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▼ 04

しまった――そう思った時には遅すぎた。
大きく見開かれた宮侑の目から読み取れる絶望の色。
何か言わなければいけないと解っているのに私の口からは空気が流れるばかりで、たった一つの言葉さえ口にすることが出来なかった。


――事の発端は数十分前。
おにぎり宮を後にし、帰宅したタイミングでスマホから着信音が鳴った。
画面にはスマホに唯一登録されている宮侑の名が表示されていた。
「スマホ買い換えて番号変わりました」と送ったメールはちゃんと宮侑の目に留まったらしい。
安堵しながら画面をタップし、スマホを耳に当てた。

「もしもし」

「……名前?」

「はあい、名前やでー。 電話ありがとぉ」

恐る恐る確認するように名前を呼ばれたので軽い態度で返事をすると、電話の向こうから安堵したような吐息が聞こえてきた。
昨日の今日でまだ恋人の変化が信じられないのだろう。
失った信頼を取り戻すのは、まっさらな状態から信頼関係を築くよりも難しいと聞く。
そして宮侑の中の私の信頼度は確認するまでもなくマイナスだろうし、言葉は慎重に選ばなくては。

「なんか用事あった?」

なるべく柔らかい声で訊ねると、宮侑はどこか言い辛そうに「う……」と言葉を詰まらせた。
何を言われるのかと少し身構える。
だけど次の瞬間、宮侑の口から出た言葉は酷く可愛らしいものだった。

「……今から、家行ってもええ?」

尻すぼみになっていった言葉は弱々しく、多分外で通話していたら聞こえなかっただろう。
静かな室内で良かった。
危うく宮侑の精一杯の勇気を踏み躙ってしまうところだったかもしれない。

「もちろん! 気ぃ付けて来てなぁ」

「ほ、ほんまにええの……?」

「当たり前やん。 大好きな侑に会えるん楽しみに待っとるから、はよ来たって?」

「はっ……?!」

少しからかい混じりに恋人らしい言葉を口にすると、ガシャンと何かが落ちる音と共に通話が切れてしまった。
多分、いや絶対スマホ落としたんだ。
言わない方が良かったやろか、なんや悪いことをしてしまった気がする。
ちょっぴり罪悪感を抱きながらスマホをテーブルに置くと、「ピンポーン」とインターホンが鳴った。

「え?」

まさかもう来た?
いや流石にそれはないやろと思いながらモニターを確認すると、帽子を目深に被ってマスクをしているけど、そこには確かに宮侑の姿があった。

「うそぉ……」

思わずそんな声が漏れた。
今から家行って良いって、普通は今から向かうよって時に言う言葉じゃないん?
私が家に居なかったり来ないでって言ったらどうするつもりだったん?
宮侑の行動に少し引きながら急いで玄関へ向かい、鍵を開けた。

「ほあ……」

私が扉を開けると、宮侑は間の抜けた声を出した。
部屋に入るように促しながら「どうしたん?」と訊くと、小さく「髪……」と返ってきて合点がいく。
宮治と話した内容が衝撃過ぎて自分がイメチェンしたことを忘れていた。
急に一番好きだった高校時代の私を彷彿とさせるような髪色に変わっていたら、そりゃああんな声も出るかと納得する。

宮侑が部屋に入ったのを確認し、扉を閉める。
一人暮らし向けの賃貸だから宮侑のようなガタイの良い男がいると、玄関がいつもの五割り増しで狭く感じた。

「イメチェンしたんよ、似合う?」

「ん……メッチャ似合う、かわええ」

「ふふっ、ありがとぉー」

上がって、とリビングまでの短い廊下を先に歩き出そうとしたらクイ、と控え目に服の裾が引かれた。
振り返ると窺うような視線を向ける宮侑と目が合う。
「なあに?」と首を傾げると、宮侑は電話した時と同じように言い辛そうに言葉を濁した。
前世の私の記憶の中の宮侑はいつも自信に溢れていて、思ったことはすぐに口にしてしまうような人物だ。
そんな人がこうも自信無さげにしていると私の中にジワリと罪悪感が浮かんでくる。
未だに言葉を発さない宮侑に「ええよ、言って?」と促すと、彼はおもむろに口を開いた。

「……触ってもええ?」

思わずパチクリと目を瞬かせた。
――そんなん一々訊かんでもええのに。
そんな考えが頭に浮かんだが、すぐに打ち払う。
そう訊かなきゃいけない関係にしたのは紛れもない“私”だ。

