困らせる為に貴方を好きになったんじゃない。
お願いだから、そんな顔しないでください。

「すまない…今日はもう行くよ」

「ええ。 こちらこそ、すみません…」

ソファーから立ち上がった彼は一回だけ私と目を合わせて部屋を出て行った。
さすがに居づらいと思ったのだろう。
または私に気を使って一人にしたのだろうか。
きっと彼の事なら後者だろう。

バタン、と扉の閉まる。
その音がとても残酷なものに聞こえた。
一人きりになった部屋にはオルゴールの音色だけが残る。

「……あーあ」

千載一遇のチャンスは結局失敗に終わってしまった。
涙が一筋、頬を伝った。
その一筋を皮切りに両眼からは涙がボタボタと零れた。
胸がとても痛い。
言葉で言い表せないほど哀しかった。
だけど、後悔はしていない。
伝えなければ良かったなどとは思わない。
それだけは断言できた。



目を開けると、いつもの自室の光景が視界に広がった。
頭の中では相変わらずオルゴールの音色が流れている。
あの日のことは一日だって忘れたことはなかった。
忘れることが出来なかった。
未練がましくも私は振られた後でも彼の事が好きだった。

視線を落とす。
私の手にはひとつ折りにされた一枚の紙がある。
それを広げて見ると懐かしい字が綴られていた。
これは彼が私に残した手紙だ。
手紙にはたった一言しか書かれていない。

“俺もナマエが好きだった”

たったそれだけ、彼の綺麗な字で書かれていた。

「酷いなぁ…」

こうやって手紙を残した彼は、もう居ないのだから。
居なくなってから愛の言葉を残すなんて残酷だ。
彼の言葉はきっと、一生私を縛り付けるだろう。
もう手の届かない人に私は恋し続ける。

「ねえ、ブチャラティさん」

無意識に手に力が入っていて、手紙にシワが寄っていた。
力を抜くと不格好になってしまった手紙が姿を現した。

「好きです」

返事なんか当然返ってこない。
私にあるのは彼が遺した愛の手紙だけだ。

ブチャラティさん。
本当は直接「好き」って言ってほしかった。
でも…もう良いの。
このままこの部屋で時を止めたまま、私は貴方の思い出と生きていく。
それが間違った事なんだとしても、私はこのままでいる。

オルゴールの音色がゆっくりになる。
途切れとぎれの音色が最後の一音を鳴らすと、もう二度と鳴ることはなかった。
私のオルゴールは貴方と共に、一生動くことはなくなったのだ。



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