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▼ 北信介

「なんや、まだ帰っとらんかったんか」

(き…………った主将!!!)

なんと部室に入って来たのは我らが大将、北信介さんだった。
え、嘘でしょ、誰かジョーダンやって言うて!!
私、北主将に「キスしてください」って言わなあかんの?!
こんなん無理ゲーすぎるやん……!!

「どないしたん」

何も言わない私に北さんが怪訝そうに眉を寄せる。
咄嗟に口を開くけど当然私の口から声が飛び出すことはなく、ただ口を開閉するだけに終わった。
私の挙動不審な様子に益々北さんが眉を顰める。
う……うう、ここで悩んでいても仕方がない、背に腹はかえられぬ……!

“北さんと五分間キスしないと声が戻らない呪いにかかりました。 後生です、キスしてください”

声が出ないのでノートに書いて伝える。
これ書くのも見せるのもだいぶ恥ずかしいな?!
しかも相手はミスター隙なし・北信介さんだ。
そのしょうもない冗談を俺に言う意味って何なん?とか言われたら心折れて一生無声でいるのを受け入れてしまうかもしれない。
お願いします北主将、どうか優しくあれ。

しばしの沈黙の後、北さんがおもむろに口を開いた。

「……俺でええんか?」

「……!」

コクコクと何度も頷く。
私にそれ以外の選択肢はない。
だけど北さんはそれで良いのかと不安になり、ノートに「むしろ北さんはええんですか」と書いて見せる。

「お前が大丈夫ならそれでええ」

そう言うと北さんは私を安心させるためか、少し困ったような、だけど優しい笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。
え、優し……不覚にもキュンとした。
北さんってなんだか真面目で怖い人って印象だったから、不意打ちの優しさに心臓が早鐘を打ち始めた。
我ながら単純すぎる。

「待っとり、鍵かけて来るわ」

北さんが扉の鍵を閉めに行く。
カチャリ、と鍵を回した音が酷く大きく聞こえた。
部活終わりの鍵のかかった部室にキャプテンとマネージャーが二人きり――ああ、あかん、考えれば考えるほど不健全な雰囲気がする。
こんなこと考えるのは、善意から私の頼みを承諾してくれた北さんにも失礼極まりない。
慌てて頭から不健全な考えを追い出した。

「大丈夫か?」

いつの間にか傍に戻ってきていた北さんが気遣うように声を掛けてくれた。
北さんもまさかこの状況でマネージャーが不健全なことを考えていたとは予想もしてないだろう。
気まずさから視線を逸らしながらコクリと頷くと「座ろか」と促され、二人で並んでベンチに座る。

「……ほんまに、ええんやな?」

最終確認の言葉。
チラリと視線だけ北さんに向けて、小さく頷く。
何を考えているのか分からない北さんの瞳が真っ直ぐ私に向けられた。
さすが北主将、こんな状況だというのに一切の動揺も見られない。
ミスター隙なしの二つ名は伊達じゃない。
そんなことを考えていたら北さんの指先が遠慮がちに私の頬に触れ、ピクリと肩が跳ねた。

「こっち向きや、これじゃあキスできん」

北さんに促され、恐る恐る顔を真っ直ぐ北さんの方へ向けた。
目が合う。
やっぱり気まずくて顔を逸らすとすぐに北さんから「あかんで」とご注意を受けた。
それでも顔を逸らしたまんまの私を見かねたのか北さんが私の両頬に手を添え、強制的に顔を向き合わせる。

「キスせんと声戻らんのやろ? 終わったらちゃんと忘れたるから、我慢しや」

ゆっくりと、北さんの顔が近づく。

「終わるまで目ぇ瞑っとき」

北さんの言葉に従って、キュ、と目を閉じた。
視界が真っ暗になる。
北さんの姿が見えなくなったら緊張感も薄れるかと思ったけど、その考えは甘かったことをすぐに思い知った。

――唇に、柔らかい感触が触れる。
たった今キスされたのだとすぐに理解した。

チュ、と感触を確かめるように短く何度も合わせられる唇。
時折鼓膜を揺らす北さんの微かな息遣い。
頬に添えられていた左手がスルリと後頭部に流れ、まるで恋人相手にするみたいに髪を撫で付け始める優しい手付き。
目を閉じているせいでその全てを敏感に感じ取ってしまい、じわじわと体温が上昇していく。
心臓もヤバいくらいバックバクで、強すぎる緊張のせいか涙も出そうだった。

(も、無理……っ)

我慢出来ずに瞼を開くと、涙の膜のせいでボヤけた視界が広がる。
ボヤけながらも北さんと視線が交わったのが分かり、思わず「えっ」と声が出そうになった。
多分声が戻っていたら出ていたと思う。

もしかして北さん、ずっと目を開けてた?
え、待って、それってつまりキス顔ずっと見られてたってこと?!
そう理解すると同時にブワ、と顔に熱が集まった。
恥ずかし過ぎて思わず北さんの胸板を押すと、距離を縮めるようにグイ、と抱き寄せられた。

一瞬、唇が離れる。

「まだや」

吐息混じりの色っぽい声でそう告げると、北さんは再び唇を合わせた。
さっきよりも遠慮のなくなった口付けに目を見開く。
ちょっと北さん、さっきまでそんなんやなかったやないですか!
さっきまでちょっとたどたどしかったのに急にこなれた感じになっちゃうなんて反則やん……!

