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▼ 幼馴染の信ちゃんが諦めてくれない

偶然再会した私の黒歴史の象徴である幼馴染の信ちゃん。
出来れば関わらずにこのまま一年間やり過ごしたいと心の底から願っていたけれど、同じクラスの隣の席という立ち位置がそんな私のささやかな願いを許してくれず、毎日信ちゃんと関わることを余儀なくされていた。

「名前ちゃん、おはよう」

朝、教室に入ると信ちゃんは他のクラスメイトと挨拶を交わし、最後に席に着いてから私におはようと言う。
幼少期の約束を大事に覚えていたこともあって、私以外と挨拶しないだとか、他の人よりも真っ先に挨拶してくれないと嫌だとか、そんなヤンデレ・メンヘラ系男子に育っていたらどうしようかと頭を抱えた時もあったけど、そんなのは杞憂で信ちゃんは至って普通の態度で私に接してくる。

「おはよう、信ちゃん。 今日も朝練あったん?」

「うん」

「そっかぁ、朝から頑張ってて偉いなぁ」

朝練の後とは思えない、疲労なんて一切表に見せない信ちゃんの姿を見ていたらつい本音が漏れた。

こう見えて早起きが苦手な私はいつもギリギリまで寝ていたいタイプの人間だ。
それに引き換え、信ちゃんは朝練のために私よりも一時間、もしくはもっと早く起きている。
それだけで十分凄いのに、信ちゃんの所属する男子バレー部は強豪と聞く。
きっと練習メニューもなかなかに過酷なものなのだろう。
なのに平然とした顔で全てこなしてしまう信ちゃんに尊敬の念を抱くのは当然のことだった。

「えらい?」

「うん、偉い」

子どものようにオウム返しする信ちゃんに頷いてみせると、信ちゃんは頭を少し私の方へと傾けた。

――ああ、普通に接してくれん時もあるなぁ、そういえば。
そうぼんやりと考える。

どうやら信ちゃんは私に褒められながら頭を撫でられるのが大変お気に入りらしく、事ある毎にこうやって頭を撫でてと催促してくるのだ。
なんでこんなことになったん?なんて考えてみたけど、幼少期に信ちゃんの初恋を奪おうと事ある毎に「えらいえらい」と頭を撫でまくった自分のせいだと気付き、私は何も言えなくなった。

観念してソ、と信ちゃんの頭に手を置き、何度か優しく往復させると、信ちゃんは満足げに目を細めた。
初めは「あの北信介が女子に甘えている!?」とざわついていたクラスメイト達も今ではすっかり慣れたもので、日常の一部として特に気にされることもなくスルーされ、付き合ってると勘違いされる始末。
否定しようにも当事者である信ちゃんが否定しないもんだから私が何を言っても照れ隠しにしか取られなかった。

なんだか少しずつ外堀を埋められているような気がするなぁ。
そんな自分の考えがあながち間違いではないと知るのは、その日の昼休みのことだった。


「今日家に来ぉへん?」

いつも通り教室で隣同士並んでお弁当を食べていると、信ちゃんがとんでもない爆弾を投下した。

「……え?」

ぽとり、と箸で摘んでいたからあげがお弁当箱に帰っていった。
ああ、危なかった。
机の上にでも落ちていたら貴重なおかずが一品消え去ってしまうところだった。

信ちゃんの爆弾発言にどう反応していいのか分からず現実逃避するようにからあげの無事を喜んでいると、信ちゃんが「今日な、部活休みやねん」と更に言葉を続けた。

「あ、あんな今日……」

「来てくれるやろ?」

このまま現実逃避を続けたら退路を断たれてしまう――そう思って慌てて口を開いたのに、私が全部言い切らないうちに信ちゃんが言葉を被せてきた。
信ちゃんの言葉から感じる圧。
断るなんて許さないと言われているような雰囲気に思わず箸を持つ手に力が入った。

「あは……ちょうど今日信ちゃんの家遊び行きたいって思てたんよ」

再会した日から時々感じる信ちゃんからの圧が私は苦手だった。
まるで“自分の心を弄んだのだから断るなんて許さない”と責められている気持ちになる。
私の考えすぎかもしれないけど私が信ちゃんの心を弄んだのは紛れもない事実で、この圧を感じるとどうしても信ちゃんを拒絶することが出来なかった。

そんな私の心情を知らないであろう信ちゃんは「そおか、気ぃ合うなあ」なんて言いながら少し口角を上げた。





「名前ちゃん、帰ろか」

「う、うん……」

ああ、ついに下校時間が来てしまった。
まるで断頭台に上がるような気持ちで席を立ち、信ちゃんと共に教室を出る。
今にも死にそうな私の心情とは裏腹に信ちゃんはご機嫌な様子で「楽しみやなぁ」と口にした。
「せやね」と当たり障りのない言葉を返し、せめてもの抵抗として信ちゃんの半歩後ろを歩いていると、校門を抜けた辺りでピタリと信ちゃんが足を止めた。
それに倣って私も足を止めると、信ちゃんがゆっくりと振り向いた。

