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▼ 治ちゃんの初恋を奪う

秘密の共有というのは親密な関係を築くのに有効な手段の一つらしい。
そんな話をネットで目にした時、宮治は「確かになぁ」と一人納得した。

治には忘れられない女の子がいる。
それは同じ保育園に通っていた同い年の女の子だ。
十年以上も前の初恋をいつまでも引きずっているなんて双子の片割れの耳にでも入ったら最後、向こう三年はからかわれることになるから誰にも言ったことのない、治一人の――いや、治と初恋の彼女、二人だけの秘密だった。

初恋の彼女、名前はよく「侑ちゃんには内緒やで」と言って治にだけお菓子をくれた。
自分にだけくれるという特別感と双子の片割れには内緒だという優越感――その二つに治が心を掴まれるまでそう時間は掛からなかった。

名前からお菓子を貰うたび、お菓子と一緒に名前からの愛情も貰っている気分だった。
双子だからと、いつも治が貰うものは侑と半分こ、それか全く同じものだった。
しかし名前から貰うものは侑には内緒の、治だけのものだ。
お菓子も愛情も自分だけのもの。
そう実感してから、治は名前からお菓子を受け取る時間が一番好きな時間になった。

そして、忘れもしない“最後”のバレンタインの日。
子ども向けのキャラクターの缶箱に入ったチョコを侑と治、二人に贈ってくれた名前だったが、後で二人きりになった時に治にだけもう一つチョコをくれたのだ。
親に買ってもらった缶箱のチョコと違い、自分のお小遣いで買ったのだと少し恥ずかしそうに頬を染めていた名前を見た瞬間、治の中の名前の付いていなかった感情に“恋”という名前が付けられた。

「侑ちゃんには内緒な?」

いつも通りのお決まりの台詞を言う名前にコクリと頷いた治は、一歩名前に近付き、その顔をじっと見つめた。
ほんのり赤くて、ふくふくとまん丸で柔らかそうな名前の頬っぺた。
治もよく大人達に「ほっぺがまん丸でかわええなぁ」と言われるが、名前の頬っぺたの方が自分より随分可愛らしく見える。
「どうしたん?」と名前が不思議そうに首を傾げるのと同時に、治はその可愛らしい頬っぺたにちゅむ、と唇を押し当てた。
唇を離すと、パチクリと目をまん丸にした名前と目が合い、治は照れくさそうに「あつむには内緒やで」と微笑んだ。

「侑ちゃんに内緒が増えたなぁ」

そう言って名前もニコリと笑い返してくれた。

その日から治は名前と二人きりになると頬っぺたにキスをするようになった。
本当は頬っぺたではなくて唇にしたかったけれど、母親から「唇にチューしてええのはお嫁さんになる子だけやで」と言われたことがあり、治はその言葉を律儀に守っていたのだ。

(どうしたら名前ちゃんおよめさんにできるんやろ)

そんな事を考えることが多くなり、治はこっそりと母親に訊いてみることにした。
「あつむには内緒にして!」と何度も訴えながら母親の耳元でコッソリと声を潜める。

「名前ちゃんおよめさんにしたいねん」

幼い息子の可愛らしい初恋を知った母親は思わず「あらぁ」と弾んだ声を上げ、ゆるりと頬を緩めた。
「どうすればええの?!」と必死に訊ねてくる息子の頭を優しく撫でながら、母親は「せやなぁ」と口を開く。

「大人にならんとお嫁さんに出来んから、それまで大事ぃにしたり。 名前ちゃんの嫌がることは絶対にしたらあかんで」

「だいじにしたら、およめさんなってくれるん?」

「名前ちゃんがお嫁さんになってええよって言うてくれたらなぁ」

母親の言葉に治はパァッと目を輝かせた。
次の日、早速名前に「およめさんになって」と伝えると、名前はニコリと笑って「ええよぉ」と承諾してくれたのだった。
名前ちゃん、およめさんになってくれるんや!
嬉しくて胸がドキドキして、幸せな感情でいっぱいになる。
この時の治は、名前はずっと自分と一緒にいてくれるのだと信じて疑わなかった。
しかしそんな思いはあっさりと裏切られることになる。

卒園し、小学校に進学すると名前の姿はどこにもなかったのだ。
何度も探したのに一向に名前の姿を見つけられず、家に帰って母親に「名前ちゃんが居らへん」と伝えると「名前ちゃん学区がちゃうから別の小学校やろ?」とあまりにも無情な言葉が返ってきた。
あれだけ仲が良かったから違う小学校に進学することを知っていると思っていたらしく、絶望に染まった治の表情に母親も目を丸くしていた。
名前の家の大まかな場所は分かるが詳しい住所は知らず、会いに行くことすら難しい状態。
母親は「きっとまた会えるで」と慰めの言葉を口にしながら今にも泣きそうな息子の頭を撫でてやることしか出来なかった。