思考が段々ふわふわとしてくるのが自分でも分かった。
さっきまで押し返そうとしていた手も、今では縋るように北さんのジャージを掴んでいる。

「ん……っ」

それこそ、声が出ちゃうほど気持ちぃ――あれ?

「は?」

「ん?」

北さんと、私の声が被った。

「声……!」

声が戻っとる!
聞き間違いじゃないかともう一度「あー」と声を出すと、しっかりと聞き慣れた自分の声が鼓膜を揺らした。
良かった、このまま一生声出なかったらどうしようかと思った……!

「北さんありがとうございました!」

堪らず北さんに抱きついてお礼を言うと、北さんは何も返してくれなかった。
あれ、北さん瞬きしてる?
フリーズした?
もしかしてめちゃくちゃ怒ってたりする?
抱きついたのはやり過ぎだっただろうかと身体を離しながら恐る恐る「北さん?」と声をかけると、我に返ったのか北さんはおもむろに口を開いた。

「……まだ、声戻ってへんよ」

予想だにしなかった言葉にパチパチと目を瞬かせる。
えっと、これは北さんの冗談?
それともガチのやつ?

「えっ? でもこれ……」

「聞こえん」

私の声に被せるように発せられた言葉に、ちゃんと私の声が聞こえていることを察した。
北さんの分かりづらい冗談だったのかと息を吐く。

「もうー、北さん冗談は……」

やめてください――と続くはずだった言葉は柔らかい感触に飲み込まれた。

(ん……?!)

あれれぇ、おかしいぞぉ。
某探偵の声が脳内で再生された。

いや、えっ、待って、なんで北さんにまたキスされてるの?
声が戻ったのだからもうキスしなくて良いはずでは?
あれ、私ちゃんと北さんに説明したはず……?
混乱し過ぎて抵抗すべきかどうかも判断出来ずにただされるがままに受け入れていると、チュ、と短い音を立ててようやく唇が離れていった。

訳がわからないまま北さんを見上げると北さんも私に視線を向けていて、パチリと視線が交わった。
ほんのり赤く色付いている頬と、どこか熱っぽい瞳――ミスター隙なしと名高い北さんの隙のある表情に思わず息を飲んだ。
わあ……明日角名くんに自慢しよ。
そんな場違いなことを考えていると、北さんが言いづらそうに口を開いた。

「すまん、やっぱり忘れてやれん」

ポツリと北さんが零す。

「こんなん……忘れられんわ」

「えっ、えっと……ええですよ、忘れんでも」

ちょっと恥ずかしいけど元々無理を承知で頼んだのは私だ。
北さんの記憶の中に居座り続けてしまうのは気が引けるが、それをどうこう言う権利は私にはない。
そう意味を込めて頷くと、今度は北さんがパチクリと目を瞬かせた。
驚いた猫のような表情が可愛らしくて思わず「わぁ」と小さく声が漏れた。
北さんの表情なんて二種類くらいしか見たことなかったから、こんなに可愛い表情ができるなんて知らなかった。

「嫌やないん?」

こんなん覚えられとるの。
そう気まずそうに発言する北さんに「全然」と返す。

「北さんこそ、嫌やなかったんですか?」

好きでもない後輩にキスするの。
そう告げた私に北さんは一瞬目を見開いた後、「全然」と私と全く同じ言葉を返してきた。

気まずい、とも少し違う空気が流れる。
北さんが何か言いたげに口を開くが、何と言おうか決めあぐねているのか結局口を閉ざす――そんなことを三回程繰り返した後、漸く北さんが声を発した。

「好きでもない、やない」

「はい?」

「……好きな子や」

「へ?」と間の抜けた声が出た。
すきなこ、好きな、子……とは?
困惑気味な頭の中で「好きな子と言う理由とは?」と検索する。
その結果は「貴女に好意を抱いている、又はからかわれてます」だった。

――北さんは、からかうためにこんなしょうもない嘘は吐かない。

「なあ」

「はいっ!!」

「ふ、はは、声でっかいなぁ」

意図せず出た私のどでかい声に北さんは気が抜けたように声を出して笑った。
北さんの笑顔に釣られるように思わず私も笑みを零す。
気付かぬ間に強張っていたのか、笑ったことでフ、と肩の力が抜けていった。
和やかな雰囲気で笑い合っていると「あんな」と北さんが口を開いた。

「成り行きで言うとるわけやない、本気でお前が好きなんや」

北さんの手が私の頬に触れた。
さっき触れられた時と同じような、遠慮がちな手つき。
ついさっきのことなのに何だか懐かしい気持ちになる。

私にとって北さんは真面目で怖い人――だけど、この短時間で私は北さんの知らない一面を沢山見た。
穏やかに微笑む顔、意外と強引なところ、そして熱の篭った瞳。
意外と大きな手が私に触れるときの優しい感触も、唇の温度も昨日までの私なら知らなかった。
知ってしまったらもう北さんのことを真面目で怖い人だとは思えなくなってしまった。

「北さん」

「うん」

「私、今日ちょっとだけ北さんのこと好きになりました」

正直に言うと北さんは「ちょっとか、厳しいなぁ」と可笑しそうに笑った。

今日はちょっとだけ――だけど、多分明日は今日より沢山好きになってしまいそうだし、遠くない未来にきっと私は自分から北さんに「好きです、付き合ってください」と告げてしまうんだろうな。
北さんの笑顔を見ながら、私はそう考えた。


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