あれ、もしかして治くんに束縛されてる?
私がその事に気付いたのは、つい最近のことだ。
そう、例えば先日のお昼休みに隣のクラスの男子に呼ばれて、教室の前で少し会話を交わした時とか。
会話の内容なんて委員会の業務連絡だけだったし、ものの数分で終わったのだけど、いざ自分の席に戻ったら恋人の治くんが酷く不機嫌そうな顔で待っていた。
ただ待っていたんじゃない。
お弁当の蓋は開いているのに口をつけることなく、ただ腕を組んで待っていたのだ。
「今の誰なん?」
「え……あ、同じ委員会の人」
なによりも食べることが大好きな治くんがお弁当を食べずに待っていたことに驚きすぎて、つい返答が遅れる。
そのせいか治くんは更に不機嫌そうに眉を寄せた。
「お願いやから他の男と喋らんで」
「え、えー……? せやけど委員会のことやし」
「女子に聞けばええやん。 特別にからあげ一個やるから、な?」
治くん、からあげ一個で私の人間関係狭めようとしてるのか、ヤバイな。
いや、でも治くんにとってからあげってメッチャ貴重な食料だと思うし、交渉材料としては妥当なのだろうか……?
そんな事を考えながら、とりあえずからあげは貰うことにした。
宮家のからあげ大好き。
「口開けてや」
そう言って治くんが箸で摘んだからあげを私の口まで持ってくる。
別に教室で「あーん」ってするの恥ずかしくないタイプなので素直に口を開いてからあげを頬張った。
んー、美味しくって幸せの味。
「食った? じゃあもう他の男と喋らんでな」
「んー? むい!」
「は? 今無理言うた!?」
からあげがまだ口の中を占領しているからモゴモゴと返事をしたけど、ちゃんと治くんに伝わったらしい。
「からあげやったのに!」と騒いでいる治くんがちょっと不憫になってきたので私のお弁当箱からだし巻き卵を一個、治くんのお弁当へと移してあげた。
「え、くれるん?」
「んっ、からあげのお礼〜。 ちなみに私の手作り」
「メッチャ嬉しいわ、ありがとぉ」
ぱく、とだし巻き卵を食べて幸せいっぱいの表情を見せる治くん。
食べたらさっきまでの事はもう頭から抜け落ちたらしく、だし巻き卵を食べ終わると今度は自分のお弁当をパクパクと食べ始めた。
食べ物一つで独占欲をあっさり放り投げてしまう治くんを見ていると、ある意味不安になる。
なんか食べ物に釣られて他の女の子に目移りしちゃいそう、なんて馬鹿なことを考えながら私も自分のお弁当を食べ始めた。
――そして今日の放課後。
治くんと違って私は帰宅部だから授業が終わったら即帰宅できる――はずなんだけど治くんに「一緒に帰りたい」「他の奴と帰らんで」「一人で待ってて」「待ってる間も誰とも話さんで」と大量の注文をつけられながら、いつも通り律儀に教室でボッチ待機をしていた。
そろそろ部活が終わる時間だなと、暇潰しに解いていた課題を鞄にしまって教室を出ようとしたら、同じクラスの子が忘れ物を取りに教室に入ってきた。
「あれ? あー、治くん待ち?」
「うん、もう終わる頃やから帰るけど」
「あっ、待って待って、昇降口まで一緒に行こー」
彼女の言葉に一瞬「誰とも話さんで」という言いつけが頭に過ぎったけれど、まあ女の子なら良いかと承諾する。
自分の席から忘れ物を無事に回収した彼女に「行こっか」と促され、並んで廊下を歩き始めると「なあなあ」と弾んだ声で話しかけられた。
「治くんってさ、意外と束縛やばない?」
「あ、やっぱ周りから見てもそうなんや。 実は私も最近そうなんやないか思て」
「あっはは! 最近て遅過ぎん? メッチャ前から束縛やばいて!」
私の返答に彼女は腹を抱える勢いで大きな笑い声を上げた。
メッチャ前からやばい……?
