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▼ 宮治

「あれ、まだ居ったん?」

部室に入ってきた治の姿を見て、私は無意識にホッと息を吐いた。
これでもう一人の宮の方だったら私はもう声が戻らなくても良いと諦めていたかもしれない。
治とは仲が良いほうだし、この状況をからかったりするタイプでもない。
多分バレー部の中だと一番頼みやすい人物なのが治だ。

「どうしたん?」

何も答えない私に治は不思議そうな表情を浮かべて近寄ってきた。
――頼みやすい、とは言っても内容が内容だけに伝えるのを躊躇ってしまう。
だけど……うぐぐ、背に腹は変えられぬ……。
ノートとペンを取り出して、震えそうになる手でガシガシと文字を書きなぐっていく。
そして書き上げた文章をバッと治へと見せた。

“治と五分間キスせんと声が戻らん呪いにかかった”

「はぁ」

ノートを見た治は解ったのか解ってないのかいまいち分からない反応を見せた。

“アイス奢るから!”
“おにぎりも買っていいから!!”
“プリンも付けるから!!”

全然頷いてくれない治を頷かせようと、次々に書き連ねていったらプリンが決め手となったのか漸く治は「ああ、うん……別にええけど」と引き気味に承諾してくれたのだった。

とりあえずこれでマネージャー続けられそうだとホッと息を吐く。
「ありがと」と口パクで治にお礼を伝えると治は「おん」と普段通りの真顔で頷いた。
仮にも女子から「キスしてほしい」と頼まれたのにこの平常心っぷり、相当場馴れしとるとみた。
治の浮ついた話なんて全然耳にしないからなんだか意外だ。

「こっちおいでや」

そう言って私の手を引くと、治はロッカーに背を預けて座り込んだ。
言われたとおり私も隣に座る。
すると、すかさず治が「ちゃう」と首を横に振った。

「俺の上乗って」

(えっ、なんで?)

思わずポカンと口が開いた。
治の言った言葉がイマイチ理解出来なかった。
俺の上に乗って、とは……?
頭の中で復唱してみたけど、やっぱり理解出来ない。

「五分間キスせなあかんのやろ? せやったらこう向かい合ってするんが一番楽やん」

(そう、なのかな……?)

キスなんて中学時代に付き合ってた彼氏と一度したきりだから正直よく分からない。
だけどこっちは頼んでいる立場だし、後になって治が首でも痛めてしまったらどうしようもない。
そう思い、向かい合うように治に跨った。
流石に治の上に座るのは恥ずかしすぎるから少し腰を浮かしている。
だけどそれでも至近距離なのは変わらず、心臓が嫌にドキドキと忙しなくて仕方がなかった。

「その大勢キツイやろ、腰下ろしや」

(えっ、嘘、待っ……!)

静止の声を上げることも出来ず、治に腰を掴まれてそのままゆっくりと下ろされた。
ピタリと治の脚と密着する。
えっ、待って、この体勢でキスすんの……?
そんなん恋人同士がやることやん、心臓が持たへん!
そう視線で訴えるけれど治は気付いてないのか無視してるのか「この体勢ええなぁ」とよくわからない発言をした。

「そんで、キスすればええんやっけ?」

ニッコリと穏やかに笑う治の言葉にコクリと小さく頷く。
腰を掴んでいた手が私の頬に触れた。
わあ、おっきい手。
現実逃避気味にそう考えるけど心臓の鼓動は正直で、今にも破裂してしまいそうなほど強く脈打っていた。
治の顔がゆっくりと近づいてくる。
自分から頼んだことなのに逃げたくて仕方がなくて、思わずギュウ、と目を閉じた。

「目ぇ閉じたらキスしたらんで」

「……!?」

治の言葉にパッと目を開いた。
至近距離で目が合った治はニンマリと笑みを浮かべていて、まるで揶揄われている気分になる。
治は性格ポンコツな宮と違って淡々と済ませてくれそうだと思ったのに……!
やはりDNAは一緒、治も宮と似た者同士ってことなのか。
じとりと治を睨むように見ると、治は更に笑みを深くした。

「フッフ、ええなぁ、その顔。 でももうちょい、かぁいらしい顔見せてや」

可愛らしい顔って何やねん。
そうツッコミたいのに声が出ない。
それが酷くもどかしくて、私の中に苛立ちが浮かんでくる。

(もうどうにでもなれ……!)