「手ぇ繋がへん?」

お昼休みに続いて二度目の爆弾の投下に、ひくりと喉が詰まるような感覚を覚えた。

え、なんで今日こんなに爆弾投下するん?
さては今日の星座占い最下位やったか?
そんな風に現実逃避をすると、信ちゃんが静かに私の名前を呼んだ。

「名前ちゃん」

催促するように信ちゃんは右手を私の方へ差し出した。
幼い頃の私と然程大きさの変わらないふくふくとした柔っこい手の面影なんかどこにも無い、男の人の大きな手。
この手を一度でも握り返してしまったら本当に信ちゃんから離れられなくなってしまう――そんな不安が私の思考を占拠する。
この手を取ったらダメ、絶対に。

「あ……あかん、信ちゃん、手ぇ繋ぐのはあかんよ」

必死に搾り出した言葉に信ちゃんはス、と少し目を細めた。
咎めるようなその視線がとても痛くて、私は信ちゃんから視線を逸らした。

信ちゃんがこうなったのは考え無しな幼少期の私のせい。
歪んだ初恋を信ちゃんの心に植えつけてしまった罪悪感は確かにある。
だけどその罪悪感に従うままに信ちゃんの言葉に頷いていたら、きっとこれから先ずっと信ちゃんから離れられなくなるだろう。
家に行くことを承諾してしまった今からでは少し手遅れかもしれないけど、それでも少しずつで良いから信ちゃんから距離を取らなければ。
そう決意し、自分を奮い立たせようと強く手を握った。

「……そおか」

ぽつりと呟いた信ちゃんの声に、私は視線を上げた。
どうやら信ちゃんは手を繋ぐのを諦めてくれたようで、差し出されていた手も下げられていた。
ホッと安堵の息を吐く。

「まだ手ぇ繋ぐのは早かったか、すまんな」

「う、うん……気にしてへんよ、大丈夫」

少しぎこちない空気を感じながら、どちらともなく再び歩き出す。
バス停まであと少し――それまでこの気まずい空気に耐え切れるだろうか。
そう思いながらチラリと隣を歩く信ちゃんの方へ視線を向けると、運悪くパッチリと視線が交わってしまった。

「名前ちゃん」

「あ……な、なに?」

「約束、ほんまに守ってくれるん?」

グ、と言葉が喉につっかえた。
信ちゃんに疑われている――そう瞬時に理解した。
なんと答えるべきか思考をめぐらせる私を信ちゃんはただジッと見つめた。

また、互いの足が止まる。
このまま無駄な時間を過ごしていたらバスの時間が過ぎてしまうのは解っているのに、私はただ信ちゃんの目を見つめ返すのが精一杯で言葉一つ口にすることが出来なかった。

「名前ちゃん、約束したやろ」

痺れを切らしたのか、信ちゃんが小指を立てた右手を私の方へ差し出した。

再会したあの日、私はこの小指に自分の指を絡めた。
だけど、そもそもそれが間違いだったのだ。
本当に信ちゃんの心を弄んだ事を申し訳なく思うのなら、あの時信ちゃんを拒絶するべきだった。
今が、再び訪れたチャンスだ。
ここで信ちゃんをちゃんと拒絶出来たら、彼を歪んだ初恋から解放できるかもしれない。
ちゃんと、言わなあかん。

「ご……ごめん、信ちゃん。 私、約束守れへん……ごめん」

言葉がつっかえ、声を少し震えそうになったけれど信ちゃんの目を真っ直ぐ見て伝えると、信ちゃんは大きく目を見開いた後、すぐに悲しそうにくしゃりと表情を歪めた。
その表情に罪悪感が私の心臓を突き刺していく。
ずきずきと痛む心臓を無視して無言を貫いていると、差し出されていた信ちゃんの手がフ、と力が抜けたように下げられた。

「すまんな」

ぽつり、と信ちゃんが言葉を零す。
何に対する謝罪の言葉なのか分からず小さく首を傾げると、信ちゃんが一歩私に歩み寄った。
元々離れていなかった距離が更に縮まり、私の視界に信ちゃんの影が落とされる。

「信ちゃ……」

「今更、諦めてやれんわ」

そう言って私を見下ろす信ちゃんの目は酷く暗い陰を帯びていて、私は自分の選択が間違っていたことに気付いた。

ああ、どうしよう――取り返しのつかんことになったかもしれん


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