治くんに束縛されてるのに私が気づいたのは最近だったから、彼女の言葉に全くピンと来なかった。
うーん、と考え込んでいるうちに他の話題に移り、結局治くんの束縛癖がいつから現れていたのか分からず仕舞い。
分かったのは、周りから見ても治くんが私を束縛しようとしてるってことだけだった。
クラスの子と昇降口で「また明日」と別れて、一人で治くんが来るのを待つ。
部室棟から昇降口まで戻ってくるのは二度手間だから校門で待ち合わせにしようと提案したこともあったけど、他のバレー部の人、特に治くんの片割れには絶対に会わせたくないからと言われた。
これも束縛に入るのだろうか?
うーん、解らんなぁ、難しい。
腕を組みながら治くんについて考えていると誰かの足音が耳に入り、治くんかな?と視線を向ける。
「すまん、お待たせ」
予想通り足音の正体は治くんだった。
急いで来てくれたようで額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「お疲れ様」と口にすると治くんは嬉しそうにニコリと笑って「ありがとぉ」と返してくれた。
「誰とも喋っとらん?」
「んーん、クラスの女の子と喋ったよ」
包み隠さず事実をありのまま伝えると、治くんが「は……?」と不機嫌そうな声を出した。
その表情が暗く曇り、ジトリと座った目がこちらに向けられる。
「誰とも喋らんでって言うたやん、なんで約束破るん」
「女の子ならええかなって」
「ええわけないやろ」
ムスッと口を尖らせる治くんを見て、女の子もダメやったんやなぁ、と少し反省する。
この間は委員会の話は女子に聞けみたいなこと言ってたから女の子はノーカンだと思ってた。
そう言い訳すると治くんは「う……」と痛いところを突かれたと言いたげな声を上げ、気まずそうに視線を逸らした。
「……それとこれとは話が別やもん」
「そっかぁ、気付かんくてごめんなぁ」
「……ん」
小さく頷いた治くんに「帰ろっか」と促すように左手を差し出すと、治くんは少し遠慮がちに右手を重ねてきた。
力強いスパイクを打つ治くんの右手が柔い力で握り返してくるこの感触は何回繰り返しても慣れない。
この優しい手があんな強烈なスパイク打つんやなあって毎回不思議な気持ちになる。
治くんに言ったら「俺と手ぇ繋ぐの嫌なん?」と曲解されそうだから言わないけど。
「今日の夕飯何かなぁ」「肉やったらええなぁ」なんて取り留めのない世間話をしながら帰路を歩く。
丁度会話が途切れたタイミングで「あ、そういえば」と口に出すと、治くんは「なん?」と首を傾げた。
「もしかして治くんって私のこと束縛しとる?」
「……は?」
「最近治くんに束縛されてる気ぃするなぁ思て」
「や……えっ? 最近まで気付いとらんかったん?」
「うん」
素直に頷くと治くんは「ええ……」とちょっと引いた声を上げた。
まさか治くんに引かれてしまうとは。
自分の鈍感ぶりに少し呆れていると、治くんが急にくしゃりと表情を歪ませて今にも泣きそうな顔を見せた。
「えっ、ど、どうしたん? あっ、お腹空いた?」
慌ててポケットの中からキャンディを一つ取り出して治くんの手に握らせると、彼は「ちゃう……」と力無く呟きながら左手と口で器用にキャンディの包みを破いた。
お腹は空いてないけどキャンディはすぐ食べるんだね。
そう考えながら「じゃあなんで泣きそうなん?」と訊くと、治くんはキャンディを口の中でコロコロ転がしながらポツリポツリと話し出した。
「結構あからさまにやっとったのに何も言わんから……受け入れてくれとると思てた」
「ごめんなぁ、全然気付かんかっただけやねん」
「……嫌いになった?」
「えっ?」
治くんの問いに思わず首を傾げる。
なんや束縛されとるなぁ、くらいにしか思っていなかったから治くんを嫌いになるとか考えたこともなかった。
普通は束縛されると鬱陶しく思ったり、嫌いになったりするんやろか。
なるほどなぁ、だから治くん泣きそうな顔しとるんかぁ。
一人納得して「うんうん」と頷く。
