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▼ 治視点

「……ほんで、いつまでそうしとる気や」

“支度中”の札を表に出し、カウンターでキノコでも栽培するんかってくらいジメジメと湿っぽい雰囲気を漂わせている片割れの背に声をかけると、侑は「うー……」と低く唸るような声で返事を返した。

「もう諦めぇや」

「……嫌や、絶対諦めん」

うじうじと悩むくせして諦めの悪い侑に深く溜め息を吐く。

ここ数ヶ月、侑は店に来ては時々“彼女”について独り言のように愚痴を溢すようになった。
彼女の笑顔が減った、デートを断られた、ドタキャンされた――そう言ってはカウンターに項垂れて今にも泣きそうなツラを見せる片割れに何度「本人に直接言え」と告げただろうか。
俺がそう言う度に侑が「言うて嫌われたらどうすんねん」とこれまた弱気な発言を返すまでが定例だった。
バレーに関しては強気なくせして何でそこだけ弱気やねん。
そもそも――もうアイツとは別れるべきやろ。
それだけは口には出さず、カウンターの中に戻り、店の後片付けを始める。

――俺が“それ”を知ったのは数週間前だった。
店の定休日に家の日用品やらの買い出しに出かけた時、前方からよく知った懐かしい顔が男と一緒に歩いてきたのだ。
侑の高校からの彼女で俺の友人でもあるその女は、侑ではない男と腕を組んで歩いていた。
向こうも俺に気づいたのか視線がこちらへ向いた。
しかし彼女はすぐにフイ、と視線を逸らすと何食わぬ顔で通り過ぎていき、俺はただその背中を呆然と身送ることしか出来なかった。

その夜、俺はアイツに電話をかけた。
昼間見かけたのは人違いだったかもしれん、腕を組んでるように見えただけできっと俺の勘違いや――そう願っていたが、アイツの口から出た言葉は非情なものだった。

「私が侑以外の男と居って何が悪いん。 治に関係あるんか? ないやろ」

「は……? お前なに言うとるん」

「話しってそんだけ? ならもう切るわ」

「ちょお待てや!」

プツ、と切られた通話。
もう音はしないのに俺は暫く呆然としたままスマホを耳に当て続けた。

――ここ数年、アイツと顔を合わせる機会は殆どなかった。
だけど高校時代はそこそこ仲が良かったと思うし、卒業してからも侑を含めた三人で飯を食いに行くこともあった。
その時は、まだ“普通”だったと思う。
大学に進学して少し派手な見た目になったとは思うが、変わらず侑とは仲が良さそうだったし、俺とも普通に話していた。
俺の名を呼ぶ柔らかい声を今でも思い出せる。
それなのにさっき久々に話したアイツの声は酷く刺々しいもので、本当にアイツなのかと疑いそうになった。

「なんやねん……」

無意識に出た声は酷く弱々しいものだった。
不意に侑が溢していた言葉の数々が頭を過ぎる。
侑の愚痴を聞いた時、俺の中にはまだ高校時代のアイツの印象が強く、心のどこかで“アイツがそんなことするか?”と思ってしまっていた。
だけど今なら解る――アイツは、変わってしまったのだと。


その日から何の因果か、街中でアイツの姿を見かけることが増えた。
隣には相変わらず侑ではない男を連れていて、そしてそれに比例するように侑が店に来てカウンターで項垂れる頻度が増えていった。

侑が浮気に気付いているのかは俺には分からない。
だけど泣きそうなツラを見せる侑に追い打ちを掛けるような発言をするのはどうしても憚られ、侑にはアイツが浮気しとることがどうしても言えなかった。

だから俺はアイツに電話をかけ続けた。
侑の気持ちを考えろと、時には脅すつもりで侑を悲しませるくらいなら別れろと言ったこともある。
だけど、どの言葉もアイツには届かなかった。
そのうち電話をかけても通話が繋がることがなくなり、俺はアイツとの繋がりがプッツリと途切れてしまったことに気付いた。