「ええよ」

身体ごと宮侑に向き直し、どっからでも来い、と少し腕を広げる。
ゆっくりと、躊躇いがちな手が伸ばされる。
宮侑の指先が頬に触れた。
セッターのよく手入れされた綺麗な指がフェイスラインをなぞる様に滑っていく。

「夢みたいや……」

感嘆の息と共に吐き出された言葉。
うっとりと細められた目と視線が交わった。
頬を撫でていた手がいつの間にか動きを止めていて、ピタリと頬に添えられている。
そしてゆっくりと、宮侑が唇を寄せてきた。

「あ……」

ーーそれは咄嗟の行動だった。
その行動がどんな影響を与えるのか考える間もなく、本当に無意識のうちにとってしまった行動だと断言できる。
だけどそんな言い訳を連ねても、きっと彼は納得しないだろう。

キスしようとしていた宮侑を前に――私は、顔を背けてしまったのだ。

恐る恐る宮侑の方へ顔を向けると、さっきまでと打って変わって絶望に染まった目と視線が交わった。
しまった――そう思った時には遅すぎた。
小さく「なんで」と呟かれた言葉に心臓が締め付けられるような痛みを訴え始める。
悲しませないって約束したのにこんな昨日の今日で約束を無為にするなんて、自分のポンコツ具合に反吐が出そうだった。

「……っ」

なにか言わなきゃいけないのに私の口からは空気が流れるばかりで謝罪の一つすら出てこなかった。
宮侑も何も言わなかった。
ただ絶望に染まった暗い瞳を私に向けるだけ。
そのうち、諦めたように頬に添えられていた手がス、と離された。

(あかん……!!)

その手を離してはいけない――咄嗟に私は宮侑の手首を掴み、声を張り上げた。

「恥ずかしかってん!!」

「は……?」

私が口にした言葉に宮侑はポカンと口を開いた。

恥ずかしかった――私が咄嗟に顔を背けてしまったのはこの一言に尽きる。
今の私は前世の記憶や感情が強く出ている。
女狐としての思い出も感情の記憶も確かに残っているけど、大本は前世の私だ。
宮侑との恋人としてのスキンシップを照れくさく感じてしまうのも無理はないことで、そのことに気付いていなかった私の落ち度だ。
宮侑は何も悪くない。

「キス……久々やから、恥ずかしい……」

この発言すらも恥ずかし過ぎて変に言葉が途切れ途切れになってしまい、余計に羞恥心が募った。
言い訳がましく聞こえてないだろうかという不安も浮かんでくる。
チラリと窺うように宮侑を見上げた。

「ふっふ、そぉか」

宮侑は笑っていた。
無理して笑っているのではなく、心底嬉しそうなその笑顔に私は目を見開いた。
なんでそんなふうに笑えるのか、喜ぶ要素なんてどこにあったのかと私が頭に疑問符を浮かべていると、宮侑は「懐かしいなぁ」と更に笑みを深めた。

「初めてキスした時もそう言うとったやんな」

「覚えとるやろ?」と続けられた言葉に少し考えてから頷いた。
確かに私の記憶の中にもその時の光景が残っている。
過去の自分と行動が被ったのは完全なる偶然だけど、宮侑を悲しませる結果にならなったことにホッと息を吐いた。

「キスさせて……あかん?」

手首を掴んだままだった私の手を、宮侑がゆっくりと解いていく。
解かれた手にスルリと宮侑の指が絡みつき、所謂恋人繋ぎの状態になった。
街中でもよく見かける、幸せそうな恋人達の繋ぎ方だ。
キュウ、と緩く力が加えられる。
振り解こうと思えば多分簡単に振り解ける力加減だというのに、まるで不安を訴えるかのように私の脳裏に宮治の言葉が過ぎった。

“多分、どんな手ぇ使うても手放してたまるかって思とるで”

なぜこのタイミングで宮治の言葉を思い出してしまったのか。
ただ手を繋いでいるだけ、キスさせてとおねだりされてるだけ。
なにもおかしくない、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

「名前、あかん……?」

「ぃ……、ええ、よ?」

頷くと、再び繋がれた手に力が込められた。
さっきまでの緩い力ではなく、振り解けないほどの強い力。
その力に思わず一歩後ずさってしまった。

「怖がらんで」

後ずさった分、宮侑が一歩踏み出す。
繋いでない方の手が肩に置かれ、ゆっくりと壁際に押される。
トン、と背中が壁に当たった。
後ろは壁、前には宮侑――逃げ場がないと思ってしまうのは、私が恐怖を抱いている証拠だろうか。

