カラン、と扉のベルの音に見送られながら、ナマエはホクホク顔でドーナツ屋を後にした。
目当てのものが買えた喜びから、ウキウキと軽い足取りで寮へと向かう。
行き先は自分の部屋ではなく、ボタンの部屋だ。
ドーナツ屋を出る前に“今からお部屋に遊びに行ってもいい?”とメールを送ったら数分と待たずに“いいよ”と返信が返ってきたので部屋にいることは確認済みだ。
アカデミーまでの長ーい階段で少し息を切らせながらも軽い足取りは変わらず、ナマエはあっという間にボタンの部屋の前まで辿り着いた。
扉をノックすると小さく「どーぞ」と声が聞こえ、ナマエは扉を開けた。
部屋に入ってまず家主より先に彼女のブイブイ達がナマエを出迎えた。
そしてその次にナマエを出迎えたのは目一杯散らかし放題なキッチンだった。
以前にも一度ボタンの部屋に入ったことがあったが、その時よりも散らかり具合がグレードアップしており、ナマエは思わず苦笑した。
「おじゃまします、ボタンちゃん」
「ん、いらっしゃい」
ナマエが声をかけると、ボタンはモニターと睨めっこした状態で言葉を返した。
歓迎していないわけではなく、今はゲームが佳境で思わず適当に返事をしてしまっているのだ。
そのことをナマエも承知しているため、ボタンがゲームに熱中しているのを逆手に取ることにした。
「コーヒー淹れたいから、キッチンお片付けしても良いかな?」
「んー」
ゲームに熱中するあまり、適当に返事をするボタンを見てナマエは笑みを浮かべた。
ちゃっかりドーナツと一緒に持参したゴミ袋を広げ、次々にゴミを放り込んでいく。
分別できるものはしっかり分別して、洗えるものは洗ってとテキパキと手際よく片付けていると、ボタンのブイブイ達が興味深そうに集まってきた。
ナマエが「しぃー」っと口に指を当てながらイタズラっ子のように笑みを浮かべると、ブイブイ達はナマエの意図を汲んだようで各々ベッドの方に移動したり少し離れた場所で大人しく座って見たりと、静かにナマエの様子を見守り始めた。
そんなブイブイ達を見て、ナマエは更に笑みを深めながら再び作業へと戻るのだった。
*
不意にコーヒーの香りが鼻を刺激し、ボタンはハッと我に返った。
ゲームに熱中しすぎて忘れていたがナマエが来ていることを思い出したボタンは慌ててゲームをログアウトし、キッチンの方へ振り返った。
「えっ」
驚きから小さく声を上げたボタン。
その声に反応し、キッチンでコーヒーを淹れていたナマエが顔を上げた。
「あっ、ボタンちゃん。 ゲーム終わったの?」
「えっ、や……ごめん、いつから来てた?」
ナマエが来たことも覚えているし、言葉を交わした記憶もある。
しかしこれほどまでナマエを放置してゲームに熱中していたのかと、いつの間にか綺麗になっているキッチンを見ながらボタンは頭を抱えた。
「ちょっと前だよ」
「や、絶対嘘じゃん。 だってキッチン……」
「ごめんね、勝手にお掃除しちゃって」
「いや……それは、へーき。 その、ありがと……」
シュン、と肩を落とすナマエを見てボタンは慌てて言葉を続けた。
ぼんやりとだが、ナマエに掃除していいか訊かれたような記憶はあるし、それに対して返事をした気もする。
話を聞いていない事を承知して強行手段をとったことをボタンが怒っていないことが分かり、ナマエはホッと安堵した。
「丁度コーヒーも淹れたし、ドーナツ一緒に食べよう?」
「ん……」
小さく頷いたボタンと二人、並んでベッドに腰掛ける。
ベッドに置き場のない為、コーヒーはデスクへと置かれた。
「ドーナツ、ボタンちゃんから選んで良いよ」
ナマエはドーナツの箱を開け、ボタンに見せた。
ドーナツを見た瞬間にボタンの眼がキラキラと輝いたのを確認し、ナマエは微笑ましそうに笑みを溢した。
