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▼ 1

これまでの人生で私は誰かを意図的に傷つけたいと思ったことはなかった。
それでも今この瞬間――私は“あの男”の心をズタズタに引き裂いてやりたいと、心の底から思った。


目の前で妹がポロポロと涙を流しながら私の服を掴んでいる。
帰って来て私の顔を見るなり決壊したように泣き始めた妹を宥めながら理由を問うと、彼女は小さく「フラれた」と口にした。
二つ下の妹は今年中学に入学したばかりだ。
女子バレー部に入り、日々練習漬けの毎日を送る妹は恋なんて当分しないのだと勝手に思い込んでいた私にはまさに青天の霹靂だった。
怒りに荒れ狂いそうになる心を落ち着かせながら静かに「相手は?」と問う。

「宮……先輩」

相手の名前を口にすると妹は更に声を上げて泣き出してしまった。
宮という名前には聞き覚えがあった。
私と同学年のかなり目立つ男で、知り合いじゃなくてもその名前はよく耳にしていた。
確か名前は侑とかいう名前だったと思う。
そうか、アイツが……。

「じゃ、邪魔やって……っ、そんなんに現抜かしとるから、バレーもヘタクソなんやって……」

どうやら宮侑は妹を振っただけでなく他にも彼女を傷つける言葉を吐きやがったようで、妹はフラれたことよりもその言葉に心を痛めていた。
泣きじゃくる妹を抱きしめ、背中を優しく撫でてやりながら私は心の中で誓った。
どんな手を使っても妹に付けた心の傷以上に深い傷をヤツの心に残してやる、と。

――しかし、宮侑に復讐すると誓ってもすぐには実行に移す事が出来なかった。
受験生だったと言う事もあるが、それ以上に問題なのは宮侑自身だった。
性格はお世辞にも良いとは言い難い男だが、そのルックスの良さとバレーの才能、そしてバレーの時以外に見せる年相応の少年らしい振る舞い――そういった要素が色んな人の心を掴むらしく、ヤツと表立って揉めたら多分結構面倒くさい事になる。
私だけなら問題ないけれど妹にまで被害が及んだら元も子もない。

ヤツに復讐するには地盤を固めなければいけない。
まずは交友関係を広げて、周りの信頼を得る。
宮侑と何かあっても「あの子はそんなことしないよ」と味方になってくれる人は多いに越した事はない。
そして生徒だけでなく教師からの信頼を得るために勉強も手を抜かず、真面目過ぎない程度に優等生を演じた。

そうやって地盤を固めているうちに私は宮侑と同じ稲荷崎高校に進学し、そのまま一年間はヤツと接触する機会に恵まれないまま二年生へと進級した。

そして漸くヤツと接触する機会が訪れた。
宮侑が、同じクラスになったのだ。
しかも隣の席というおまけ付き――この機会を逃す手はない。

「隣の席、宮くんなんや。 よろしくー」

席に着きながら右隣の宮侑に声を掛けると、気怠るそうな視線がこちらへと向いた。
地盤固めに奔走している時に身に着けた作り笑顔を浮かべるのも忘れない。
話す相手全員妹だと思って接したら気に食わない相手――そう、まさに宮侑のような人間相手でも穏やかに微笑みながら優しく接する事が出来るようになったのだ。

私の顔をジッと見つめると、宮侑はおもむろに口を開いた。

「……自分、キショいわ」

吐き捨てるように投げかけられた言葉に思わず笑顔のまま固まった。
上等だコラ、表出ろや――とは間違っても言えず、言葉と一緒にゴクリと唾を飲む。
思いのほか宮侑の声は他のクラスメイト達にも聞こえていたらしく教室中がシン、と静まり返っていた。
さっきまでクラス替えという一大イベントに浮き足立っていた雰囲気とは打って変わってクラス中に緊張が走っているのを感じる。
こんだけ注目集めとったらヘタなこと言えんな、と気を抜いたら暴言を吐きそうになるほど荒ぶった心情を必死に抑え込みながら、ゆっくりと口を開いた。