「怖がらんで、な?」

私の恐怖心を察しているのか、再び宮侑がそう口にする。
小さく頷くとチュウ、と額に唇が落とされた。
額の次は目尻、鼻先、頬へと移動していき、最後に唇のすぐ横でチュ、と短くリップ音が鳴った。

「……ここにも、キスしてええ?」

スリ、と親指の腹で下唇を撫でられゾクリと身体が震えた。
怖くない、ただ恥ずかしいだけ――そう自分に言い聞かせながらコクリと小さく頷くと、宮侑はニコリと綺麗に微笑んだ。

「メッチャ嬉しい、ありがとぉ」

唇から親指が離れていき、代わりに親指よりも柔らかな唇が押し当てられた。
感触を楽しむかのように軽く合わせては離してを繰り返しているうちに、私の心臓がどんどん鼓動を速まり頭がぼんやりと熱を持ち始め、つい縋るように繋いでいる手に力を入れてしまった。
あ、まずい――そう思うと同時にチュ、と短い音を立てて宮侑の唇が離れていく。

「ご、ごめん、侑……」

セッターの大事な手を力を込めて握ってしまった。
そう口にすると宮侑は少しパチパチと目を瞬かせた後、ふにゃりと頬を緩ませた。

「こんなかぁいらしい力じゃ痛めたりせんよ」

「ほ、ほんまに……?」

「ほんまに。 でも、せやなぁ……」

繋いでいた手が解かれる。

「気になるんやったら、こっち手ぇ回しとって。 ほら、そっちの手も」

解かれた手を宮侑の首元まで引かれ、そう促された。
え、でもそれって抱きつくってことやん。
キスだけでもいっぱいいっぱいだったのに更に抱きつく?
そんなん無理、頭がどうにかなってまう。
そう視線で訴えようと見上げると、シュンと眉を下げて寂しそうな目をした宮侑と視線が交わった。

「出来ひんの……?」

「あ、……で、できる」

ああ、そうだ――私は宮侑の心の傷を癒すと決めたんだった。
女狐に深い傷を負わされた心を癒すためには高校時代のように、恋人らしく振る舞うのが一番だ。
辛い思い出を消すには幸せな感情で塗り潰すのが多分一番有効な方法だと思う。
羞恥心をすぐに無くすことなんて出来ないけれど、その代わり宮侑との触れ合いに躊躇いを見せちゃいけない。
私が躊躇いを見せる度に、彼はきっと女狐から受けた仕打ちを思い出してしまうだろうから。

促された通り、宮侑の首に両腕を回す。
「首、痛ない?」と訊くと、さっきのしょんぼりとした声色とは打って変わって、弾んだ声色で「んーん、大丈夫や」と返された。
そのままスルリと腰に手が回され、再びチュウ、と唇が落とされる。
さっきまで合わせるだけのキスだったのに、突然唇を割って舌が口内に入り込んできてビクリと肩が跳ねた。
入り込んできた舌先がからかうように私の舌を突っつき、それにやり返すように舌を伸ばすとそれを待っていたかのように甘く歯を立てられる。
思わず宮侑の首に回した腕に力が入ると、それに合わせて舌に噛み付く力も少しだけ強まった。

「んっ、ん……」

「は……」

荒くなっている互いの呼吸音、微かに聞こえる水音、頭がクラクラしそうなほど高まる体温。
その全てが私の内側の熱を少しずつ引き出していく。
舌を滑らせ、甘噛みして、時々舌先を吸い上げて――そうやって時間を掛けて、今まで我慢していた分を取り戻すかのようなキスに私が限界を感じ始めると、それを察してくれたのか宮侑は名残惜しげに唇を離した。

「はぁ、は……」

漸く解放され、荒くなった呼吸を整えようと深く息を吐く。
息も絶え絶えで首に回していた腕も今じゃ力なく宮侑のシャツを掴むのが精一杯の私とは対照的に、宮侑は余裕そうに「フッフ」と笑いながら私の頬を優しく撫でた。

「かわええなぁ」

私の頬に自身の綺麗な指を滑らせながら宮侑はウットリとした声色で呟いた。
とりあえず何か言葉を返さなきゃと思い、小さく「ありがとぉ」と力なく返す。
不意に頬を撫でていた手が私の顎を軽く掴み、俯きがちだった私の顔を上に向かせた。

キスをした後、初めて宮侑と視線が交わる。

「お願いやから俺から離れんで……ずっと傍におってな」

約束したもんな――そう言って、宮侑は怖いほど綺麗に微笑んだ。




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