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▼ 北さんにキライと言う

恋人はどんな人ですか、と問われたら私は真っ先に「隙のない人」と答えると思う。
勉強も運動も出来て、先生や生徒からの人望もある。
そのうえ何に対しても手を抜かないし、冷静に周りの事をよく見て行動できる凄い人。
欠点を全部母親のお腹の中に捨てて生まれてきたんかってくらい私の恋人、北信介という男は完璧な人だった。

それは多分、恋愛面でもそう。
学年も違うし忙しい人のはずなのに、合間を縫って私との時間を沢山作ってくれる。
手を繋いだりキスしたり、恋人同士のスキンシップをよくとってくれる。
他の女の子に思わせぶりな態度を取らない。
北さんと交際してから数ヶ月経ったけれど、私はこの数ヶ月間で寂しいとか嫉妬心とか、そういった暗い気持ちを抱いたことがなかった。

だけど、私には不満がある。
こんな完璧な恋人に不満があるなんて、友達や北さんのチームメイトの人とかに知られたら多分「贅沢や」って言われるかもしれない。

でも、どうしても耐えられないのだ。
私は北さんと手を繋ぐだけで緊張から身体が強張って顔も真っ赤になるし、キスする時なんてもういつもの三倍くらい心臓が忙しくなってる気がする。
だけど北さんは違う。
手を繋いでも表情は変わらないし、キスをしても微かに微笑みながら「かわええな」と口にできてしまうほどの余裕っぷり。
あまりに私とは正反対の態度に少しだけ、すこーーしだけ悪戯心というか、なんというか――たまには北さんの、焦った表情を見たいという気持ちが浮かんでしまったのだ。

そう思い立ってすぐに同じクラスであり、バレー部所属の角名くんに相談してみることにした。
曰く、彼は北さんの弱点を探る為に日々奔走しているとかなんとか。
北さんの焦った顔が見てみたいと漠然と考えているけれど何をすれば良いのかわからない私にとって、彼が救世主になるかもしれない。

「ね、どうすればええと思う?」

昼休み、賄賂代わりのジュースを片手に角名くんの席へと行くと、彼はすんなりとジュースを受け取ってくれた。
交渉成立だ。

「キライとでも言ってみれば?」

「キライ、かあ……」

ううん、と考える。
北さんに嫌いと言ったとして、彼は焦ったりしてくれるのだろうかという疑問が浮かぶ。
いつも通りのスンとした真顔で「そおか」と一言で済まされたら私の方が立ち直れない。
そう角名くんに告げると「流石の北さんもそれは動揺するんちゃう?」と角名くんではない声が返ってきた。
振り返ると購買のパンを両手に抱えた宮治くんが立っていて、宮くんは角名くんの後ろの席に腰を下ろすと、私の方をジッと見つめながら「やめた方がええと思うで」と忠告してきた。

「やめるって……嫌いって言うの?」

「せや、怖ーい思いしたないやろ?」

「……怖い?」

怖い思いをするとはどういうことだろうか。
北さんの正論パンチのことを言っているのかと思ったけれど、宮くんの様子を見ているとそうじゃない気がして益々頭に疑問符が浮かんだ。

「いいじゃん、一回言ってみたら満足するでしょ」

「角名は面白がっとるだけやろ」

「こんな面白そうなこと乗っからない方が損じゃん。ねえ、言う時は動画撮っといて、後でちょうだい」

いつの間にか北さんに嫌いって言うことが確定したまま話が進んでいて、結局北さんの何が“怖い”のか解らず仕舞いで昼休みが終わってしまった。


そして迎えた放課後――部活を終えた私は校門前で北さんを待っていた。
北さんは練習終わった後も色々とやることが多いらしいからまだ少しかかるかな、と思っていたら「すまん、待ったか?」と背後から北さんの声が聞こえた。

「いいえ、私もさっき来たとこです」

私の言葉に北さんは「そおか」と微笑むと、ス、と右手を差し出してきた。
手を繋ごうという意思表示。
凄く自然で、緊張感も羞恥心も感じられない北さんの表情を見ていると、やっぱりこの手を握り返す事を少し躊躇してしまう自分がいる。
無意識に北さんの手に重ねるべき左手をギュ、と丸めて握り拳を作っていた。

「帰ろか」

なかなか手を握り返さない私に催促するように北さんが告げる。
そろりと控え目に北さんの右手に自身の左手を重ねると、北さんは優しく握り返してくれた。
きっと察しの良い北さんは私が手を繋ぐ事を躊躇していた事などお見通しだろう。
だけどこうして何も言わずに優しく受け入れてくれる。
そういうところが大好きで、そして時々、ほんの少しだけ辛く感じてしまうのは私がワガママだからだろうか。

夕焼け色の帰路を歩き始め、私は昼休みに角名くん達と話していたことを思い出した。
――キライとでも言ってみれば?
角名くんに言われた言葉が頭の中を反芻し、無意識のうちに北さんと繋いでいる手に力が入った。
キライなんて、本当に言っても良いのだろうかと不安が浮かぶ。

「どうしたん」

どこか気遣うような声色で問われ、ゆっくりと北さんへ視線を向けた。
北さんも私の方を見ていて、パチリと視線が交わった。
いつも通りの涼やかな表情。
頬が赤らむこともなく、堪えるように唇を噛み締めることもない。
いつも通りの綺麗で、隙のない北さんの顔。
その顔を見ていると、私の心の中に“良くない気持ち”が浮かび上がってきて、言おうか悩んでいた言葉を口にするに至った。