「これ……! えっ、今日だったっけ?!」
ナマエとドーナツを交互に見ながら興奮気味に言うボタン。
今日から期間限定発売の“ブイズのからふるドーナツ”は名前の通りイーブイを始めとしたブイブイ達をモチーフにしたカラフルなドーナツだ。
絶対に発売当日に買ってボタンと一緒に食べようと考えていたナマエは、ボタンの反応に楽しそうに笑いながら「そうだよ」と返した。
「ねっ、どれにする?」
「う、うーん」
ナマエが促すとボタンは少し悩みながらもニンフィアのドーナツを手に取り、続いてナマエがイーブイのドーナツを手に取った。
「……そういや」
「うん?」
「イーブイの進化先、決まったん?」
ドーナツを食べ始めてすぐ、ボタンが思い出した様にナマエに問うた。
アオイの紹介で顔を合わせてから一ヶ月あまり。
イーブイの進化先に悩んでいるというナマエに、どの子が育てやすいだとか、一緒に暮らす上での注意事項などを教えてきた。
そろそろ決まっていてもおかしくはないと思いながらボタンはナマエの言葉を待った。
「うん、決まったよ」
「ブラッキー?」
「えっ! 何でわかったの?!」
驚くナマエに、ボタンは含みを持たせた笑みを返す。
「だって、あくタイプだし? 近くにあくタイプ相棒にしてるヤツおるし?」
ナマエがブラッキーを選んだのは見た目が格好良い――というのも理由の一つだが、ペパーの相棒ポケモンであるマフィティフと関わるうちに「あくタイプを育ててみたい」と思い至ったからだ。
ブラッキーを選んだ理由にペパーの存在が絡んでいることをボタンに遠回しに指摘され、ナマエは少し恥ずかしそうに眼を伏せながら恥ずかしさを誤魔化す様にドーナツを一口齧ると、ボタンが「いいんじゃない?」と言葉を続けた。
「うちもブラッキーおるから色々アドバイスとか言える、と思うし」
ブラッキーの話をしているから呼ばれたと思ったのか、ボタンのブラッキーがトトト、と早足で駆けてきてボタンの脚に甘える様に頭を擦り付ける。
そんなブラッキーにボタンは優しい眼差しを向けながらゆっくりと撫でてやった。
「ふふっ、頼りにしてます」
そんなボタン達の様子を微笑ましそうに見ながら、ナマエは再びパクリとドーナツに齧り付いた。
**
ボタンにイーブイを進化させると宣言した次の日、ナマエはペパーと共に夜のピクニックに繰り出していた。
理由は勿論イーブイをブラッキーに進化させるためだ。
イーブイに着けていたかわらずのいしも外して、お祝い用の特製スペシャルサンドウィッチも出かける前にペパーと作ってきた。
イーブイもどこか誇らしげに「フンス」と鼻を鳴らし、進化する時を心待ちにしている。
ペパーにピクニックの設置をお願いし、ナマエはイーブイと共にペパーとマフィティフから声援に送られながら近くのトレーナーに勝負を仕掛けに行った。
――数分後、勝負から帰ってきたナマエ達を見て、ペパーは眼を瞬かせた。
(あれ……ブラッキーってピンク色だったか?)
そう、ナマエの隣にいる進化したイーブイはピンク色だった。
確かナマエはあくタイプのブラッキーに進化させたいと言っていたはずだ。
だからこうして夜のピクニックを計画したのだから。
そんなペパーの考えを察したのか、ナマエは眉尻を下げて少し恥ずかしそうに笑った。
「つぶらなひとみ、覚えさせてるの忘れてたの」
言いながらナマエはイーブイ――ニンフィアの頭を撫でた。
甘えるようにナマエの脚に頬擦りするニンフィアもそんなニンフィアを優しく撫でるナマエも、ブラッキーに進化出来なかったことを特に悔やんでいる様子は無かった。
変わらず愛情深い視線をニンフィアに向けるナマエにホッと息を吐くと、ペパーは「じゃ、イーブイの進化祝い始めようぜ」と声をかけるのだった。