気まずい(アオイ達が来てからはにぎやかだった)ピクニックから数日、相変わらずペパーとナマエの距離は離れたままだった。
正確にはほんのちょっぴりだけ近づいた――ような気がするとペパーは感じている。
近づいたといっても、教室で顔を合わせた時にペパーが「よう」と小さくナマエに声をかけ、それにナマエが困惑気味に「おはよう」とこれまた小さく返すだけ。
たったそれだけなのだが今まで声を掛ける勇気が出なかった事を考えると大きな一歩と言えるかもしれない。
もっとナマエと話したいと考えてはいるが如何せんどうやって話しを振ればいいのかペパーには解らなかった。
アオイは勿論、ネモやボタン、それにクラスメイト達には難なく話題を振れるというのに何故ナマエには出来ないんだとペパーが自身に対して苛立ちや歯がゆさを日々募らせていた時、千載一遇のチャンスが訪れた。
それはピクニックから一週間が過ぎようとしていたある日のお昼時、今日は食堂ではなく気分転換に外でお昼ご飯を食べようとペパーがマフィティフと共に校庭へ向かうと、丁度校舎の影になっている芝生の上で相棒のイーブイと和やかにサンドウィッチを食べているナマエに遭遇したのだ。
ペパーは思わず足を止めてしまったが彼の相棒のマフィティフは先日のピクニックの際にイーブイと仲良しになったため嬉しそうにナマエ達の方へ挨拶をしに行ってしまった。
「えっ、あれ、マフィティフ?」
突然のマフィティフの登場にナマエが驚きの声を上げた。
どうして一匹で居るのかとナマエが慌てて辺りを見回すと、すぐにペパーと視線がかち合った。
こちらに近寄ろうとするわけでもなくただ立ち尽くすペパーにナマエとなんと声をかければ良いのか解らず、互いに無言のまま時間が流れた。
そんな二人の沈黙を破ったのはマフィティフだった。
いつまで経ってもこちらに来ないペパーを見かねたのか、マフィティフはペパーの元へ戻ると背後からグイグイとナマエ達の方へペパーを押しだした。
「わっ、おい、マフィティフ……!」
何度か躓きそうになりながらマフィティフに押されるまま歩き出すペパーを見て、マフィティフは嬉しそうに鳴き声を上げた。
ナマエのイーブイもピョコピョコと嬉しそうに飛び跳ねてペパーとマフィティフを歓迎している。
マフィティフとイーブイの中でこの二人と二匹でランチを食べるのは決定事項のようで、そんなポケモン達の様子を見てペパーとナマエはお互いに顔を見合わせた。
「えっと……一緒に、食べてもいいかな?」
「あ、ああ……」
遠慮がちな言葉にペパーは平静を装いながら頷いた。
一緒に食べるってことは当然ナマエの隣に腰を下ろすわけで、何故自分がこんなにも平静を装っていられるのか不思議なくらいペパーは緊張していた。
心臓もバクバクで、隣に座ったら心臓の音がナマエにまで聞こえてしまうのではと感じるほどだった。
緊張しているのはペパーだけではなく、ナマエも同じだった。
イーブイ達を理由にペパーを誘ったが迷惑だと思われていないだろうかと冷や冷やしていた。
しかも少し離れた場所に座るんだろうなと思っていたペパーがあろうことか自分の隣に座ったのだ。
緊張するなと言う方が無理な話で、先程まで味がしていたはずの自信作のサンドウィッチも途端に味がわからなくなってしまった。
「それ……」
不意にペパーが小さくポツリと呟いた。
なんだろうとナマエがペパーの視線の先を辿ると、そこにはナマエのサンドウィッチの入ったバスケットがあった。
「あっ、これ、先週ペパーくんに教えてもらったレシピで作ってみたの」
「ふーん……」
「えと……良かったら食べる? 美味しく出来たと思うから味は大丈夫だよ」
あまりにペパーがサンドウィッチを凝視するものだからもしかして食べたいのかとナマエがおずおずとバスケットを差し出すと、ペパーは眼を見開いた。
いや、そんなの食いたいに決まってるけどそれはナマエのお昼ご飯だし、それにペパーだって自分のお昼ご飯を持参しているのだから無理に貰うわけにもいかない。