それから気を遣ってか母親の口から名前の名が出ることはなく、家で名前の話題が上がることはなくなった。
しかし治の中から名前という存在は消えておらず、むしろ離れ離れになったことによりその存在は大きくなっていった。
たかが幼少期の淡い初恋ーーされど、忘れられない特別な初恋。
執着心が強く根付いてしまって取り除くことのできなくなった恋心は、治の成長と共に歪に形を変え、あの頃のような綺麗な形を保てなくなっていた。

初めて出来た自分だけの特別な存在。
絶対に見つけ出してやる。
見つけたら、もう二度と手放してたまるか。
そう強く誓った治の前に名前にそっくりの少女が現れたのは、高校に進学して数ヶ月が経った頃だった。

入学してまだ数ヶ月しか経っていないが、治は度々告白されることがあった。
そして放課後は部活があるからと呼び出しにも応じてくれないことを知っている少女達は、決まって昼休みに治を呼び出すのだ。

今日もそうだった。
靴箱に入っていた手紙に“昼休みに校舎裏で待ってます”と女子特有の丸っこい字が書かれているのを見て、渋々昼休みに校舎裏へと向かった。
校舎裏には違うクラスの女生徒が一人立っており、顔を赤らめて「宮くんのこと好きやねん」とお決まりの台詞を吐かれる。
それに対して治が返す言葉はいつも同じだ。

「すまんけど、好きなやつおんねん」

表情も変えずに告げられた言葉に女生徒はくしゃりと表情を歪めると「そっか」と一言だけ言い残し走り去って行った。
毎回こうなるのだから誰か“宮治には好きな相手がおるから告白しても無駄”と広めてくれないだろうか。
治がぼんやりとそんなことを考えながら踵を返すと、校舎の陰から一人の女生徒が顔を覗かせていた。
パチリと視線が交わった瞬間、治は思わず息を飲んだ。

「名前ちゃん……?」

その女生徒は、あまりにも初恋のあの子にそっくりだったのだ。





高校に進学して数ヶ月、友達に「告白するからついて来て」と泣きつかれ校舎裏まで同行することになった。
まだ入学して数ヶ月なのに好きな人が出来て、しかも告白までするなんて行動力が凄いなぁ。
そんなことを考えながら、少し離れた場所で待機していると「すまんけど、好きなやつおんねん」と声が聞こえた。
ああ、そっか、フラれちゃったのか。
今日は失恋カラオケ直行やな、と走り去る足音が遠ざかっていくのを聞きながら――あれ?
慌てて校舎の陰から顔を覗かせ、友人の姿を確認する。
なんと彼女は私がいる方とは全く反対方向に走り去っていた。
いや、待って、動揺しているのは分かるけど私を置いてどこに行くん。
追いかけて行きたいけど“ミヤくん”を横切らなければあの子を追いかけれない。
流石にちょっと気まずいぞ、と二の足を踏んでいたらクルリとミヤくんが振り返った。

「あ……」

目が合う。
ミヤくんもまさか人が見ていたとは思わなかったのだろう。
驚き、目を見開いている。

「名前ちゃん……?」

「えっ?」

「名前ちゃんやろ!?」

「ひっ」

凄い勢いで走り寄ってくるミヤくんに、つい悲鳴が上がる。
近くで見るとメッチャでっかいな?!
大きな体格も相まって余計に恐怖心が浮かぶ。
そもそもなんで私の名前知っとるん、その時点でメッチャ恐怖やわ。

「え、知り合い、やっけ……?」

恐る恐る訊ねると、ミヤくんは大きく目を見開いた。
そしてすぐにその表情は泣きそうなほど悲しげに歪められる。

「お嫁さんになる言うてくれたのに、俺のこと忘れたん……?」

「およめさん……?」

なんやそれ、そんな約束した覚え――そこまで考えて、ふと思い出す。
それは記憶の奥の奥のずーっと奥の方に仕舞い込んでいた黒歴史の記憶。
転生して、慣れない幼児体験によるストレスで荒み切っていた時期に「せや、幼児の初恋奪ったろ」と最低な思いつきを実行したのだ。
その哀れな被害者に私が選んだのは双子の兄弟の、ちょっぴり食いしん坊な子だった。
名前は確か――

「おさむ、ちゃん……?」

呼ぶと、彼はさっきまでの泣きそうな表情とは打って変わって心底嬉しそうに表情を綻ばせた。

いや待って、ちょっと頭が追いつかない。
友達がフラれた相手が幼い頃に私が初恋を奪った男の子で、その男の子が律儀に私の名前と「お嫁さんになる」って約束を覚えてて――え、治ちゃん記憶力ヤバない?

「ずーっと会いたかったで」

なんで、と訊けそうにない雰囲気に何と返せば良いのか分からず、とりあえず「あ、ありがとぉ」と返す。
声が引き攣ってしまったのは仕方がないと思う。

「名前ちゃんは? 俺に会いたくなかったん?」

「え、いや……」

さっきから嫌な予感がして仕方がない。
私の第六感が危険信号を出している。
なんと答えても治ちゃんの地雷を踏み抜いてしまうような、そんな感覚だ。

そもそもどうして治ちゃんは私に会いたかったのか――そう考えて浮かぶのはやはり“怒っている”からだと思う。
高校生にもなって幼少期の恋心を弄ばれた怒りがぶり返したりするだろうかという疑問は残るけど、ただ単に初恋の女の子に会いたかったという前向きな言葉なのだとしたら、私の中から溢れ出る嫌な予感の説明がつかない。
私の考えすぎで、自分の直感を過信しすぎてるだけ?本当に?

