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▼ 噛み癖のある治

洗面台の鏡に映る自分の姿を見て、あまりの惨状に思わず「うわぁ」と引き攣った声が出た。
私の身体には昨夜の情交の痕があまりにも痛々しい傷となって残っている。
半袖のTシャツを着ていてもこんな有り様なのだから、シャツを捲ったら更に酷い惨状を目にするのだろう。
怖くて今はシャツを捲る勇気がない。

まるで躾のなってない犬のように容赦なくガブガブと噛み跡を残す恋人の顔を思い浮かべながら赤く傷つけられた肌にソ、と触れるとピリピリとした痛みが走った。
これはシャワーが沁みそうだと顔を顰めていると洗面所の扉がガチャリと控え目に開いた。
扉の隙間からソッと顔を覗かせてこちらの様子を窺うその人物を鏡越しにジトリと睨む。
すると彼はおずおずと「怒っとる?」と言葉を発した。

「まあー、治くんったら何か怒られるような事でもしたのかしらー?」

わざとらしく訊き返すと治くんはへにゃりと眉を下げたままギュウ、と背後から私を抱き締めた。
抱き締められて治くんの身体が私の背中に触れると、ビリリと痛みが走った。
絶対背中も噛み痕残ってんじゃん、この野郎。

「反省しとるから怒らんで?」

「でもまたするんでしょ?」

「……する」

「アホ、やめてよ」

肘で治くんのわき腹を小突く。
「うっ」と呻き声が聞こえたけれど私の痛みに比べたら安いものだ。
そろそろ離れてと意味を込めてもう一度小突くと治くんの手がスルスルと下に降りて来て、私のお腹、おへその辺りを嫌に優しく撫で始めた。

「やけど気持ち良かったやろ?」

「治くんまだ寝惚けてはるんやねえ、お布団戻る?」

ハハハ、とわざとらしい笑い声をあげる私をスルーして、治くんは私の肩口にスリ、と唇を寄せた。
その僅かな刺激にビクリと身体が跳ねる。
そんな私の反応を治くんが見逃すはずもなく「フッフ」と楽しそうな笑い声が聞こえた。

「こうやってなぁ」

かぷり、と肩に歯を立てられる。
優しく食むように何度か甘噛みを繰り返す治くんに「も、止めて」と静止の声を上げると、治くんはそんな言葉は聞こえないと言わんばかりにガブッと思い切り噛み付いてきた。

「あ゛っ……!?」

予告ない激しい痛みに上擦った声が出た。
目の奥がチカチカする。
一瞬脚の力が抜けそうになったけれど治くんの腕がお腹に回されているせいでしゃがみこむ事も叶わず、未だに遠慮なく私の肩を齧る治くんに「痛い」と弱々しい声で訴えるのが精一杯だった。

「痛かった? すまんなあ」

心の篭っていない謝罪の言葉を口にしながら治くんは今度は自分が噛み付いた場所にぬろお、と舌を這わした。
厚みのある舌が噛み傷に触れた瞬間に痛みとは違うビリビリとした刺激が体中を巡り、意図せず情事の時みたいな甘い声が上がる。
慌てて唇を噛み締めたけれど、しっかりと治くんにも私の甘い声が聞こえていたようで、鏡越しにニンマリと笑う治くんと目が合った。

「こうやって噛んだ痕舐めたると気持ち良さそーにしとんの、気付いてへんかったん?」

「し、らない……」

「えー? 鏡見てみぃ、かぁいらしい顔しとるで」

そう言うや否や、治くんは私の顎を掴んで無理矢理鏡の方へと向けさせた。
鏡の中の自分と目が合う。
鏡の中の私は治くんの言うとおり気持ち良さそうに蕩けきった目をしていて、思わずパッと視線を逸らした。

「なーあー、ベッド行かん?」

「いーやー! 今日お出掛けするって約束したじゃん」

今日は治くんと交際を初めて三年目という記念日だ。
治くんのお店も偶然にも定休日で私も休みが取れた、久々の二人一緒のお休みの日。
だから一緒にお出掛けしようって何週間も前から計画してたのに。

ジトリと鏡越しの治くんに非難の視線を向けると、治くんはへにゃりと眉を下げた。
その顔すれば大抵のおねだりを聞いて貰えると思ったら大間違いだからな。
そんな私の考えを察したのか、治くんは拗ねたように唇を尖らせた。

「しゃあないなぁ……」

「諦めた? じゃあ、お出掛けの準備……」

しよう、と続くはずだった言葉は口から出る事はなかった。
諦めたと思った治くんが、再び噛み痕に舌を這わせたからだ。
ゾクゾクするような刺激が頭から爪先まで駆け巡り、ビクリと身体が跳ねて「あっ」と小さく声が上がった。
その刺激から逃れようと身を捩るけれど治くんの腕ががっしり私を捕えていて逃げる事が出来ず、ただ治くんから与えられる刺激を受け入れる以外に道が無い。
ぐう……なんたる屈辱……。

「んっ、やだ、治くん、お出掛け……!」

「昼から出掛ければええやん、な?」

「そういう、問題じゃ……あっ」

歯を立てては舌を這わせを繰り返す治くんは、どうやってもこの行為を止める気はないらしい。
痛みと快楽を交互に与えられ、身体も思考もだんだん流され始めているのが自分でも解った。
このままじゃ久々の二人揃っての休日を家の中で過ごす事になってしまう。
お昼から出掛ければ、なんて治くんは言っているけど私は知っている。
そんな都合良くいかないに決まってるって。
絶対にお昼は過ぎるし、最悪身体がだるくてお出掛け自体が無くなる未来が容易く想像できる。

せめてもの抵抗として治くんの右足を踏ん付ける。
しかし全然力が入っていなかったため治くんはノーダメージだった。
それどころか「ふっ」と鼻で笑う始末で、私の中には悔しさだけが残った。

「かわええ攻撃やなあ?」

「う゛ー……!」

「おー、威嚇しとる」

その気になれば噛み付き返してやっても良いんだぞ。
そう意味を込めてカチカチ歯を鳴らしてやったら、治くんは何を思ったのか私を抱き締めていた腕をそろりと私の口元へと持ってきた。

「噛んでええよ」

「え……?」

「噛まへんの? 噛みたそーにしとったやん」

それはそうなんだけど、いざ噛んでも良いと腕を差し出されたら尻込みしてしまう。
戸惑う私に治くんは促すように「ほれ」と腕を私の唇にくっ付けた。
恐る恐る治くんの腕にかぷ、と歯を立てる。
そして治くんを真似て、歯を立てた場所にぺろりと舌を這わせた。

「ん……甘噛み上手やなあ」

どうやら一連の私の行動は治くんのお眼鏡に適ったらしく、どこか色っぽい吐息を混じらせながらそう言った。
滅多に聞かない声色に、治くんが今どんな表情をしているのか気になり、チラリと鏡越しに治くんを見る。

(あ……ヤバ)

すぐに見たことを後悔した。
赤く色付いた頬、熱を含んだ瞳、悩ましげに寄せられた眉――鏡に映った治くんは声色と同じくらい色っぽく、情欲的だった。
その表情は私を“その気”にさせるには十分な顔で、私は思わず治くんの腕にもう一度甘く歯を立てた。

「治くん」

「んー?」

「……ベッド、行こ?」

ぽそりと小さく告げた言葉はしっかりと治くんに届いたようで、治くんは「ええよ」とニッコリ笑った。



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