「雷門のじゃなかったし、一応木野と音無にも聞いてみたけど違うってさ」

そう言われて真一から口紅を返されたのは今朝のHR前でのこと。
朝練終わりの真一にお疲れ、と一言言ってから私はそれを受け取った。

部員の人じゃないとすると、他の誰かのものがたまたま部室に入り込んじゃったのかな。
あのボロっちい扉のことだから、きっと立て付けが悪くてうまく閉まらずに開けっ放しになっていたところに転がっていってしまった……、とかそんな感じのシナリオだろう。

それから私は自分なりに努力をした。
だけど、自分のクラスと両隣のクラスの女子に聞いて回って持ち主を探したがとうとう私と出会うことはなかった。
(なにせこのマンモス学校だ。何千人と通う女子の中から持ち主を探し当てるなんて、最初から不可能だったんだろう)

しかし隣のクラスでうっかり豪炎寺くんには出会ってしまった。しかも目が合っちゃうしさ。なぜかすごい怖い目だった。
その時戦慄を覚えて私は震えたんだけど、豪炎寺くんの席の近くを通る時に豪炎寺くんの肩も震えてような気がしたんだ。
こう、ぷるぷるって。
多分見間違えだと思うけど。
あの豪炎寺くんが震えるなんてことはないだろうからね。

あー、やっぱり嫌われたのかな。
立ち直ったはずだけど、ちょっと悲しくて胸がツンと突かれた感覚がしたのを覚えている。

そして現在放課後。
未だに私はこいつをどうしようかと決め兼ねていた。
落とし物として届けるべきだろうか。
ていうか、雷門夏未さん直々に頼んで全校生徒に呼び掛けちゃえば一発なんじゃなかったか?
せっかくのチャンスだったのにそこまで頭が回らなかったなぁ。残念。



私はサッカー部の部室へと足を進めた。

私の推論はこうだ。
持ち主はこの口紅をポッケかなにかに入れて歩いていて、なにかの拍子に落としてしまった。
きっと、持ち主はこれを血眼になって探していると思うんだ。

だから、サッカー部の部室のあの辺りで落としたのかも!と持ち主は気づいて、どうかこの辺りを彷徨っていてほしい。
そしたら私が届けるから!
こんな高価なもの、無くしたら大変だもの。
親か誰かに買ってもらったものだろうし紛失したら合わせる顔も無いだろう。
落とし主が大金持ちだとしても、少なくとも私は無い。
そういう理由と、犯人は現場に戻るっていうのと似たような理論で私はサッカーコートの真横を通った。

無意識にコートを見渡す。
ふと豪炎寺くんが居ないのに気づく。
なぜか少し胸が騒ついた気がしたが、真一がボールに食らい付いていくのを見て心の中で頑張れと応援していたら私はもうその感情を忘れていた。

部室周辺には誰一人として居らず、私は独り部室の前に佇んでいた。
そして改めてその古臭さを感じていた。
でもそれは雑草のような力強さをも醸していて、嫌いじゃない。
私は口元に笑みを少しだけ浮かべた。

「しょうがない!落とし物届けに出しとこ」

と、その前に。
踵を返そうとした私はそれをやめて、再び部室に向き直った。

もう一回だけ入っちゃお。
今度は豪炎寺くん目当てじゃなくて、純粋に部室探検ね!
なんか面白そうなものありそうだし。

ドアノブを握って、ギギギと悲鳴を上げながら扉は開いた。

部外者が入りまーす!

私は、ばん、と扉を勢い良く開け放った。

一歩踏み出して視界の左端に飛び込んできた光景に、私は目を思い切り擦った。

なんで豪炎寺くんが四つんばいになってんの!? 


あまりの出来事に私は持っていた口紅を落としてしまった。
コロコロコロ、と転がる音は私と豪炎寺くんしかいない部室には大きく響いた。
それが耳に届いたんだろう、ユニフォーム姿の豪炎寺くんが振り向いた。
豪炎寺くんはなぜか、タイヤの隙間に手を伸ばしていたがそれをやめた。

私は豪炎寺くんと目が合うとビクッと肩が震えた。
豪炎寺くんもなぜだか青ざめた顔をしていた。

「お前……、何してる」

今の豪炎寺くんには言われたくない台詞だった。

だって私に、(こう形容するのは絶対間違ってると思うけど)可愛らしくおしりを向けたままなんだよ!?
紺色の短パンからスパッツの黒が見えてるし!

「ご、豪炎寺くんこそ……」

そういえば初めて名前を呼んだな、なんて今現在の張り詰めた空気とは裏腹にどうでもいいことを思いながら、さりげなく転がっていった口紅を拾い上げた。

それから豪炎寺くんを見ると、目の色が劇的に変わっていたので、怖くて私は尻込みした。
もう部室探検なんて馬鹿なことはやめて、さっさとここからおさらばしよう!
全くとんだ罰が当たったな……。
これ落とし物届けに出して帰ろうっと。

「じゃあ私はこれで失礼しま」「おい、」

私の言葉を遮り、豪炎寺くんが言った。
振り向いて背を向けかけた私は、豪炎寺くんが立ち上がるのが視界の端でわかった。

「それはなんだ」

「えっ」

「なんだと聞いている」

豪炎寺くんの方を恐る恐る見ると、案の定表情がものすごく強張っていた。
しかもそんな口調で言われたら、あの時のようにまた私は動けなくなった。
それにしても、どこか焦っているような気がするのは気のせいかな。
まぁいいや、私もそんなことを考えている余裕なんてない。

「え、えっと、口紅、です」

「お前のか?」

「いや違います、ここに落ちてたんです」

そう私が言うと、豪炎寺くんは少し考えたように口を閉ざしてから、また開いた。

「それ、俺の妹のなんだ」

「そ、そうなんだ」

「ああ、どこかで落としたって言ってて……」

私は早く事を済ませてここから立ち去りたかったから、急いで豪炎寺くんに口紅の置かれた掌を差し出した。

「お前が拾ってくれたんだな、ありがとう」

豪炎寺くんが私から口紅を受け取ったその時、私は豪炎寺くんの笑顔を初めて見た。
すごくかっこいい、と思った。
今までの態度が嘘のように、やわらかくそれでいて凛としていた。
不覚にも胸がきゅん、とときめく。
これだからイケメンは、いろんな意味で心臓に悪い。

「じゃあ、私帰るね」

「ああ、じゃあな」

部活頑張ってね、と言えばよかっただろうか。
しかし今の私にそんな余裕もなく、すぐさま部室を後にした。
豪炎寺くんのあの笑顔を見てからなんだか胸が締め付けられて苦しかったからだ。なんで苦しいのかはよくわからなかった。



でもまあ持ち主が見つかってよかったよかった。
まさか豪炎寺くんの妹だとは。
しかもこの学校に通っていたのか。
どんな子なんだろう。きっと可愛いんだろうなあ。

そんな事を思いながら私は教室に戻って帰る支度をした。

帰り道の坂を下る私はもう今度こそ豪炎寺くんと話す機会は無いんだろうとしみじみ思っていた。
夕陽がじんわりとゆがんだような気がした。
口紅拾ってよかったな。

まだこんなふうに思えるこの時の私を、私はおもいっきり殴ってやりたくなった。




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