「わ、私も治ちゃんに会いたかったわ、おんなじやなぁ」

とりあえず治ちゃんの言葉に同調することにした。
これで不快感を示すようなら治ちゃんは恋心を弄ばれたのを怒っていて、そうじゃないなら初恋の女の子に再会できてテンションが上がっているだけ。
さあどっちだ、と昔と比べて随分と高い位置にある治ちゃんの顔を見上げた。

「おんなじやなぁ、嬉しいわ」

そう言って治ちゃんが嬉しそうに顔を綻ばせたのを見てホッと息を吐いた。
よかった、怒っているわけじゃないんだ。
自分の勘違いだったことに安堵していると、不意に私の視界に影が差した。

「え?」

影の正体は治ちゃんが少し身を屈めて私に顔を近づけたからだった。
驚き、咄嗟に押し退けようと手を伸ばすと、あっさり手首を掴まれて不発に終わる。
おっきな手に拘束されるように掴まれたせいか、ギクリと身体が固まってしまって言うことを聞かない。
何をされるのか分からず、ただギュッと強く目を瞑った。

――ちゅ。

頬に触れた柔らかいもの。
そして短く鳴ったリップ音にパッと目を開くと治ちゃんの顔がまだ近くにあって、至近距離で目が合った。

「侑には内緒やで」

懐かしい言葉を吐きながら治ちゃんは少し照れたように笑った。
まるで恋人に向けるような表情にグッと呼吸が止まった。

それはトキメキからではない。
気付いてしまったのだ――治ちゃんが、まだ私を好きだと。
それは私が自身の罪の重さを自覚するのに十分だった。
私が悪戯に初恋を奪ったせいで治ちゃんは恋心を拗らせた状態で今、目の前にいる。

「治ちゃん、そういうことしちゃあかんよ」

どの口が言うかと思われそうだけど、こう言うしかない。
治ちゃんにどこまで私の言葉が届くか分からないけれど、それでも正しい言葉を伝えなきゃいけない。
それが治ちゃんの想いに応えられない私の唯一の罪滅ぼしだった。

「なんで? お嫁さんなるやろ? ならええやん」

「それは子どもの頃の約束や、今はちゃうよ」

本気の言葉だと伝わるように真っ直ぐ治ちゃんを見つめる。
治ちゃんは少し目を見開いた後、悲しそうに静かに目を伏せ、黙り込んでしまった。
力が抜けたように治ちゃんの肩が少し下がる。
おそらく私の言葉はちゃんと彼に届いたのだろう。
安堵からホッと胸を撫で下ろした。

「私、友達追いかけんと。 手ぇ離したって?」

もう随分時間を食ってしまった。
一人で涙を流しているかもしれない友達が心配だと、治ちゃんに掴まれている手を軽く揺らすと、伏せられていた目が再び私の方を向いた。

「……ああ、さっきの子ぉ、友達やったん? 悪いことしたなぁ」

名前ちゃんの友達ならもっと優しくしたんやけど。
そんなことを口にする治ちゃんを見て、ゾクリと背筋に冷たいものが通った。
さっきまで感じていた安堵感が嘘みたいに、今の私の中には恐怖心が溢れている。
慌てて手を振り解こうとするけど、がっしりと掴んだ手はビクともせず、むしろ力が増したようだった。

「お、治ちゃん……?」

「なあ、もう一つ内緒事作らへん?」

「なにを……」

言ってるの――そう続くはずだった言葉が表に出ることはなかった。
私の言葉まで喰らうように治ちゃんの唇が私の口を塞いだのだ。
噛み付かれてしまうんじゃないかと錯覚するようなキスによろめくように二歩後ずさると意外にも呆気なく唇が離れた。

「な、なに……」

「フッフ、お友達には内緒やなぁ」

そう声を弾ませながらはにかむ治ちゃんを見て、「ああ、これもうどうにもならんかもな」と諦観を覚えた。
もしもこの先、治ちゃんから逃げ切れないのだとしたら諦めて全部受け入れるのも手だと長年の経験が語りかけてくる。
いや、でも流石にあかんやろ。
交流が続いていたならいざ知らず、全く交流がなかったのに幼児時代の初恋を大事に残しとる奴って普通にヤバイやん。

「好きやで、名前ちゃん」

でも罪滅ぼししないとあかんし、このままの治ちゃん見放すのは流石に無責任よなぁ。
……決めた、出来るところまでやって矯正できなかったら逃げよ。
そう決意し、ニコリと笑顔を貼り付けながら「私は普通やなぁ」とだけ返した。



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