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▼ 02

買い換えたばかりのスマホから顔を上げ、私は目の前のお店の看板を見上げた。
“おにぎり宮”と書かれた看板を見ていると気持ちが高揚し始めるけれど、これから会う人物の事を思うとすぐシュンと気分が降下した。

「ふぅーー……よし」

意を決して、お店の引き戸をガラリと開けた。

「いらっしゃ……」

お店の店主――宮治は私の姿を確認すると微かに目を見開き、言葉を途切れさせた。
どうしようもなく気まずい空気に耐え切れなくて、扉を閉めてから小さく「どうも」とお辞儀をすると、我に返ったのか宮治は「誰かと思たわ」と口にした。

それもそうだ、今の私は昨日までの私とは丸っきり違うのだから。
それは精神的な意味ではなく、外見がだ。
明るく胸元まであった髪は黒く染め直してバッサリボブカットに。
露出が多く派手な服装は封印して、シンプルながら上品な服装を選んでメイクもそれに合わせた。
ネイルもマツエクも取っ払って来た。
今の私は正しく“高校時代の彼女”がそのまま大人になった姿だろう。
むしろ宮治がすぐに私だと気づいた事の方が驚きだ。
私の記憶が確かなら、年単位で顔を合わせていないのだから。

「飯食いに来た……ってわけやないやろ? 何しに来たんや」

お昼ご飯には遅く夜ご飯には少し早い今の時間帯、幸いと言うべきかお店にはお客さんは居らず、外面を取り繕うことなく宮治は睨みつけるように私を見た。

高校を卒業してから数年――大学に進学してから女狐へと変貌した片割れの恋人に、宮治は何度も説得を試みた。
侑の気持ちを考えろと、アイツを傷つけるだけなら別れろと、何度も女狐に言って聞かせた。
しかしその言葉に女狐は一切耳を貸さず、煩わしいと言わんばかりに宮治の連絡先を削除したのだ。
女狐と宮治の関係はそれっきり。
高校時代はそこそこ仲が良かった二人だっただけに、そんな最悪の喧嘩別れをするなんてあんまりだと思う。
しかもその時の記憶が鮮明に残っていて、宮治を目の前にすると罪悪感で胸が張り裂けそうだった。

「……謝りに、来ました」

「は?」

「今まで沢山迷惑かけてごめんなさい」

深く、頭を下げる。
宮治が小さく息を呑むのが聞こえた。
そして少しの沈黙の後、驚きと困惑の混じった声で「謝る相手が違うやろ」と呟くように返された。

「侑とは、昨日話した」

「……そおか」

再び沈黙が流れる。
今日私が宮治に会いに来たのは謝るためというのも理由の一つだけど本題は別にあった。
それをどう切り出そうか悩んでいると、そんな私の心情を察したのか宮治は「突っ立ってないで座りや」と促してくれた。

カウンター席に腰を下ろす。
さっきより近くなった宮治との距離に、心臓が締め付けられるような痛みを訴え始めた。
それは前世で好きだったキャラを目の当たりにした喜びのせいか、それともこれから話すことへの緊張感のせいか――いや、絶対に後者だ。
私は女狐と違ってそこまでお呑気じゃない、と信じたい。

「治くん」

「うわ、なんやその呼び方。 気味悪いわ」

そこまで言うかい、と思わずツッコミを入れそうになったけど、すんでのところで踏み留まる。
確かに女狐は高校卒業した辺りから宮治のことを呼び捨てにしていたようだけど、私の記憶が確かなら宮侑はそのことを不満に思っていたはずだ。
呼び捨ては恋人である自分だけの特権だと、一度だけそう言われた記憶が確かに存在する。
だから今からでも呼び分けようと、そう思ったのだ。
そう説明すると、彼は怪訝そうに「ほんまお前どういう風の吹き回しや」と言いながら眉を顰めた。

「……私、もう侑のこと傷つけたない」

「……」

「スマホも買い換えて連絡先も全部捨てた。 もう浮気はせえへん」

「……そんなん、信じられんわ」

宮治の言葉に、私は無意識にホッと息を吐いていた。
彼の言葉に安心してしまったのだ。

宮治の反応は正しい。
今までの女狐の所業を考えたら、まず疑うのが当然だ。
それなのに何の疑いもなく信じた宮侑の姿が脳裏に浮かぶ。
彼の心はきっと正常じゃない。
そしてそうさせたのは、紛れもなく私自身だ。

「侑な、昨日私がもう絶対悲しませんからやり直してほしい言うたら信じたんよ」

「……」

「何の疑いもなく、嬉しい言うて泣いとった」

「……侑は心底お前に惚れとるからな、信じるやろ」

そう言うと宮治は辛そうに表情を歪めた。
彼はきっと女狐だけでなく、宮侑にも何度も話したのだろう。
もう昔の彼女とは違うんだと、傷つくだけだと、何度も説得しようとしたに違いない。
だけど宮侑は女狐と別れなかった。
片割れがこんな女狐一人のせいで弱りきった姿をみせた時、そして自分の力じゃどうしようもないと理解した時、宮治はどんな気持ちだったのだろうか。

「せやけど……それってやっぱりおかしいやん」

「……なにがや」

「散々傷つけられてきた女の言葉を何の疑いもなく信じるの、おかしいやろ」

ピクリと宮治の眉が動く。
不機嫌そうに変化していく表情は「お前がそれを言うんか」と言っているようだった。

「せやから、協力してほしい」

「は? なんやねん、協力って」

「私から侑を解放するのを手伝ってほしいんや」

宮治の目が微かに開き、小さく「別れるんか」と問われた。

「侑の心の傷が癒えたら円満に別れる、つもり」

そう言うと、宮治は深く溜め息を吐きながら目を覆った。
漸く片割れが女狐から解放されることに安堵しているのだろうか。

「別れたら、もう二度と侑の前に姿見せんて約束する。 せやから、協力してもらえんやろか」

何か考え込んでいるのか目を覆ったまま黙り込んでいる宮治に再び問い掛けると、彼は漸く覆っていた手を離して私の方を見た。
その目はどこか鋭くて、ギクリと身体が強張った。

――何か嫌な予感がする。
これから宮治の口から出る言葉が悪いものであると予感していた。
聞きたくない、耳を塞いでしまいたいのに私の身体は言うことを聞いてくれず、ただ呆然と彼の言葉の続きを待つしかなかった。

「お前、侑のこと甘く見過ぎやで」

「え……?」

「アイツの好きなもんへの執着心は人並み以上や。 今まではバレーだけに向けられてたのが、今じゃお前にも向けられとる」

その言葉を聞いて、脳裏に昨日の宮侑の様子が過った。
涙を流しながら自分を選べと詰め寄ってきたあの光景。
それを思い出したら宮治の言葉が間違いだとは思えず、ゾクリと背筋が凍るような冷たさに襲われた。

「多分、どんな手ぇ使うても手放してたまるかって思とるで」

「え、や……ウソやろ……?」

「まあ、バレー命なとこは変わっとらんから選手生命絶つような真似はせんやろうけど」

顔を青くした私に申し訳程度の慰めの言葉を吐いた宮治は、最後の追い討ちと言わんばかりに重く、絶望的な言葉を口にした。

「せやから多分アイツの心の傷癒せたとしてもお前、別れられんで」


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