「ふふっ、悪い口」

幼い頃に妹がイタズラをした時の事を思い出しながら言葉を発すると予想以上に優しい声が出て、内心安堵する。
この声なら私が心の中で宮侑にキレ散らかしているとは誰も思うまい。
そう思いながら鞄からポーチを取り出して、お目当ての赤い包みのキャンディを宮侑の机にコロンと置いた。

「……なんやコレ」

「キャンディ。 宮くん辛口過ぎるからちょっとでも甘〜くなれば良えなって」

これくらいの小さい嫌味ならばクラスメイトも引きはしないだろう。
宮侑は私の発言が気に食わないのか不機嫌そうにピクリと眉を動かした。
鋭い目付きで睨まれ、つい笑みが深くなってしまう。
そんな表情出来んのも今のうちやからな。
そう心の中で宣言しながら、キャンディに手を出そうともしない宮侑に「食べて?」と声をかけた。

意外にも、宮侑は言われた通りにキャンディに手を伸ばした。
宮侑の視線が私の方を向く。
さっきまで鋭い視線だったのが少し落ち着いているのが気になったが、それでも宮侑は何の躊躇いもなくキャンディの包みを取り、そして私にしっかりと見せつけるように口の中にキャンディを放り込んだ。

「おいしい?」

ヤツが素直にキャンディを口にしたことが面白くて意図せず弾んだ声色になる。
そんな私の声の変化には気付いていないようで、宮侑は返事のつもりなのか小さく「ん」と呟いた。

「ん……? なんや変わっ、んん゛ん゛?!?!」

なんや変わった味やな――と続くはずだったであろう声が悲鳴のような唸り声に変わり、思わず吹き出しそうになった。
よっぽどビックリしたのか宮侑は口の中のキャンディをペッと吐き出し、まだ丸っこい形のキャンディはコン、と床を跳ねて前の方へ転がっていった。
吐くなや、ばっちいな。

「かっら!!! なんやねんアレ?!」

「唐辛子キャンディ。 流石に辛かったかあ」

「辛いに決まっとるやろ!? なんてもん食わすねんこのアマ!!」

きっとメッチャ辛かったんやろうなあ、と他人事のように考える。
まあ実際他人事なのだが。
顔を真っ赤にして少し涙目になりながら食ってかかってくる宮侑は正直何も怖くない。
仔犬に戯れ付かれとるようなもんで、作り笑いではなく心からの笑顔を浮かべながら受け流していると、クラスメイトの一人が「ふふっ」と小さく笑い声を漏らした。
それを皮切りに緊張の糸が解けたようにクラス中に笑い声が広がり、何人かが宮侑に向かってヤジを飛ばし始める。

「侑、今のはお前が悪いでー!」

「はよ飴ちゃん拾い〜」

「あっはは! 侑くん顔真っ赤やん!」

そんなクラスメイトの野次に宮侑は「うっさいわドアホ!!」と悪態を吐きながら席を立った。
しゃがみ込んでキャンディがどこに転がっていったか確認し始めた宮侑を見ながら、ちゃんと拾おうとするんやな、とぼんやり考える。

「宮くん、これ使って」

言いながらポケットティッシュを差し出すと、ヤツは小さく舌打ちしてポケットティッシュの中身を殆ど掴み取っていった。
おい待てふざけんなダボ、これちょっとお高いティッシュやぞ。
心の中で悪態を吐きながら残り一枚になってしまったポケットティッシュをソッとポーチの中に戻す。

――宮侑は、モテる分には構わないが騒がしくされるのは好かない性格だと思う。
だから今日はもうヤツと関わらない。
付かず離れずの距離感を保ちながら宮侑に好意を寄せる女の子達とは違う振る舞いをして、少しでもヤツの関心をこちらに向けさせるのだ。
翻弄して、心をかき乱して、そして――絶対に惚れさせる。
どんな手を使ってでも、宮侑の心に深い傷跡を残してやるんや。

(覚悟しとけよ)

私は心の中でひっそりと宣戦布告をし、宮侑から視線を外した。


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