「う、嘘やろ、俺のこと嫌いなん!?」
「あっ、しまった。 ちゃうよ、今のは……」
「嫌や! 頼むから嫌いなんて言わんでや!」
最悪のタイミングで頷いてしまったことに気付き訂正しようとしたけど、私の言葉を待つより先に治くんは思い切り私を抱き締めてきた。
私の口から「ぇっ」と何とも無様な声が出てもお構いなしにギュウギュウと締め付けられ、マトモに言葉も出せずされるがままになる。
「あかん、嫌いにならんで。 他の奴に盗られたくないだけやねん、お願いやから受け入れて……?」
あ、束縛はどうやっても止めるつもりないんやなあ。
別にそれでも構わないけど、嫌いにならないでと言いながら自分の意見を曲げない治くんに少し笑ってしまう。
だけどそろそろ呼吸がままならなくなってきたから離してほしい。
そう意味を込めて爪先で治くんの脛をトントンと突くと、漸く治くんの身体が少し離れた。
供給不足だった酸素をゆっくりと吸い込む。
落ち着いたところで治くんの顔を見上げると、相変わらず泣きそうな顔をした治くんと目があった。
こんなにおっきいのに迷子の子どもみたい。
不安そうな顔をする治くんを安心させようと、最大限の笑顔を向けた。
「嫌いにならんよ、だいじょーぶ」
拘束されるような抱擁が緩くなったお陰で治くんの背中に腕を回せるようになった。
よしよし、と安心させるようにおっきい背中を撫でる。
「そないに囲い込まんでも誰も私のこと盗ったりせんよ?」
「嘘や、絶対盗られる」
「そうかなぁ?」
考えすぎと伝えてみるけど治くんは納得してない様子で、またぎゅうっと私のことを抱き締めてきた。
さっきよりは緩やかな力加減にホッと息を吐く。
「名前書いとっても盗られる時あるやろ」
「ああ、よく冷蔵庫のプリンとか盗られる言うとったね」
主に双子の片割れに。
「せや、お前には名前書いとくことすら出来んから、他の奴が触れんように大事に仕舞っとかなあかんねん」
「ほあー、なるほどなぁ」
名前を書いても隠そうとしても、何かの拍子に見つかって盗られてしまう。
そういう経験があるから治くんは私のことを束縛しようとしてるのかもしれない。
だけど私も自分の人間関係狭める気もないし、どうしたら治くんが安心できるのか頭を捻る。
「あっ、タトゥーでも入れよか? 両手の甲に宮治って。 ぶりっ子ポーズしたらメッチャ治くんの名前見せびらかせるの」
冗談を含ませた提案に、治くんが「フッフ」と小さく笑った。
そしてゆっくりと身体を離すと、私の手を取って「ええなぁ、それ」と言いながら優しく手の甲を撫で始めた。
んふ、ちょっとくすぐったい。
「 でも一緒にプールも温泉も行きたいからやっぱあかんわ」
「せやねぇ、早く夏にならんかなぁ。 私もプール行きたいわ」
プールも良いけど海も良いなぁ。
「水着買っちゃおうかな」と口にすると、すかさず治くんが「俺以外に見せんでな」と釘を刺してくる。
「あ……でも部活あるから今年も行けんかも……」
「それでもええよ」
シュン、とあからさまに落ち込んだ様子の治くんの頭にペタリと垂れた獣耳の幻覚が見えて、思わず頬が緩んだ。
おっきい犬みたい。
もう少し私の背が高かったら思いっきり頭を撫でてあげられるのに、残念だ。
「今年がダメなら来年、来年もダメなら再来年行こ」
ずーっとお利口さんにして治くんのこと待っとるから。
そう伝えると、治くんは分かりやすくパァッと表情を輝かせた。
ペタリと垂れていた獣耳もピョンっと元気に上を向いている。
そのうち勢いよく左右に揺れる尻尾の幻覚まで見えてきそうだ。
「ねっ、アイス食べたい! コンビニ寄らん?」
「ええなぁ、行こか」
手を繋いで再び帰路を歩き出す。
「どのアイス買おう」「バニラがええなぁ」そんなことを話しながら笑い合う。
きっと明日も明後日も治くんは私を束縛しようとするのだろう。
だけど私は明日も明後日も束縛なんて気にしないし、治くんを嫌いになることはない。
変わらない日常がずっと続いていくのだと、私は治くんの横顔を見上げながらそう思った。