「なあー、治」

「……なんや、侑」

「どーしたらアイツ繋ぎ止められるんやろ」

その発言はまるでアイツの浮気に気付いているように思えて、俺は思わずギクリと身体が跳ねた。
手を止めて侑の方に視線を向けるが相変わらず侑はカウンターに突っ伏していて、表情が見えない。

「……侑、言うとくけど監禁は犯罪やからな」

「そんなん知っとるわ」

苦し紛れに口にした言葉は半分冗談を含めた発言だったが、半分は本気で心配していた。
侑は何よりもバレーボールを愛しとるから選手生命を絶つような、そう、犯罪行為などには流石に手を染めないだろう。
そう頭では理解しているつもりでも、最近の侑にどこか危うさを感じるせいか仄暗い不安が思考に纏わりついてくる。
ああ、なんや腹痛なってきたわ。

「……結婚したら、ずっと一緒におってくれるやろか」

俺の不安など露知らず、侑は溜め息を吐きながらぼんやりした様子でそう溢した。
何となくコイツの考えていることが解ってしまい、思わず眉を寄せる。

「婚姻届勝手に出すのも犯罪やで」

「えっ、そうなん?!」

「当然やろ、アホ」

コイツやっぱり勝手に婚姻届出そうとか考えてたんかと、俺は片割れのどうしようもなさに頭を抱えた。
「知らんかったわあ」と溜め息を吐く侑。
心底残念そうではあるが、さっきまでのジメジメとした湿っぽい雰囲気が薄れていて少しだけ安堵した。

「お前、なんでそないにアイツに固執するん」

「あ?」

俺の言葉に侑は不機嫌そうに眉を寄せた。
当たり前のこと訊くなや――そんな声が聞こえてきそうだ。

「そんなん好きやからに決まっとるやろ」

「いくら好きな相手でも限度があるやろ。 そないに素っ気なくされたら別れるとか考えるんちゃうんか、普通は」

シン、と静まり返る。
侑は俺の言葉に何も返さなかった。
いつもならこんなこと言われたら怒りを露わにして、そこから口喧嘩へと発展するはずなのに気味が悪いほど侑は静かだった。

「アイツが……」

「……?」

「アイツが言うたんや、ずっと一緒におるって。 せやから絶対離れん」

――嘘やろ、コイツ。
片割れの言葉に俺は驚愕した。
だってそれ、高校の時に言われた言葉やろ。
そんな何年も前の言葉一つでアイツに執着しとるんか。

「……じゃあ」

言うべきではないと思っていた言葉。
それを今、俺は怖いもの見たさで口にしようとしている。
心臓が嫌に忙しなく鼓動を早めているのが自分でも分かった。
ゴクリと唾を飲み、その言葉を恐る恐る口にした。

「もしも……アイツが浮気でもしとったら、どないする」

ぎこちない問い掛けに、侑は「そんなん決まっとるやろ」と鼻で笑った。

「絶対に逃がしたらん――俺を選ぶまで、どこまでも追いかけたる」

「……ストーカーも犯罪やで、アホツム」

アイツに嫌われたくないと弱腰になる反面、絶対に手放さないと強い執着心を見せる片割れに深く溜め息を吐いた。

アイツもどうしようもない女になってしまったが、侑も侑で色々と拗らせ過ぎてる。
ある意味お似合いなのかもしれないと思うが、アイツのせいで侑が苦しんでいるのも事実。
互いの為にもやっぱり別れるしかないのだろう。

(しゃあない、か……)

惚気はウザかったが、高校時代の仲の良い二人を見るのは少しだけ好きだった。
人でなしのポンコツだと思っていた片割れが心底愛おしそうな優しい目をアイツに向けているのを初めて見た時の衝撃は、多分一生忘れないだろう。
だけどもう、あの時の二人を見ることは出来ない。
それが少し、ほんの少しだけ寂しいような気がした。



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