彼が初めて此処を訪れたのは数ヶ月も前のことだ。
両親から受け継いだこのバールの経営にも慣れてきた頃。
突然の雨に降られ、雨宿りがてら彼は入店してきた。
「大丈夫ですか? 良かったらタオル使ってください」
結構雨に濡れてしまっている上に彼は可哀想なくらいビショビショだった。
しかもとても変わったデザインの服を着ている。
大きく開かれた胸元が、より一層寒そうに見える。
「どうもありがとうございます」
私が差し出したタオルを彼は申し訳なさそうに受け取った。
そして濡れてしまった頭や身体を拭いてからカウンター席に座った。
「すみません、タオルありがとうございました」
丁寧にお辞儀をする彼に「どういたしまして」と返した。
私より年下の少年なのに何だか私よりも落ち着いている子だ。
「はい、良かったら飲んでください。 サービスです」
彼の前に紅茶の入ったティーカップを置いた。
この時間はいつもお客さんが来ないから休憩がてら紅茶を飲むのが日課になっている。
さっき淹れたばかりだからまだ温かい。
きっと雨で濡れて冷えた体を温めてくれるだろう。
「ですが…」
「紅茶はお嫌い?」
「いえ…好きです」
勧めると彼は漸く紅茶に口をつけた。
紅茶を飲む姿もとても綺麗で洗練されている感じだ。
きっと育ちが良いのだろうな、と思う。
「暖かいですね…」
少年はそう言って、ホッと落ち着いたように息を吐いた。
よっぽど身体が冷えていたのだろう。
「ふふ、この時間はお客さん来ないから、ゆっくりしていってくださいね」
「ありがとうございます」
そこで会話は途切れた。
その後も特に大した言葉も交わさず、二人きりの店内では雨音だけが静かに響いていた。
ただ帰り際に彼は「また来ます」と言った。
社交辞令だと思っていたその言葉はすぐに果たされることとなる。
翌日、昨日と同じ時間帯に彼が来店したのだ。
「こんにちは」
カラン、とベルの音を鳴らし開いた扉。
入ってきた少年が昨日来た少年だと解るのに時間は要らなかった。
「こんにちは、来てくださったんですね」
「ええ、昨日のお礼もしたかったので」
そう言うと彼は小さめの紙袋を私に差し出した。
「紅茶の茶葉です、口に合うかは分かりませんが」
「まあ…ありがとうございます」
「良かった。 受け取ってもらえなかったらどうしようかと思いました」
「本当にどうもありがとう。 えっと…」
そう言えば彼の名前を知らないことを思い出した。
それを察したのか彼は苦笑して自分の名前を告げた。
「僕はジョルノといいます」
「ジョルノ、どうもありがとう」
「貴女の名前も訊いていいですか?」
「ナマエよ」
「ナマエさん、ですね」
嬉しそうに私の名を復唱するジョルノ。
これは自惚れでなければ懐かれたということなのだろうか。
懐かれるというのは悪い気はしない。
最初はそうやって呑気に考えていた。
だけど最近は違う。
ジョルノはあれ以来、週に一回のペースで同じ時間帯に店を訪れる。
常連さんが増えるのは良い事だし何よりジョルノと話すのは楽しかった。
だけどジョルノは少しおかしな所があった。
毎回来るたびに私にプレゼントを贈るのだ。
それは紅茶やコーヒーだったり花束だったり様々だ。
高価なアクセサリーを渡された時はさすがに受け取りを拒否しようとした。
だけどジョルノは半ば強引にプレゼントを押し付けた。
懐かれたというより好意を持たれたといったほうが正しいのかもしれない。
カラン、と来客を知らせるベルが鳴る。
扉の方を見るとたった今考えていた少年の姿があった。
「こんにちは」
カウンターにいる私と目が合うと少年、ジョルノは微笑みながらそう言った。
私もそれに倣って挨拶を返した。
こんなやり取りも、もう片手では足りないほど交わした。
だけど回を重ねるごとに私の笑顔が引きつってきたのは気のせいじゃあないと思う。
「実はそこの花屋で綺麗な花を見つけたんです。 貴女にピッタリだと思って」
受け取ってくれますか?と彼は胸に抱えていた花束を私に差し出した。
ええ、こうなるとは分かっていましたよ。
ジョルノが店に入ってきた瞬間から、その花束が嫌でも視界に入っていたんだもの。
「…ありがとう、ジョルノ」
引きつったままの笑顔で花束を受け取った。
「こういうのは好きな人にプレゼントしたら?」とは間違っても言えない。
言ったら最後、私にとって取り返しのない事になりそうだ。
ジョルノが諦めるか、私が諦めるか。
どちらかが折れなければ、このプレゼント攻撃は止むことはないだろう。
私の方が分が悪い戦いだと、少し泣きたくなってしまった。
そんな私の心情を知ってか知らずか、依然変わらぬ態度でジョルノは紅茶を注文したのだった。