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▼ 02

幼い頃から、ナマエは感情を表に出すのが苦手な子どもだった。
どれだけ感情が動いても表情に出ることは殆どなく、そんなナマエのことを彼女の母親は「気味が悪い」と口にした。

ナマエは考えた。
自分が気味が悪いから母親は滅多に家に帰ってこないのだと。
幼いながらにどうすれば良いのだろうと必死に考えた末にナマエは笑うことにした。
家にある数少ない絵本の中の登場人物は、みんな笑っていて、みんな誰かに愛されていた。
ナマエも絵本を真似して笑顔を浮かべてみたが、結局母親の関心がナマエに向くことはなかった。

それなのに久々に帰ってきたと思ったら知らない家に連れて行かれて「この子と仲良くしなさい」などと言うのだから勝手なものだと、当時のナマエは思っていた。
――それでも母親からの愛情を求めずにいられなかった。
ナマエの小さな世界の中で母親だけが全てだった。
ずっと、愛されたかった。

「……嫌な夢」

フ、と眼を覚ましたナマエはポツリと呟いた。
母親からの愛情を求めていた幼い頃の夢を今更見るなんて馬鹿げている。
目尻に浮かんでいた涙を拭いながら、そう他人事のように考えた。

ベッドから起き上がったナマエは勉強机へと視線を向けた。
勉強机の上には白い封筒が置かれている。
昨日、クラベル校長から渡されたものだ。
送り主はナマエの母親と同じ研究所の人間らしく、学校に届けられたものが校長経由でナマエの手元へと送られた。
中身はまだ見ていない。
見る勇気がナマエには無かった。

封筒から視線を外したナマエは、気が進まないといった様子でノロノロと身支度を始めた。
顔を洗って歯を磨き、着替えを済ませて次は髪を――と洗面台に向かったナマエは面倒くさそうに溜息を吐く。
毎朝毎朝、ナマエは自身の長い髪を整える時間が億劫で仕方がなかった。
鏡を見ながら、なんでこんな面倒な事をしているのだろうかと考える。
思い出すのは、幼い頃の記憶だ。

――幼い頃からナマエの髪は長かったが、結ったことはなかった。
そもそも結い方を知らず、それ故に髪を結ぶという考えにさえ至らなかったのだ。
そんな時、まだ幼かったペパーが「絶対ナマエに似合う」と言って絵本のイラストを指差した。
そのイラストは髪を二つに結った女の子の絵だった。
同じ髪型にしようと言うペパーの提案にナマエが結び方を知らないと答えると、ペパーが拙い手つきで代わりにナマエの髪を結ってくれたのだ。
お世辞にも綺麗な出来とは言えなかったが、それでもペパーが「かわいいちゃん」と褒めるものだから、その日から練習して自分で結ぶようになった。
ペパーに褒められたからではなく、ペパーに好かれるためだけに練習し、そして今日までずっとこの髪型を維持してきた。

しかし昨日、ペパーとの幼馴染の関係を終わらせたのだから、もう彼に好かれる必要は無くなった。
この髪型を続ける必要も、もはや無いのだ。
そう考え、ナマエは今日は髪を下ろしたままにしようと、手で纏めていた髪を放した。

「髪も切っちゃおうかな……」

ポツリと呟いた言葉は静かな室内の中では酷く大きく聞こえ、ナマエは言いようのない気持ちに襲われた。
それは不安のような焦りに似た感情だった。
毎日続けていた髪型を止めるだけなのに何故こんな気持ちになるかナマエには解らなかった。
落ち着かない気持ちを打ち払うように軽く頭を振り、いつもより少し早いが鞄を手にとって追われるように部屋を出た。

「……おはよ」

ナマエが部屋から出るとすぐに声を掛けられた。
声の主がペパーであることはナマエにはすぐに解った。
何年も毎日顔を合わせている人間の声を間違えるはずもない。
ナマエは一拍置いてから「おはよう」と挨拶を返した。

「いつから部屋の前にいたの?」

「……ちょっと前から」

ナマエの問いにペパーは少し気まずそうに視線を逸らしながら答えた。

「あはっ、ストーカーみたい」

「悪いかよ」

ペパー自身も自覚があるのか、その表情は気まずさを増している。
しかし内心少し安堵もしていた。
“幼馴染のカンケーもおしまい”と言われ、最悪言葉も交わしてくれなくなるのだと思っていたが、そんなペパーの予想に反してナマエはいつも通りの受け答えをしてくれている。
それだけで、まだ救いがあるような気がした。

「教室……一緒に行ってもいいか?」

「ダメって言ってもついてくるでしょ?」

同じクラスなんだから、と言うナマエにペパーはその通りだと苦笑した。

「好きにしなよ」

そう言ってナマエが歩き出すと、ペパーもそれに倣って歩き出す。
いつもならば隣同士並んで歩くのだが今日はどうしても隣を歩く勇気が持てず、ペパーはナマエの半歩後ろを歩いた。
一昨日までは一緒にいるとどちらともなく会話を始めていたのだが、今日はペパーもナマエも沈黙している。
ナマエは兎も角、ペパーの方はなんと声を掛けるべきか決めあぐねており、伺うようにナマエの方を見ては視線を逸らすを繰り返していた。
そしてそのうち、意を決したようにペパーは口を開いた。

「……今日、髪下ろしてんだな」

言いながら、ナマエが髪を下ろしているところなんていつぶりに見ただろうかとペパーは考えた。
当然寝る時は髪を下ろしているから、一緒に暮らしていた時は毎日のように見ていた。
しかし寮生活になってからは部屋が別々になってしまったので、かれこれ一年以上見ていなかったかもしれない。
そう考えるとなんだか新鮮であると同時に、どこか落ち着かない気持ちにさせた。

「そういう気分だったから」

「そっか……」

意を決して会話を切り出したペパーとは対照的に、ナマエはアッサリと言葉を返した。
訊かれたからただ答えただけの機械的な返事。
言葉を交わしてくれるだけマシだとペパーは考えていたが、これはこれでやはり悲しいものがある。
そんな暗い気持ちを無視しながら更にペパーは言葉を続けた。

「もういつもの髪型しねーの?」

「しないよ」

キッパリと言い切るナマエの言い方にペパーは違和感を覚えた。
そういえばナマエは自分が何かを訊くといつも決まって「どうしようかな」と一度考える素振りを見せることを思い出す。
それに対してペパーが意見を述べると「じゃあそうしようかな」と言ってペパーの意見を必ず受け入れていた。
それもペパーに合わせていただけなのだと、今ならよく解る。

「へえ……良いと思うぜ、下ろしてる方が似合ってる」

そう言ってみたが、ペパーの本音は実際は逆だった。
髪を結っているナマエの方が好きだし、そっちの方がナマエらしくて似合っていると思っている。
しかしナマエが自分で決めたことだからとペパーは自分の本心を隠して褒め言葉を口にした。

「フーン」

ペパーの言葉に興味なさ気に相槌を打ったナマエだったが、その心は再び言い様のない感情に襲われていた。
悲しいようで、それでいて怒りたくなるような、そんな感情だ。
なんでこんな気持ちになってしまうのかと考えてみても一向に答えは見つからず、だからといってペパーに訊くのも嫌だった。
ペパーの言葉一つでこんなにも感情が掻き乱されている事を知られたくないと思ったのだ。

それから教室までの道中、何度か話題を振ってくるペパーに相槌を打ちながらナマエはずっと自身の感情の変化の意味を考え続けたが、結局教室に着いた後も答えに辿り着くことはなかった。



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