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▼ 侑視点

妖狐は人間の生気を吸い取り、それを妖力に変える。
俺ら妖狐にとって人間は食料となんら変わらん存在だ。
だけど、時々“例外”が現れる。
食料としてではなく、腹の底から自分のモノにしたいと、手に入れたいと焦がれる人間がたまに現れるらしい。
そんなん妖狐の間で語り継がれとる本当かも分からんようなお伽話だ。
かく言う俺も全く信じていなかった。

だけど今日――俺はその“例外”を目の当たりにした。


暑さにバテ、少し涼もうと足を運んだ川辺にいた先客。
それは見慣れないちっこい人間の女だった。
普段ちっこい人間が一人で川辺に来ることはなく、なんや他所モンかと警戒心を抱きながら睨むように見ると、ソレがこちらに振り向いた。
その瞬間――全身に強い衝撃を受けた。
雷でも落ちたんかと錯覚するような電流が頭から爪先まで駆け巡る。
全身の血液が沸騰したように熱く滾り、一つのことしか考えられなくなった。

(欲しい……)

コイツが欲しい。
今すぐ俺のモノにしたい。
絶対に誰にも渡したくない。
そんな考えばかりが頭を巡り、まともな判断ができなくなりそうだった。

「お前……どっから来たん?」

必死に心を抑え込み、平常心を装って話しかけると女は「おばあちゃんのお家」と能天気そうな声で答えた。
そう言えば娘と孫が遊びに来る言うとった婆さんが居ったなと思い出す。
確か桜の木がある家の婆さんやったか。

「名前は、なんていうん?」

ゴクリ、と喉が鳴る。
人ならざるモノに名を教えるということは即ち、全てを明け渡すということ。
俺が妖狐だと彼女が知っているのか否か、そんなこと考える余裕もなかった。
いや、本当はちょぴっとだけ考えた。
もしも妖狐のことを知らなければ、もしも俺のことをただの人間だと思って名前を教えてくれれば――彼女を俺のモノに出来る、と。

「名前!」

彼女は何も知らず、無邪気に自分の名を口にした。

「名前だけ? 苗字は無いん?」

「あるよ? あのね、苗字は苗字ってゆーの」

「苗字名前、かぁ……ええ名前やなぁ」

ふわりと、俺が纏っていた妖力が名前の首は絡みつくように漂い始め、思わず笑みが深くなった。
騙しているような気分にもなるが無知な方が悪いんやと誰に言うわけでもなく言い訳をする。

「おにーちゃんのお名前は?」

「侑や」

「あつむおにーちゃん!」

「んん……」

あまりに名前が無邪気な顔をするものだから、出来れば名前だけで呼んでほしいという言葉は咄嗟に飲み込んだ。
お兄ちゃんと呼ばれると一瞬双子の片割れの顔が嫌でも脳裏に浮かび、なんとも言えない気分になる。
アイツは間違っても俺のことをお兄ちゃんとは呼ばないが。

「あつむおにーちゃん、お腹すいてる? いっしょにおやつ食べよ!」

「ああ、ええなぁ。 めっちゃ腹減ったわぁ」

名前に手を引かれ、手頃な岩を椅子代わりに二人で並んで座る。
キラキラと目を輝かせながらお菓子の袋を開けると、名前はまず俺の方へ袋を差し出した。
先に食べても良い、という意味だと解っているが敢えて手を伸ばさず「あー」と口を開けた。
名前は俺の意図を汲んでくれたようで、一瞬キョトンと首を傾げたがすぐに袋からお菓子を一つ摘んで俺の口に入れてくれた。

「おいしー?」

「ん、美味い」

白くてふわふわしたお菓子は甘く、思わず顔が綻んだ。
俺の反応に満足したのか名前も袋からお菓子を摘み、自分の口に入れた。

(あー……かわええなぁ)

幸せそうに口を動かす名前を見て、初めて人間に対して可愛いという感情が芽生えた。
名前は俺の視線に気付くと、ニコリと笑って再び白いお菓子を俺の方へ差し出してくれて、促されるまま口を開ける。

