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▼ 01

急に何の連絡もなく家に押し掛けて来た高校時代からの恋人。
そいつが「コイツ誰や」と目の前に突きつけてきたスマホ画面には私と“彼氏”が腕を組んで歩いている写真が映し出されていた。
「何勝手に撮ってんねん」と反論すると「さっさと答えや」と強めの口調で返され、苛立ちが浮かぶ。
長い付き合いやし顔も良いからそのまま付き合ってきたけど、もうええわ面倒くさい。

「私の本命の彼氏や、なんや文句あるんか?」

吐き捨てるように告げると、相手は目を見開き言葉を無くした。
そして次第にその目に涙が浮かび始め、ポロ、と一粒の涙が頬を伝っていく。
まるでスロー再生した映像のように、その一粒の雫がゆっくりと落ちていくのを見て、私は思い出した。
普通ならばありえない前世の記憶、そしてその記憶の中にあるこの人の姿。

――この人、宮侑じゃん。

いや、え、嘘でしょ!?
何でこんなタイミングで前世の記憶とか思い出しちゃうわけ?!
よりにもよって恋人に、宮侑に浮気がバレたこの瞬間に思い出すなんて酷過ぎる。
せめて浮気する前――いやいっそのこと宮侑と付き合う前に思い出したかった。
そうやって現状を嘆いても場は好転することはなく、宮侑はポロポロと涙を流し続けているし、私は私で混乱と過去の自分に対する嫌悪感で吐きそうになっていた。

前世の記憶を思い出しても当然今世の記憶が上書きされるわけもない。
私の頭の中にはありとあらゆる嫌ぁな記憶がわんさか溢れかえっている。
これはあれだ、宮侑はマジで私と別れた方が良い、断言出来る。

「……侑」

「なん……」

呼びかけると、鼻を啜りながら宮侑は私の方を見た。
今もなお流れ続ける涙を見ていると罪悪感からズキリと胸が痛みを訴える。
だけどこんな痛みクソ食らえだ。
彼の方が、ずっと酷い痛みを抱えているはずだ。
それはきっと今日だけじゃなく、ずっとずっと前から彼は痛みに耐え続けてきたのだろう。

「たくさん傷つけてごめん、お別れしよ」

ポロリ。
また一粒涙がこぼれ落ちていった。

「嫌や……他の奴んところ行く気やろ」

「侑、このままやと……」

「うっさいわ!! 他ん奴やなくて俺を選べや!!」

言葉は強気なのにその顔は涙でべしょべしょになっていて、より一層悲痛に感じる。
だからこそ、間違ってもここで絆されちゃいけない。
宮侑はまだ知らないだろうがこの女、二股じゃなくて三股しとる。
それだけじゃなく所謂“貢いでもらうだけ”の男なんて何人もストックしているような性悪女狐だ。

女狐にも、純粋な時期は確かに存在した。
宮侑と交際を始めた高校時代、あの頃の彼女は今よりもずっと純粋で一途で、何よりも宮侑のことを心から愛していた。
宮侑がそんな彼女の事を大切にしてくれていたことも知っている。
だからこそ宮侑は彼女の事が諦めきれないのだろう。
綺麗で純粋な思い出に囚われて、もしかしたら昔の彼女に戻ってくれるんじゃないかって希望が捨てられない。
そんなキャラじゃないだろうに、恋は良くも悪くも人を変えてしまうのだろうか。

「侑は……私のどこが好きなん?」

問うと、宮侑は乱暴に涙を拭いながら「幸せそうに飯食うとこ」と答えた。
それだけかと思いきや「デートの時の楽しそうな顔」「一生懸命頑張っとるとこ」と他にもポンポン言葉が飛び出してくる。

「あと、俺を見上げる時の目……」

そう言うと宮侑は辛そうに眉を顰めた。
彼自身気付いているのかは知らないが、今彼が挙げたのは“高校時代の彼女”の好きなところだ。
私の中の記憶が確かなら、彼女はここ数年そんな振る舞いを見せていない。

高校時代はコンビニの豚まん一つで幸せそうに表情を綻ばせていたのが今ではSNS映えする料理を写真に収めたら興味なさそうに口にして、たまにしか行けないデートを心待ちにしていた高校時代と打って変わって、今では浮気相手とのデートを優先させ、宮侑に誘われても面倒くさそうに断る始末。
宮侑の彼女だと胸を張って言えるようにと勉強にも自分磨きにも力を入れていたあの頃と違い、今の彼女が頑張った事と言えばいかに男に貢がせるか考える事だけ。
愛おしい恋人を見上げた優しい瞳も、いつしか冷めたものに変わった。
こんなにもどうしようもない女狐なんかさっさと振ってしまえば良かったのに、もうそれすら宮侑には出来ないのだろう。
そう思った瞬間、私の脳裏にある考えが過ぎった。

こんなにも過去に囚われている彼をここで突き放したら、どうなってしまうのだろうか――と。

今まではどんなに彼女が悪い方へ変わっても別れを告げられてない、まだやり直せると何とか保っていた心が壊れでもしたら、そしてそのせいで彼のバレーに少しでも支障が出てしまったら――ダメだ、そんなことは許されない。
こんな女狐一人のせいで彼のバレーに翳りが出るなんてあってはならないことだ。

そう考えた瞬間、私は咄嗟に宮侑に腕を伸ばしてその大きな身体を思い切り抱きしめていた。
ビクリと彼の身体が強張ったのを感じ、安心させるように優しく背中を撫で付ける。
そうしているとそのうち強張っていた身体から力が抜け、安心したかのように宮侑が小さく息を吐いたのが聞こえた。

「……今まで沢山傷つけてごめん」

さっきと同じ言葉を口にすると、また別れ話をされるのかと勘違いしたのか再び彼の身体が強張った。
大丈夫だよ、と意味を込めて、幼子にするように背中をポンポンと軽く叩きながら「あんな」と言葉を続けた。

「もう絶対傷つけたりせんって約束するから……だから、もう一度だけチャンスをくれませんか?」

ピッタリとくっつけていた身体を少しだけ離して宮侑を見上げると、彼はこれでもかってくらい目を見開きながら私を見下ろしていた。
何かを言おうとしているのか、口が小さく開いては閉じてを繰り返している。
そのうち消え入りそうなほど小さく「ええの?」と声が聞こえ、私は即座に頷いた。
その瞬間、抱き潰されるんじゃないかってくらいに力強く抱きしめられ、思わず「ぐっ」と呻き声が漏れる。
私の呻き声に気付いていないのか宮侑はギュウギュウと抱きしめながら「嬉しい」「もう絶対離さん」と弾んだ声で繰り返し私に告げた。

その様子を見て、私は察した。
あかん、これは想像以上に重症や――と。
今まで散々嘘を吐かれ、傷つけられてきた女狐の言葉に何の疑いも持たずに心を躍らせている宮侑を見て、私の中に益々使命感のようなものが浮かんだ。
一刻も早く宮侑を過去から解放して、そしてちゃんと円満に別れる必要がある。

もしかしたら蘇った時と同じように何かのきっかけで急に前世の記憶が消えてしまうかもしれない。
そうなったら私はまた女狐に逆戻りだ。
そんなことになったらもうどうにも出来ない。
だからそうなるより前に早急に宮侑を解放して、私はどこか遠くへ――彼の前から消えるべきだ。
それが“私”に出来る唯一の罪滅ぼしなのだから。
そう心に決めながら、私は力強い抱擁に応えるように彼の事を抱きしめ返した。


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