小説 | ナノ


好きな人がいました。
決して手の届かない、高嶺の花のような方でした。

彼はギャングという裏社会に生きる者でありながら街の住人に慕われる人望の厚い人。
例に漏れず私も最初は尊敬の念を抱いていた。
その思いが恋情へと変わったのは、彼が私が働いているバールに通うようになってから。
いつもカウンター席に座って、たわいも無い世間話をしてくれた。
不意に見せる笑顔や彼の優しさに私は次第に彼に惹かれていった。

しかし、彼は裏社会を生きる人。
一般人の私が好意を寄せることすら許されない。
だからこの想いは忘れてしまおう。
時間は掛かるだろうけど、きっといつか思い出に変えれるはずだ。
そう考えていた。

なのに、貴方はイジワルな人です。


「すまない、ナマエ…」

今、私はなぜか意中の人に抱きしめている。
普段の物腰の柔らかい彼からは想像もつかない力強い抱擁だ。
香水だろうか、不快ではない爽やかな匂いが鼻腔を掠める。

「ブ、ブチャラティさん…?」

「すまない…」

呼びかけるけど謝るばかりで私を離してくれない。
どうして彼はこんな事をするのだろう。
誠実な人だ、からかいや遊び心でこんな事をするはずがない。
じゃあ、何で…?

「…ずっと言わないでおこうと思っていた」

「…え?」

「だけど…」

私を抱きしめる力が更に強まった。
押さえ込むように、逃したくないとでも言うように強く。

「好きだ、愛しているんだ」

耳元でそんな言葉が聞こえた。
まるで許しを請うような、切望するような声色。
こんな声を聞くのは初めてだった。
いつも冷静な表情をして、滅多なことでは動じない。
彼に対する印象はこんな感じだ。
そんな彼が私を求めている。
これは夢なのでしょうか…?

「応えてくれなくても良い。 だが、今だけは…」

私を抱きしめる力が緩む。
背中に回されていた手も私の肩へと移動した。
ブチャラティさんの綺麗な眼と、視線が絡んだ。

「無理強いはしない。 ただナマエが俺を受け入れてくれるのなら、眼を閉じてくれ」

「ブチャラティ、さん…」

ドクドクと痛いくらい心臓が高鳴っている。
夢を見ているかのような気分が消えない。
夢ならあと少しだけ、覚めないでいて欲しい。

「……」

何も言わず、ゆっくりと眼を閉じた。
さっきまで見えていた彼の姿が無くなり、世界が真っ暗になる。

「ナマエ…」

彼が安堵したように私の名を呼んだ。
そして次の瞬間、唇に柔らかい感触がした。
少しの温もりを持つそれがブチャラティさんの唇だと解るのに時間は掛からなかった。
ブチャラティさんにキスをされている。
それが解ると、何だかふわふわと幸せな気持ちになった。

合わせるだけだったキスは次第に深いものへと変わっていった。
何度も何度も、まるで今まで抑えていたものをぶつけるように。
私も眼を閉じたまま夢中でそれに応えた。

互いの唇が離れたのは暫く経ってからだった。
さっきまで感じていた温もりが離れてしまって名残惜しく思い、閉じていた眼を開けてしまう。
そしたら熱に浮かされたような表情のブチャラティさんと視線が絡んだ。
きっと私も彼と同じような表情をしていることだろう。
容易に想像できた。

「ブチャラティさん」

彼の名を呼ぶとピクリと彼の肩が跳ねた。
その瞳が少し不安げに揺れている。

「私……今日だけ、貴方の事を愛してます」

「…俺も、君を愛してる」

そう言って彼は再び私に口づけた。

…もしも、彼が私の想いに気づいているのだとしたら彼はなんて酷い人なんだろう。
住む世界が違うから諦めようとしていたのに。
だから彼も「言うつもりはなかった」と言ったのだろう。
それなのに耐え切れなくなって想いを伝えてしまうなんて。

でもきっと私も酷い人間だ。
例え住む世界が違うとしても一緒に居ると覚悟を決めることも出来たはずだ。
それでも私は貴方の重荷になりたくないと、今日限りの愛を囁いた。
彼はもしかしたら一緒に歩むことを望んでくれたかもしれないというのに。
私は、今日限りの愛を選択したのだ。


prev|next

[top ] [main]



×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -