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▼ 侑視点

「もう絶対傷つけたりせんって約束するから……だから、もう一度だけチャンスをくれませんか?」

そう言って自身を見上げる名前と目が合った時、心がジワリと溶け始めたのを感じた。
心が溶けて、中に仕舞い込んでいた感情がドロドロと溢れていく。
それは決して綺麗なものではなく、表に出せない、隠していなければいけないモノだった。
それが今、表に飛び出してきた。

(ああ、あかんわ……)

これ以上はダメだと理性が訴えかけてくるが、今まで我慢し続けていた反動だろうか。
理性はあっさりと押し負けてしまい、気付けば力いっぱい目の前の愛おしい恋人を抱き締めていた。
大好き、嬉しい、もう絶対に離さん――そんな想いが溢れ、名前を抱く力が強くなる。

最初から離す気なんて更々ない。
名前がよそ見してようが諦める気などなかった。
だけど、いざ名前の口から「悲しませない」と聞かされると心がじわりと温かくなり、涙が溢れそうだった。

“私の本命の彼氏や”

“お別れしよ”

さっき名前の口から発せられた言葉が頭を掠める。
あんな思い、もう二度としたない。
じゃあどうするか、そんなん決まっとる。
俺から離れられんようにすればええ。
他のやつに目移りする余裕ないくらいに、雁字搦めにしてしまえばええ。

(絶対、もう離したらん)

抱き締め返してくれる名前の手の感触を背中で感じながら、そう強く誓った。





次の日――昨日の事が自分の都合の良い夢だったのでは、と感じていた俺の不安とは裏腹に名前の態度は柔らかく、急に家に行きたいと言った俺のワガママにも二つ返事をしてくれた。
それだけじゃない。
家に着いた俺を迎えたのは酷く懐かしい、高校時代を髣髴とさせる黒い髪の名前だった。

今までの髪色が嫌いだったわけやない。
似合っていたし、可愛かった。
だけどこの黒い髪は特別だった。

高校時代の名前は、俺の初恋だ。
以前、名前が初恋だと片割れに零したら「おっそ、だから拗らせんねん」と突き放すように言われたことをぼんやりと思い出す。
ああ、せやな、拗らせとるんは自分でも解っとる。
せやけど原因はお前にもあるんやで、名前。
お前が俺以外に目ぇ向けんかったら俺の中の独占欲も執着心も一生大人しくしとったはずや。

「……触ってもええ?」

許可を仰ぐと、名前は「ええよ」と微笑んで少し腕を広げた。
ゆっくりと名前の頬に指を滑らせる。
久しく触れることが叶わなかった存在。
振り払われることなく触れる状況が夢みたいで、俺は名前の頬に手を添え、無意識のうちに唇を寄せていた。

――触れても良いと言われたが、キスしても良いとは言われてない。
恋人といえど久しく触れ合っていなかった相手とのスキンシップは抵抗があるかもしれない。
頭ではそう理解できるのに、俺は目の前の状況を上手く飲み込むことが出来なかった。

名前に顔を逸らされた。
それは明確な拒絶で、「なんで」と声が零れる。
訊かなくても理由は頭で理解しているはずなのに、心の方はどうしても納得できないと主張するように痛みを訴え始めた。
しゃあないやろ、急にキスしようとした俺が悪い。
そう気持ちを無理矢理納得させ、頬に添えていた手を離した時だった。

「恥ずかしかってん!!」

俺の手首を掴み、名前がそう声を張り上げた。

「キス……久々やから、恥ずかしい……」

“キス、初めてやから恥ずかしい……”

高校時代の名前の言葉が脳裏を過ぎった。
部室棟の陰で人目を憚って初めてキスをしたあの日の名前の姿と、今の名前の姿が重なる。
あの頃と変わらない恥ずかしがり屋なとこに、ああ名前やなぁ、と安堵感にも似た感情がこみ上げてきた。

「ふっふ、そぉか」

もう胸の痛みは引いていた。
痛みの代わりに名前に対する愛おしい気持ちだけが溢れ、俺を満たしている。

「キスさせて……あかん?」

俺の手首を掴む名前の手を解き、指を絡める。
まるで彼女を捕らえている気分になり、酷く気分が高揚した。
柔く力を込めると名前が不安そうに瞳を揺らす。
ああ、あかんなぁ。
怖がらせたりせんように気ぃ付けんと。

「名前、あかん……?」

「ぃ……、ええ、よ?」

恐々と頷いた名前に思わず手に力を込めてしまったせいか、名前が一歩後ずさった。

「怖がらんで」

逃がさないように優しく壁際に誘導する。
退路を断たれ、俺を見上げる瞳には相変わらず不安が浮かんでいる。
再び「怖がらんで、な?」と口にすると名前は小さく頷いた。
ああ、かわええなぁ。
名前は気ぃ強いとこあるのに案外臆病やから、脅かさんように少ぉしずつやらんと。
そう考え、唇にキスしてしまいたくなるのを抑えながら額から順に唇を落としていく。

「……ここにも、キスしてええ?」

親指の腹で名前の下唇を撫でながら問うと、名前は恥ずかしそうにコクリと小さく頷いた。

「メッチャ嬉しい、ありがとぉ」

待ち望んでいた場所へ漸く触れることが許され、夢中になって何度も唇を合わせた。
柔い感触を楽しんでいるうちに段々と頭が熱を持ち始め、このまま舌入れたら怒るやろか、と考える。
そんな俺の考えに気付いたのか、咎めるように名前がキュッと手に力を入れた。
あかん、下心バレてもうた。
怒られるやろかと不安になりながら少し唇を離すと、予想に反して名前は怒りの言葉ではなく「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。

「セッターの大事な手、なのに……強く握っちゃった……」

その瞬間、俺の脳裏につい最近の記憶が過ぎった。
あの日、俺は久々に名前に会えた喜びから彼女に触れようと手を伸ばした。
だけど名前はそんな俺の手を振り払ったのだ。
名前に手を振り払われた時、俺は怒りよりも悲しみが浮かんだ。
以前の名前なら、セッターの生命線である手を傷つけるようなことは絶対にしなかった。
バレーやっとる侑が一番好きやなぁ――そう言っていた彼女はもう居なくなってしまったかもしれないと不安を抱いていた。
だけど、ああ、そぉか、やっぱり居らんくなったわけやなかったんやなぁ。
ふわふわと気持ちが揺れ、思わず頬が緩んだ。

「こんなかぁいらしい力じゃ痛めたりせんよ」

「ほ、ほんまに……?」

「ほんまに。 でも、せやなぁ……」

尚も心配そうに浮かない顔をみせる名前の手を解き、代わりに首元へと誘導する。
首に腕を回すよう提案すると名前は躊躇いを見せたが、すぐに言われた通り、抱き付くように俺の首に腕を回した。
「首、痛ない?」と気遣う名前に「んーん、大丈夫や」と返しながら彼女の腰に手を回す。

さっきよりもグッと近くなった距離。
きっと名前が逃げようとしても逃げることの出来ない体勢。
ああ、最高やなぁ。

臆病な名前のために少ぉしずつやんねん。
ゆっくりと、だけど的確に、彼女が身動き取れんくなるほど雁字搦めにして俺から離れられんようにせんと。
もうあんな思いは二度としたないねん。
解ってくれるやろ?
せやから戻ってきてくれたんやろ、なあ?

「お願いやから俺から離れんで……ずっと傍におってな」

お前が余所見せんかったら、ちゃんとお利口さんにしとるから。



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