「なあ、名前は」

「だめ!」

「えっ」

「名前ちゃんって呼ばないとお返事しない!」

しかめ面をする名前、ちゃんのワガママを聞き入れ、改めて「名前ちゃんは」と話し始めると、彼女はさっきまでのしかめ面と打って変わって満面の笑みを浮かべながら「なあに?」と言葉を返した。

「遠くから来たん?」

「うん、とおくからきたよ」

「……また遠くに行くん?」

訊かんでも解っとる。
名前ちゃんはこっちに遊びに来ているだけ。
そのうち俺を置いてどこか遠くへ行く。
そして俺の知らない場所で、この可愛らしい表情を別の誰かに向けるのだ。
――そんなん耐えられん。

「また会いにくるよ」

すかさず名前ちゃんがホントかどうかも分からない約束を口にする。
その言葉、絶対に忘れんからな――そう念を押すように「約束やで」と告げると、名前ちゃんは呑気そうな顔で「うん、やくそくね」と返した。

「なあ、目ぇ閉じてくれん?」

「うん?」

口約束だけでは足りない。
名前を貰うだけでは足りない。
そもそも名前ちゃんには家族がいる。
まずはソレをどうにかしなければ、名前ちゃんは俺と一緒に居てくれないだろう。
こっちに呼ぶなら、未練は残さず消してやらな。

「ちょお上向いて口開けて」

「あー」

目を閉じたまま素直に口を開ける名前ちゃん。
その小ちゃい口を見ながら俺は自分の腕に爪を立て、思い切り切り裂いた。

「まだ目ぇ開けたらあかんで」

ボタボタと流れる血を名前ちゃんの口に入れる。
一瞬顔を顰めた名前ちゃんだったが、俺の言いつけ通りにギュッと固く目を閉じている。
器とかあったら良かったんやけどなぁ。
そんなん取りに行く時間も惜しいし、しゃあないけど名前ちゃんにはこのまま我慢してもらわんと。

(これくらいやろか……)

人間に血を分けるのは初めてで加減が分からない。
あんまり最初から多く与え過ぎると強すぎる妖狐の血が人間を殺してしまう、らしい。
人間に血ぃ分ける日が来るなんて思ってなくて、そこらへんちゃんと聞いとらんかったのが仇になるなんて。
でもまあ、こんなもんやろ。

「飲んで」

俺の言葉に名前ちゃんは口を閉じ、コクリと喉を動かした。
数回に分けてコクリコクリと嚥下すると、顔に皺を寄せて渋い顔をしながら「へんなあじ……」と苦々しく零した。
その様子を見て、自分の頬が緩むのがわかった。

「いまのなあに?」

「内緒や、内緒」

「えー」

――妖狐の血を身体に入れた人間は、同じく妖狐になる。
ちょっと少なかったかもしれないが、それでも名前ちゃんはもう人間には戻らない。
これから少しずつ血が馴染んで、俺らと同じように人間の生気を吸う妖狐になる。

妖狐になったばかりの彼女はきっと上手く力を制御できないだろう。
そうなればまず最初に名前ちゃんは自分の両親の生気を吸い上げる。
自覚もなく、無遠慮に、抑えることもせず。
こっちで一緒に暮らす時に両親が生きてちゃ未練になりかねない。
だから、名前ちゃんに自分の手で未練を断ち切ってもらう。
そうすれば、ずーっと二人で一緒に居れる。

「フッフ」

思わず笑い声が溢れた。
名前ちゃんが不思議そうに「ごきげんなの?」と首を傾げる。
ああ、せやなあ、ご機嫌や。

「なあ、約束守ってな?」

「うん」

「もしも約束破ったら、どこまでだって追っかけに行くからな」

俺の言葉に名前ちゃんはまた首を傾げた。
あー、かわええ。
名前ちゃんが俺の言ったら意味が解ってても解っとらんでも、どっちでもええわ。
逃す気ないし。

「はよ一緒になりたいなぁ」

名前ちゃんの頭を撫でながら、心の底からそう思った。



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