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▼ 06

言葉を交わし、スキンシップを交わし、恋人らしく振舞うことに大分なれてきた頃――ふと、疑問が浮かんだ。
なんだか束縛が強くなっている気がするんじゃないか、と。

少し前までは何ともなかったのに、最近は宮侑の前でスマホを触るとさり気なく取り上げられ、一緒に映画やテレビを観ようとしても彼との会話に夢中になって気付いたらテレビの電源が落とされていることが多い。
買い物に行ってくるね、と連絡をすると高確率で「名前の家行く前に俺が買って来る」と返信が来る。
宅配便を受け取るのさえ嫌がる素振りを見せる時もあった。

少しずつ、だけど確実に彼の独占欲は悪化している。
そう気付くと、私の背筋にゾクリと冷たい感覚が走った。

「どうしよう……」

私がやっていたことは無駄だった?
気付かないうちに私は宮侑の心を傷つけてしまっていた?
宮侑の心を癒すには高校時代のように、恋人らしく振舞うのが一番だと思っていた。
辛い思い出を消すには、幸せな感情で塗りつぶすのが有効だと思ったから。
だけど、余計に酷くなってしまった――そう感じてしまうのは私の勘違いではない、のだろう。

スマホをテーブルの上に置く。
位置情報を共有しているこのスマホはこのまま“家に忘れた”ことにする。
今の宮侑がそんな私の嘘をどこまで信じてくれるか分からないけど、持っていくより断然マシだ。

鞄を手に取り、家を出た。
相談に乗ってくれるかどうかは分からないけど私には彼しか頼る相手がいない。
どうか門前払いされませんように――そう願いながら私は“おにぎり宮”へと向かった。



前に来た時と同じ時間帯に店に着き、私は息を吐きながら“おにぎり宮”の暖簾を見た。
あの時は幸いお客さんが居なくて落ち着いて宮治と話せたけど、今日はどうだろうか。
不安な気持ちを抑えながら、私はゆっくりと引き戸を開けた。

「いらっしゃ……なんや、名前やん」

「名前?」

店内には宮治の他にもう一人居た。
その人はカウンター席に座り、少し驚いたようにパチクリと目を見開いている。
そんな彼の姿を見ると高校時代に戻ったようにピシ、と背筋が伸びた。

「お、お久しぶりです、北さん」

戸を閉めてからお辞儀をすると彼――北信介は「久しぶりやなぁ」と目を細めた。
彼に会うのは確か私達の代の卒業式以来だ。
なんだかんだ会う機会に恵まれなかったというのもあるが、なにより女狐が浮気をするようになってからは意識して避けていたんだと思う。
浮気してるなんて北信介に知られたらどうなるか――流石の女狐も北信介の正論パンチを怖がっていたらしい。

「今日は飯食いにきたんか?」

北信介から二つほど間を空けてカウンター席へ腰を下ろすと、宮治がどこか探るような視線を向けながら訊いてきた。

「それも、ある」

食事以外に用事がある――そう含ませた言葉に宮治はピクリと眉を動かした。
多分私の表情を見て“良い話”ではないと察したのだろう。
険しい表情のまま「ご注文は?」と問われ、慌てて「おかかと梅」と答える。

「ちょお待っとり」

そう言いながら私の前に温かいお茶とおしぼりを置くと、宮治は厨房の方へと引っ込んでいってしまった。
北信介と私だけがこの場に残され、私の中に緊張感が走る。
おしぼりで手を拭きながらソワソワと落ち着きなくしていると、不意に「そういえば」と向こうから声を掛けてきた。

「は、はい?」

「なんや結構変わったって聞いとったけど、そんなことないなぁ」

「そ……れは」

チラリと窺うように北信介へ視線を向けると彼はどこか懐かしむように目を細めていて、私が浮気していたことを知らないのだとすぐに解った。
北信介の中で私は変わらず真面目で頑張り屋さんな苗字名前なのだ。
そんな彼を裏切るような相談事を、これから私は宮治にしようとしている。
このまま北信介の前で相談して良いのか、それとも帰った後にするか――でもあまり長居すると宮侑から連絡が来るかもしれない。
言い訳を用意しているとはいえ、出来るだけ宮侑を不安にさせる事態は避けたい。

「……北さん」

「なん?」

「私、浮気しとったんです」

悩んだ末、彼にも事実を話すと厨房の方からガチャン、と何かが落ちる音が聞こえた。
多分私の声が宮治にも聞こえたのだろう。
だけど北信介は厨房の音に気付いてもいないのか、ただ猫のように目を丸めて私の方を見ていた。

沈黙が流れる。
どんな正論パンチも受け止めようと、膝の上で握り拳を作り、グッ、と力を入れた。
数秒の沈黙を経て、漸く北信介が口を開く。

「…………そぉか」

それは正論パンチでも何でもない、ただの相槌だった。
拍子抜けした気分で思わずポカンと口が開けていると、厨房から宮治が戻ってきた。

「北さんになんて話ししとんねん」

「ごめん……ちょっと相談したかってん」

「……メシ食うてからにしや。 俺の店でシケた面でメシ食うなんて許さんで」

そう言って宮治は私の前にお皿を置いた。
ホカホカと温かそうなおっきなおにぎりが乗っている。
おにぎりを見た瞬間、さっきまで鳴りを顰めていたお腹が急に空腹を訴え出した。
我ながら単純だと少し呆れながら「いただきます」と手を合わせた。