苛立ちをぶつけるように治の両頬を掴み、そのまま思い切りその唇にキスをした。
色気もクソもない、ただ苛立ちをぶつけるだけのキス。
今日日、中学生の方がもう少し色っぽいキスをするだろう。
だけどこっちは色気なんてどうでも良いからさっさとキスして声を取り戻したい。
そう訴えるキスに治は何を感じたのか、少し唇を離して「熱烈やなぁ」と的外れな発言をした。

「俺からもしてええ?」

そう言うや否や治は私の返事を待たずにチュウ、と唇を落とした。
それだけでなく唇を割って舌まで入れられて、ビクリと肩が跳ねる。

(さ、最低……!)

食いもん奢ってもらえることにテンション上がってんのか知らんけど、舌まで入れろだなんて頼んでない。
このまま噛んでやろうかと思ったけど、治とキスしなきゃ声が戻らないことを思い出してグッと堪える。

チュルチュル吸い上げてきたり、舌を絡めてきたり、しつこいキスに頭がクラクラして呼吸が荒くなってくる。
早く、早く五分経ってほしい。
声さえ戻ればこの舌、思いっきり噛んでやるのに……!
心の中で威嚇していると、その気配を察したのか治の唇がチュ、と音を立てて離れていった。

「はあー……あかんわ」

溜め息と共に熱の籠った声で呟くと、治はまるで甘えるように私の肩口に顔を埋めた。
手も背中に回り、ギュウ、と強く抱きしめられる。
いや、そんな恋人っぽいサービスは要らんからはよしてや。
そう意味を込めて治の服の裾をチョイチョイと引いて訴えると、治が少し顔を上げたのか肩の重みが無くなった。

「なあ、このまま続きしちゃあかん?」

「アホちゃうか」

アホみたいなこと言い始めた治の言葉に思わずツッコミを入れると聞き慣れた自分の声が鼓膜を揺らし、目を見開く。
うっそ、声戻っとるやん!!
声が戻った喜びから、さっきまで治に抱いていた苛立ちも綺麗さっぱり消えていく。
なんやコイツとか思ててごめんな!

「治のお陰で声戻ったわ、ありがとう。 もう離して」

上機嫌でニコニコと笑みを浮かべながら告げる。
しかし聞こえているはずなのに治の腕は相変わらず私の背に回されたままで、一向に離れる気配がなかった。

「治?」

呼び掛けるが反応はなし。
え、まさかこの一瞬で寝た?
そんなアホみたいな考えが浮かんだ瞬間、治が口を開いた。

「……嫌や」

ポツリと零された駄々っ子のような言葉に「は?」と声が出る。

「や、もう終わったから離れてや」

「嫌や、まだ満足しとらん」

「なに言うてんねん」

よく分からないことを言い始めた治に痺れを切らし、どうにか抜け出せないかとモゾモゾ身体を動かすが抜け出せず、治の腕の力が強まっただけで逆効果だった。
え、ちょお待って、これどないするんが正解なん?
なんで私の声を戻すためにやっとったことが治を満足させる話に変わってるん?
困惑する頭を落ち着かせるために一旦抵抗を止めると治の腕の力が少し弱まった。

「……もっかいだけキスさせてや」

ぽそりと耳元で囁くように告げられた言葉に、すかさず「え、なんで?」と言葉を返す。
本気で意味が解らない。
治に限ってファーストキスなわけないやろし、こんなキスに執着するような色ボケ野郎とも思えない。
そんなふうに治のことをモヤモヤと考えていると「そんなん」と治が口を開いた。

「好きな子とのキス、五分じゃ足りひんに決まっとるやろ」

「あ、そう……」

治の言葉に私は気の抜けた返事しか返せなかった。

治が私のこと好きとか初耳なんやけど。
百歩譲って治の好意に気付かずにキスしてなんて無理なお願いした私に非があるんだとしても、だ。
色々と順序すっ飛ばしすぎや。
なんで告白もせんとキスおかわりしようとしとんねん。
今まで宮の方が性格ポンコツや思とったけど、治も大概やな――そう考えながら私はどう治を説得するか思考を巡らせるのだった。



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