ペパーがそんな葛藤を心の中で繰り広げているとナマエがハッと何かに気づいたように小さく「あっ」と呟いた。
「ご、ごめんね、お昼持ってるよね」
そう言いながらペパーに差し出していたバスケットを下げようとするナマエをペパーは慌てて引き留めた。
「待てって! その……食う、から」
「でも……」
「だから、オレのと一つ交換しねえか?」
交換、と聞いてナマエはパァッと表情を輝かせた。
ピクニックの時に食べたペパーお手製のサンドウィッチにはイーブイだけでなくナマエも魅了されていた。
もう一度食べたいと願っていたところにペパーのこの申し出、断る理由がなかった。
「良いの?」
「あ、ああ」
キラキラと表情を輝かせるナマエを見て、ペパーは咄嗟に顔を背けてしまう。
自分のサンドウィッチでこんなに喜んでもらえるなんて嬉しいような、くすぐったいような気持ちになってペパーは少しぶっきらぼうにバスケットを差し出した。
「ありがとう、ペパーくん」
「……おう」
ペパーのお手製サンドウィッチを一つ受け取るとナマエは笑顔でお礼を言い、今度は自分のバスケットをペパーはと差し出した。
おずおずとペパーがサンドウィッチを手に取ると、先程までじゃれ合いに夢中だったマフィティフとイーブイが二人の元に帰ってきた。
二匹はそれぞれ相棒の手にあるサンドウィッチが気になるようでスンスンとにおいを嗅ごうとしたり、ピョンピョン飛び跳ねておねだりする仕草を見せた。
「あっ、ダメだよ! イーブイはさっき沢山食べたでしょ」
「こーら、マフィティフはオレの作ったやつ食えって!」
同じタイミングで相棒を嗜め、サンドウィッチを盗られないように遠ざけようとする互いの様子に、ペパーとナマエはどちらともなく顔を見合わせて小さく笑みを溢した。
「イーブイ、ペパーくんのサンドウィッチ大好きみたい」
「じゃあイーブイにもやるよ」
「えっ、でも……」
「いいって。 ちょっと作りすぎてさ、オレとマフィティフだけじゃ食い切れねーから」
「じゃあ……貰ってもいい? ありがとう、ペパーくん」
ナマエが更にもう一つ受け取ったサンドウィッチを食べやすい大きさに切り分けてイーブイの皿に乗せてやると、イーブイは嬉しそうに鳴き声をあげ、もりもりと食べ始めた。
「ふふっ、私達も食べよっか」
「そうだな」
マフィティフにも切り分けたサンドウィッチを皿に置いてやり、ペパーとナマエは「いただきます」と声を揃えた。
先日のピクニックの時からは考えられない穏やかな時間に、ペパーとナマエの中にあった緊張感はいつの間にか消え去っていた。
それどころかポツリポツリと少しずつ世間話も交えるようになり、冷たくなりがちだったペパーの物言いも普段通りの明るさを取り戻していった。
しかし楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、午後の授業の時間が差し迫っているのに気づいたナマエは名残惜しげに会話を切り上げ、教室に戻ろうとペパーに促した。
教室に戻れば他のクラスメイトがいる手前、こうしてナマエと二人きりで会話をする機会には恵まれないだろう。
――この一回きりで良いのか?
折角好きな女の子と穏やかに話せるようになったのに、こんな短い時間で満足なのか?
そんな自問が頭を掠めた瞬間、ペパーは咄嗟に口を開いた。
「あのさ……!」
「どうしたの?」
どこか切羽詰まったようなペパーの様子にナマエはパチクリと眼を瞬かせた。
さっきまで穏やかに言葉を紡いでいた口は声が枯れ果てたのかと錯覚するほど上手く言葉が出てこない。
しかしナマエは首を傾げながらも急かす様子もなくペパーの言葉を待っていた。
先週のピクニックでも、ナマエはこうしてペパーの言葉を待っていてくれたことをペパーはまるで遠い昔のように思い出した。
「その……また、一緒に食おうぜ」
言ってから何だか気恥ずかしくなり慌てて「マフィティフもイーブイに会いたがるしな」と付け加えると、ナマエは「そうだね」と微笑んだ。
そしてそのまま「ペパーくんさえ良ければ、喜んで」と続けるものだからペパーの心はいつになく高ぶるのだった。