大きく口を開け、パク、とおにぎりを頬張った。
おかかの甘辛い味付けが口の中に広がる。
美味しくて思わず一口目を飲み込まないうちにもう一口かぶり付いた。
ほくほくと頬が緩んでいくのを感じる。

あっという間に一個ぺろりと平らげた後、やけに静かなことに気付き、二人の方へ視線を向けた。

「えっ、な、なに?」

宮治だけでなく北信介まで私の方を見ていて、グッ、と喉が詰まりかける。
慌ててお茶を飲んで気持ちを落ち着けると、北信介がどこか楽しそうに「大丈夫か?」と声を掛けてきた。

「だ、大丈夫です……あの、北さんも治くんも何で二人してこっち見とったんですか?」

「ああ、すまんな。 相変わらず美味そうに食うとるなあ思て、つい見てもうたんや」

そう言って相変わらずニコニコ笑う北信介から視線を外し、宮治の方を見る。
すると彼も嬉しそうにニコリと笑いながら「あそこまで美味そうに食うてもらったら料理人冥利に尽きるわ」と口にした。
とりあえず悪い視線でなかったことに安堵する。

「えっと、食べ辛いんで二人とも他所見とってください」

そう告げ、残りの梅おにぎりを頬張った。



「ごちそうさまでした」

食べ終わり、手を合わせると「ええ食べっぷりやったな」と言いながら宮治がお皿を下げた。

「そんで相談ってなんや」

お茶を飲んで一息ついたタイミングで北信介がそう切り出した。
彼の冷静な目が私を捉える。
まるで心の内まで見透かされてしまいそうなその目に思わず視線を逸らしてしまいそうになった。

「……侑、のことです」

ぽつりぽつりと話し始める。
女狐が浮気したことも、宮侑の心の傷を癒したら別れるつもりなのも、そして――彼の悪化した独占欲のことも、全部。
話し終えた時、最初に口を開いたのは北信介ではなく宮治の方だった。

「そらそうやろ」

「え……?」

「一度心が遠ざかった恋人目の当たりにしたから、幸せな今に執着するんやろ?」

当然や、と当たり前のように告げる宮治に目を見開いた。

――想像もしてなかった。
失った事のある人間が、どんな気持ちを抱くのかなんて。
当たり前のように幸せな感情で上書きできると思っていた。
だけどそれは逆効果で、宮侑の執着心を刺激しただけだった。
じゃあやっぱり私のしてきたことは無駄だったのか。
あの時――記憶が戻った時に無理矢理にでも別れてしまった方が良かったのだろうか。

ぐるぐると思考が回り、上手く考えが纏まらないでいると、それまで黙り込んでいた北信介がおもむろに口を開いた。

「……これは侑と名前、二人のことやから外野がとやかく口を挟むことやあらへん、と俺は思う」

せやけど、と更に言葉が続く。

「相手の幸せを勝手に決め付けて一方的に終わらせるのは、あまりに勝手やと思うで」

「そう、ですね……」

北信介の言葉が重く胸にのし掛かった。
宮侑にとって何が幸せなのか、私には到底知り得ないこと。
幸せな感情で悲しみを塗り潰せるだなんて思いあがりもいいところだ。

「……帰って、ちゃんと侑と話してみます」

話したら余計に拗れてしまうかもしれない。
だけど何も知らずに勝手に決め付けて行動するより、断然良いと今なら思う。

「北さん、治くん、ありがとうございます」

お礼を告げると治くんは複雑そうな顔で、北さんは優しい顔で「頑張りや」とそれぞれ激励の言葉を送ってくれた。


――おにぎり宮を後にして数時間後、既に帰宅済みの私はスマホを手に宮侑からの連絡を待っていた。
多分今日は家に来ると思うし、いつもならそろそろ連絡があるはずだ。
不安な気持ちがないといえば嘘になる。
ちゃんと話せるだろうかと深く息を吐いたその時、スマホから着信音が流れた。
画面には“宮侑”の名前が表示されている。
電話に出て、いつも通り「入っといで」と促し、自分も玄関へ向かった。

「おかえり、侑」

扉を開けた宮侑に声を掛けると、彼はいつも通りの嬉しそうな顔で「ただいま」と返してくれた。
扉が閉まり、鍵をかける音が嫌に大きく聞こえる。
きっと緊張しているせいだろう。

「どないしたん?」

いつもならお出迎えのキスをしているところ、だけどそんな素振りを見せない私を怪訝に思ったのか宮侑が首を傾げた。
――目が合う。
どうしようもなく鼓動を速める心臓に急かされながら、ゆっくりと口を開いた。

「――ちょっと、話しせえへん?」




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