「北さん……」

「なん?」

「私、北さんキライです」

――ピタリ、と北さんが足を止め、つられる様に私も足を止めた。
微かに北さんが目を見開き、何も言わずに私の事をジッと見つめる。
私も何も言わなかった。
やけに静かな沈黙の中、遠くの方から小学生のはしゃぐ声や犬の鳴き声、車のエンジン音が聞こえる。
周りはいつも通りの時間が流れているのに、ここだけが日常から切り離されているような感覚を覚えた。

数秒の沈黙の後、北さんがおもむろに口を開いた。

「そおか」

あ、自滅。
頭の中でやけに冷静な自分の声が聞こえた。

北さんはいつも通りの真顔と何の感情もない声で、まるで世間話に相槌を打つかのように言ってのけた。
それは私が想像していた最悪の結果で、まるで心臓が氷漬けにされたかのように冷えていく感覚を覚えた。
もういっそのこと今の北さんの顔を写真に収めて、角名くん辺りに盛大に笑い飛ばしてもらった方がメンタルを持ち直せるかもしれない。
いや、でも角名くんはあれでも意外と気遣い屋さんだから、性格がポンコツと噂(主に噂の発信源は宮くん)の宮くんの双子なら笑い飛ばしてくれるだろうか、と現実逃避を始める。

「そんで、名前はどうしたいんや」

キュウ、と北さんの手に力が入る。
声色は変わらないけど何か表情に変化が見れるかもしれないと思って北さんに視線を向けると、北さんは相変わらずスンとした真顔を私に向けていた。
真顔過ぎて北さんが今、何を考えているのか全く解らない。
私が何も言えずに黙り込んでいたら、北さんは更に言葉を続けた。

「先に言うとくけど」

スリ、と北さんが親指で私の手の甲を軽く撫で付けた。
突然の事にビックリして咄嗟に繋いでいた手を引いてしまったけれど、北さんの力が強く、手を離すことは叶わなかった。

「俺は“はいそうですか”って素直に別れてやれんよ」

「へ……?」

北さんの口から飛び出した思いがけない言葉に、私の口から随分と間の抜けた声が出た。
信じられなくてパチパチと何度も瞬きをする。
そして呆けていた頭が漸く北さんの言った言葉を理解して、ぶわっと急速に顔に熱が集まった。

「き、北さ……」

「なん?」

スリ、とまた北さんの親指が私の手の甲を撫で付けた。
くすぐったくもないのに、その僅かな刺激に馬鹿みたいに身体が跳ねて、心臓が鼓動を速めてしまう。

どう考えても完敗だった。
北さんは私の言葉なんかじゃ表情を動かされないし、私は私で北さんの一挙一動に心を動かされまくっている。
完全なる負け戦に私は即座に白旗を振ることにした。

「ご、ごめんなさい……キライって言うたの、嘘です……」

言いながら気まずくてつい視線を下に向けてしまう。
しかし北さんから「謝る時は人の顔見いや」とご注意を受け、慌てて北さんに視線を戻す。

「……人の心を傷つけてまで、そんな嘘吐きたかったんか?」

「う……すみません」

――あれ、ちょっと待って?
聞き間違いじゃなきゃ、北さん今、人の心を傷つけてって言った?
それって私にキライって言われて北さんが傷ついたってこと?
あんなにも表情を変えずに、いつも通りのトーンで言葉を返していたのに?

「北さん、傷ついたの……?」

「当たり前やろ。 好きな子にキライ言われて傷つかん奴がどこにおんねん」

繋いでいない方の手で、北さんが私の頬に触れた。
そして手の甲を撫でた時と同じように、親指で優しく撫で付けられる。
触れられているところが熱を持ち始めるけれどそれよりも心地良さが勝って、私はゆっくりと目を閉じてその心地良さを受け入れた。

「ごめんなさい、北さん」

「謝る時はどうするんやった?」

北さんの言葉に慌てて目を開けると、いつの間にか北さんの顔がすぐ近くにあって、今にもキスできてしまいそうな距離感だった。
突然のことに心の準備ができていなかった私の口から「はわ……」と何とも間抜けな声が出ると、北さんはどこか楽しそうに笑った。

「ほんま、しゃあない子やな」

そう言うと北さんは少しだけ顔を私の方に寄せた。
「あっ」と思った時には私の唇を喰むように北さんに口付けられていた。
ちゅ、ちゅ、と啄むような軽いキスを何度も繰り返していると頭がぽやんとして、なんだかふわふわしてくる。
思わず目を閉じそうになると、ゆっくりと北さんの唇が離れていった。

「もうキライなんて言うたらあかんで」

「はあい」

頭がぽやぽやしているせいで間延びした返事になってしまったけれど北さんは気にする様子もなく「ええ子やな」と頭を撫でてくれた。
そしてそのまま「遅ならんうちに帰ろか」と言う北さんに手を引かれ、再び歩き出す。

――明日、ちゃんと治くんと角名くんに教えてあげよう。
北さんの表情を変えることはできなかったけど、それでも満足する結果だったよって。
あと、なんも怖いことなかったことも教えてあげよう。
北さんの隣を歩きながらそう考えていた私は、明日治くんと角名くんが北さんに静かに、だけどめっちゃくちゃ怒られることなど知る由もなかった。


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