三日前、鬼道くんから衝撃的なことを聞いてから私の頭の中はあのことだけで埋めつくされていた。
もちろん、豪炎寺くんの妹さんのことだ。
それで、近頃の私は妙に沈んでいたようだ(真一に言われて気づいた)。
そりゃあ心は当然沈んでいたが、それが外見にまで出ているとは思わなかった。
幼なじみにしかわからない変化ってやつだろうか。


今日、言いたいのはそういうことじゃない。

そんな幼なじみにも心配かけたくないし、このわだかまりを早く消したいがため、豪炎寺くんに真相を聞こうと思うのだ。
本人に問うのは残酷なことだとは思う。
しかし、見過ごしてはいけないと直感的に思った。
この問題に片足を突っ込んだ気がしたんだ。
そうしたからには、真実を知る必要があると思った。

だから、私は豪炎寺くんを屋上に呼び出したのだ。



放課後の冷たい風が私の頬を打つ。
もたれかかっていたフェンスが音を立てる。
上空で飛行機のエンジン音が通り過ぎる。
すべての音が序曲のように遠くに聞こえた。

予定の時間は刻一刻と迫っている。
私が深呼吸をすると同時に扉が開いた。
私からは結構な距離があるが、しっかりと豪炎寺くんの姿がそこにはあった。
ここからでもあの鋭い目が確認できた。
私は息吐いた後、すぐに生唾を呑み込んだ。

私はフェンスから背を離して、豪炎寺くんの方へと歩いた。
足取りは……重い。
しかし、私は言わなくはいけない、聞かなくてはならない。
豪炎寺くんも私の方に向かってくる。
屋上の真ん中で私達は相対した。
これで三度目。
だけど雰囲気は全く違う。
緊張感が対等にある気がした。
最初に口を開いたのは豪炎寺くんだった。

「なんだ、話って」

「聞きたいことがあるの」

豪炎寺くんの喉仏が上下してごくり、と音が鳴った。
やっぱり豪炎寺くんも緊張しているのだ。
私も一呼吸置いて単刀直入に言った。

「豪炎寺くん、あの時言った『妹のものだ』っていうの、嘘でしょ」

私がまっすぐ見据えた先の豪炎寺くんの目は大きく見開かれていた。
それから目線を反らして、すべてを悟ったようにフッと自嘲気味に笑った。

「ああ、嘘だ」

「どうしてそんな嘘吐いたの」

白状した豪炎寺くんに非情にも私は質問を畳み掛けるが、豪炎寺くんは何も言ってくれなかった。

「あの口紅は一体誰のものなの」

豪炎寺くんは依然として何も答えないままだった。
だから私は話を変えた。

「妹さんのこと、聞いたよ」

豪炎寺くんは先ほどとはまた違った驚いた表情を見せた。
それから哀しげに目を伏せた。

「入院、してるらしいね……」

「………」

「早く元気になるといいね」

建前ではなく心の底から思った本音だった。
豪炎寺くんは私を見た。
私も豪炎寺くんを見た。
無言のまま。
長い長い沈黙を破ったのは豪炎寺くんだった。

「着いてきてくれ」

そう言って豪炎寺くんは踵を返して私に背を向けた。

「話はそれからだ」

私の答えは聞いていないようだった。
何が待ち受けているのかはわからないけど、着いていく他なかった。



豪炎寺くんの一歩後ろを歩いて辿り着いたのは、稲妻総合病院だった。
私も何度か行ったことがある。
多分ここに妹さんが入院しているんだろう。
豪炎寺くんと一緒に病院内へと足を踏み入れた。
そして、長い廊下の途中の病室の前で豪炎寺くんは立ち止まり、ガラリとその真っ白な扉を開いた。
私は豪炎寺くんの後に続いて病室に入った。

病室のベッドには、小さな女の子が眠っていた。
この子が豪炎寺くんの妹さんなんだろう。
豪炎寺くんが「夕香っていうんだ」と紹介してくれた。
豪炎寺くんの表情は固く強張っていた。

夕香ちゃんの寝顔はいつ目覚めてもおかしくないほどに安らかだった。
それなのに神様は無情だ。

私に兄妹はいないけど、もし私に妹がいて、こんなふうになってしまっていたら、私は悲しくて悲しくて堪らないだろう。
豪炎寺くんもそう思っているに違いない。
いや、もっと言い表わせないくらいの悲しみだろう。

私は初めて目の当たりにしたむごたらしい現実に、改めて胸が痛くなった。
私はそこをぎゅっと手で押さえるも痛みは止まないどころか、体まで震えてきた。

「豪炎寺くん、こんな、ちっちゃな子が、口紅なんて、使うわけ、ないじゃん」

嗚咽までもが参戦してきて、私はようやく自分が泣いていることに気づいた。
熱い涙が頬を伝った。

豪炎寺くんは私を見て少し驚いたような顔をしたが、すぐに視線を落とすだけ落として、何も言わずに私にハンカチを貸してくれた。
私はそれで目頭を強く押さえると、濃紺のハンカチがもっと濃い色染まっていった。

不意に豪炎寺くんが今まで背負っていた鞄の中からグレーのポーチを出した。
あの時のものだ、と一瞬で気がついた。
そして、豪炎寺くんはそのポーチから何かを取り出した。
それを何度か掌の上で小さくバウンドするように軽く投げてから、最後にそれ……、口紅を大袈裟にぎゅっと握りしめた。

「これは俺のなんだ」

私は、泣きながら今世紀最大の爆弾発言を聞いた気がした。



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