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▼ 01

北くんには年下の幼馴染がいる。
それを知ったのは私達が三年生に進級した年、交際を始めて一年が過ぎた頃だった。

今年新入生として稲荷崎に進学してきた幼馴染の彼女は少し抜けている性格のようで、北くんはその子のことをよく気にかけていた。
朝寝坊しがちな幼馴染のために電話で起こしてあげたり、入学して間もない頃は道に迷わないように登下校を共にしたり、たまに一年生の教室まで様子を見に行っていることも知っている。
全部北くん本人から聞いたことだ。
やましい事なんか何も無いと主張するように、幼馴染に関することは訊かなくても話してくれた。

だけど、どんなに幼馴染のことを話してくれても北くんは私をその幼馴染に紹介してくれることはなかった。
まるで隠すように、遠避けるように、幼馴染と私を関わらせないようにしていることに気付いたのはいつだったか。
もしかして大事な幼馴染に意地悪すると思われているのだろうか。
そうだとしたら少し――いや、かなり悲しい。

そんな考えがあながち間違いではないかもしれないと決定付ける出来事があったのは二週間前のことだ。
昼休み、いつもは母お手製のお弁当を美味しくいただいているのだけど今日は母が用事で時間が作れずお弁当がなかった。
仕方なく購買へ続く馴染みのない廊下を一人歩いていると、明るく「信ちゃん」と呼ぶ声が聞こえた。

――あの子の声だと、すぐに気付いた。

廊下を曲がった先に居るであろう幼馴染のあの子の声にピタリと足が止まる。
「信ちゃん」と呼んだということは、きっと北くんも居るのだろう。
ドクドクと心臓が鼓動を早める。
引き返せば良かったのに、この時の私はまるで盗み聞きするかのように頑なに足を動かそうとしなかった。
その結果がどんなものになったのか言うまでもない。
盗み聞きなんてはしたない行いをするとバチが当たるもんだ。

「信ちゃん、彼女居るん??」

弾んだ声で発せられたあの子の言葉に、ビクリと肩が跳ねた。
どういう意図で訊いているのだろう。
あの子も北くんが好き?
ああ、そんなん容易に想像できてしまう。
あんな風に優しく自分を気遣ってくれる年上の幼馴染とか惚れないわけがないやん。

「……居らん」

――え?

「彼女居らんで」

姿が見えなくても間違えようがない北くんの真っ直ぐな声が私の鼓膜を揺らした。
いつも通りの芯の通った綺麗な声なのに、その言葉は残酷なほど鋭くて、私の心臓を貫いていった。

あれ――私って北くんと付き合ってるよね?
だって再来週の休みにデートの約束しとるし、今日だって起きてすぐメール送って返信も来た。
なんで幼馴染に嘘を吐くん?
そもそも北くんって嘘吐けたん?
疑問が沢山浮かんで、その全部が頭の中でグチャグチャに混ざり合って何も考えられない。
とにかくこれ以上この場に居たくなくて、私は踵を返して来た道を走った。

北くんの幼馴染が入学してからずっと私の心にいくつも傷が刻まれて、日に日にその傷口が広がっていくのを感じていた。
頑張って補修して傷が目立たないようにしてきたけれど広がった傷は塞がることはなく、この日から二週間ほど経った今日――また、新たな傷が付けられた。

「ふぅーー……」

携帯画面を見ながら思わず深く息を吐いていた。
溜め息ではない、それは自分の感情を抑えようとする深呼吸だった。

つい先程受信したメール。
今日のデートのドタキャンメールだ。
送信者は言わずもがな北くんで、私はもう一度メールを読み返して再び深く息を吐いた。

強豪と名高い男子バレー部の主将である北くんは休みが殆どない。
そんな貴重な休みを私と過ごすために使ってくれるのが嬉しくて、今日のデートの日を指折り数えてずっと楽しみに待っていた。

だけど、北くんは違ったのかもしれない。
ドタキャンされたのは勿論悲しいけど、それ以上にメールで簡単に連絡を済ませられたことが悲しかった。
北くんは真面目でちゃんとした人だから、こういう時はきっと電話してくれるはずなのに。
もうそれすら手間なのだろうか。
いつか聞いた北くんの言葉が脳裏を過ぎる。

“彼女居らんで”

私は、いつの間にか北くんに愛想を尽かされてしまったのだろうか。
それとも私が気付いていないだけで既にフラれてたのだろうか。
モヤモヤと後ろ向きな気持ちばかりが浮かんで、このまま家に帰る気にもなれず目的もなく歩き出した。
適当に目に付いた店に入っては冷やかしてを何度か繰り返しても気分は晴れなかった。
しかし携帯を開いて時間を確認すると意外にも時間が経過していて、そこで漸く北くんのメールに返信さえしていないことを思い出す。
二時間くらい放置してしまっていたけど北くん心配してくれてたりするだろうか。
そんなことを考えながらメール画面を開いてポチポチと文章を打っていく。

――ふと、何気なく携帯の画面から顔を上げた。
何か気になることがあったわけじゃない。
本当に偶然で、何も考えていなかった。
それが幸運だったのか不運だったのか、私には分からない。

「え……」

車道を挟んだ向かいの歩道。
そこにはよく知る二人の人物がいた。

「北、くん……」

一人は、急用が出来たから今日のデートに行けないと言っていた北くん。
そしてもう一人は、あの幼馴染の子だった。
幼馴染のあの子は北くんの腕を掴んで歩いていて、北くんも嫌がる素振りがない。

「そっか……」

ストンと真っ直ぐ落ちるように諦観が心に落ちた。
彼女居らん言うた北くんの言葉は、北くんの心変わりを表していたのか。
幼馴染の方を好きになったからそう言ったんだと、今ならよく解る。
デートをドタキャンされた方と、今一緒にいる方――そんなん、どっちが本命かなんて丸わかりやんか。
そう理解すると同時に、心に付けられた小さな傷が大きな亀裂になった。

二人から視線を外し、作成途中だったメールの本文を全て消去した。
代わりに、新しく文字を打ち込む。

“もう終わりにしたい。 別れてください。”

メールで別れを告げるなんて、と北くんは怒るだろうか。
だけど先にメールで簡単に済ませてきたのは北くんの方、言いっこ無しだ。

もう一度二人の方へ視線を向ける。
すっかり遠ざかってしまった二人の背を見つめ、私はソッと送信ボタンを押した。
“送信完了”の文字を確認し、携帯を閉じる。
そして二人とは反対方向に歩き出し、もう二人の方を振り返らなかった。

この瞬間も、家に帰った後も、私は涙を流さなかった。
北くんへの想いが無くなってしまったのか、それとも元々そんなになかったのか自分でも分からない。

分かるのはただ一つ。
傷つくことに耐えてきた私の心が今日――呆気なく真っ二つに割れてしまったことだけだった。



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