自分で言うのも何だが生まれてこの方、ずっと真っ当に生きてきたつもりだった。
優しい家族や友人に恵まれた平凡で穏やかな人生。
非行に走ろうと思ったことすらない。
そんな私が今や、何故かマフィアのボスの秘書などという物騒な仕事をしている。
そうなった原因は、目の前のこの男である。
「名前チャン、マシマロ食べる?」
向かいのソファーに座っている男、白蘭はニコニコ笑いながらマシュマロの袋を差し出してきた。
私の冷ややかな視線は意に介せず、といったところか。
「要りません。 私はマシュマロが嫌いなので」
「そっかあ……」
少ししょぼくれたような表情をみせるが忘れることなかれ。
このおちゃらけた男がこのミルフィオーレファミリーのボスなんだ。
そして私をマフィアの世界に引っ張りこんだ張本人。
ただ公園を散歩していただけなのに急に誘拐まがいに連れ去られ、今日から僕の秘書ねって言われた時の衝撃は今でも忘れない。
「貴方はどうして私を連れてきたんですか」
もう何十回と訊いたこと。
しかしいつもはぐらかされて一度も答えをもらえたことはない。
それなのに今日は、少し違った。
「そうだねー……」
マシュマロを食べながら考える素振りを見せる白蘭。
ついに理由が聞けるというのか。
聞いたところで私の今の状況が変わるわけじゃないのは解ってる。
それでも訳も解らずこんな場所にいたくない。
せめて理由が知りたかった。
「じゃあ、名前チャンがマシマロ食べてくれたら教えてあげる」
「本当ですか?」
今まで散々はぐらかしてきたくせにそんな事であっさり話す気になるなんて。
マシュマロは嫌いと言ったけど食べれないほどではない、楽勝だ。
「違うよ、名前チャン」
「え……?」
マシュマロの袋に伸ばした手を掴まれる。
白蘭を見ると、腹が立つくらいの笑顔を浮かべていた。
「こっちだよ」
言うと白蘭はマシュマロを一つ口に咥えた。
「……」
ああ、そうよね。
この男があんな簡単な条件を提示するはずがなかったんだ。
白蘭を睨みつけるが彼には効果が無い。
覚えておけよ、いつか絶対その笑顔を崩してやる。
あくまで心の中でだけ宣戦布告しながら、ゆっくりとマシュマロに顔を近づける。
そして端っこをちょっぴり齧り取った。
「食べましたよ」
「えー」
「約束守ってください」
言うと、白蘭はマシュマロを口に入れた。
「君と仲良くなりたかったんだ」
「は……?」
「一目惚れっていうの? そんな感じ」
え、本当にそんな事で私を誘拐したの?
そんな意味を込めて白蘭を見る。
相変わらずマシュマロ食べてるしニコニコしてるしで本心が読めない。
「名前チャンは気づいてないかもしれないけど結構君のこと好きなんだよ、僕は」
「は、はあ」
一気に身体の力が抜け、その場に座り込んだ。
そんなくだらない理由で誘拐までするのか、マフィアは。
なんだかずっと気を張ってたのが馬鹿みたいだ。
「今なら貴方とちょっとだけ仲良く出来そうな気がしますよ」
「ホント? なら僕の恋人になる?」
「それは無理です」
「えー、残念だなあ」
顔を見合わせ、くすくす笑いあった。
正直今の自分の思考が正常なのか解らなくなってきた。
でもまあ、なんかどうでもいいや。
何だかんだここでの待遇は良いし、このまま白蘭と仲良くするのも悪くないかもしれない。
そう考えることにした。