私は未だ放心状態のまま、鞄を机に置いてふらりと椅子に倒れこむように座った。

鞄についている、前に真一がゲーセンで取ってくれたお揃いのくまのマスコット(ちなみに真二と名付けた)に私は話しかけた。

「豪炎寺修也くんこえー!」

後半は溜め息と混じって、擦れた声が部室に響いた。

心の中で真二の慰めの言葉を聞きながら、私は机に突っ伏した。
「名前は悪くないさ」「最初は優しい人だと思ったのにな」「きっと豪炎寺にはなにか事情があったんだよ、名前は悪くないさ」「ありがと真二」


私は真二のおかげで立ち直ると(痛々しいとか言うな)、少し顔を上げて視線を部室の片隅に投げてみた。

不意に、タイヤと壁に出来た隙間に光る物を私の目が捉えた。
そして私はそれに誘われたようにそこまで駆け寄った。
その隙間に手を伸ばしてみると、なにか冷たい物が手に当たった。それを掴む。
固い、棒状の物だった。
なんだろう、とわくわく踊る私の胸。
ゆっくり手を引いて、掌の中を見ると、それはここには全くそぐわない代物だった。
かぱ、と蓋を開けてみてそれを確信する。
くるくる、とその黒光りする棒状のおしりの部分を回してみる。
きらきら、とラメ入りのピンクが光り、独特の甘い匂いが私の鼻に届いてクラッとした。


───口紅、だった。


なんでこんなものがここにあるんだろう?
私はスティックをくるりと元に戻して蓋をしめた。
口紅の二つの底面には見覚えのあるブランドのロゴとマークがそれぞれ掘られていた。

蓋と本体を二つに仕切る金色がまばゆく光った。

しばらくそれを掌の中に、ぼーっと見つめていた。

すると、不意に後方から聞き馴染んだ声がした。

「おい」

「わぁっ」

私はびっくりして前につんのめってしまった。
別に自分が咎められるようなことはしていないはずなのに、おかしいな。

反射的に手を着こうとしたが、口紅に両手を取られていて、片手を前に出す暇もなく体ごとタイヤの塔にアタック。

「だ、大丈夫か!?」

「ううぅ」

崩れゆくタイヤは運良く私を避けて、幸い、怪我はなかった。

床に倒れた私の顔を心配そうに覗き込む真一。

「だいじょーぶー」

「全く、気をつけろよな」

真一の手をかりて立ち上がる。
もう片方の手にしっかりあの口紅をあるのを確認しながら。

「タイヤ、戻さないと」

「いいよ、俺やっとくから」

「う、うん、ありがと……」

やっぱり、さっきの豪炎寺くんには何か事情があったんだ。
だってふつうあんな断り方しないし、真一でさえ(今回は私の身を案じてくれたのだろうけど)こんなに親切な具合だ。
なんにせよ、最初は真一以上に優しかったんだから。
「ねぇ?」と真二に同意を求めると「でしょ?」と得意気に返された。

抱き抱えられて助けられたんだから。
優しかったのは事実なんだ。
ちょっと自分が自慢気なのが否めない。

「さ、行こうぜ」

「あ、うん」

いつのまにか元通りに積み重ねられたタイヤを見てから鞄を肩にかけて、部室を後にした。



真一は石ころを蹴りながら校庭を歩いていた。
私もそれについていく。

「ミーティングが意外と早く終わってさー、教室行ってみたら名前いねえんだもん」

「だって図書室にいたし」

「まじかー」

「そんで部室行ったら真一いなかった」
「ごめんごめん」

真一は俯き加減の私の頭をぽんぽん叩く。
ちょっと泣きそうになった。

「あ、そういやさっき豪炎寺とすれ違ったなぁ」

それを聞いていきなり顔を上げた私を不思議そうに真一は見ていたが気にしないふりをして続けた。

「なんか塾行くんだってー……、あー!顔も良くて頭も良いとかまじなんなんだよー!」

私はまた俯いた。
私は豪炎寺くんの邪魔をしたんだ。
塾があるから急いでいたのかもしれない。
豪炎寺くんのあの顔を思い出して肝が冷えた。

「お前、朝と雰囲気違うな」

「えぇ?」

「暗いぞ」

胸にぐさりと突き刺さる幼なじみの言葉。
私は今朝言った自分の言葉を思い出した。
地味+暗い=根暗!
それじゃあだめだ!
私は顔を上げた。

「私が気にすることじゃないよね!!」

「は、はぁ?」

「うん!そうだそうだ!」

「なんだよ、いきなり、元気出たならいいけどさ」

首をぶんぶん縦に降って自問自答する私を、真一は暖かい目で見守ってくれていた。
完全に立ち直った!
豪炎寺くんのことは考えないようにする!
どうせもう接点ないしね!

そういえば。
私は左手にある口紅を握りしめて、思い出した。
それから真一にそれを見せた。

「なにそれ」

「口紅、部室に落ちてた」

真一は目をまるくして私の掌の上の口紅を見た。

「まじ?誰のだろ、木野か音無か……それとも雷門夏未か?」

真一は私から口紅を奪い取ると興味深々でそれをしげしげと見つめた。

「あぁっ!これあれじゃん!シャ…シャ…」

「シャネルね」

「そうだそれだ!」

そうこの口紅、化粧なんて全くしない私でも知ってる超有名高級ブランド、シャネルのものなのだ。

「だとすっと、雷門の可能性が一番高いよなー」

「うん、理事長だもんねー」

「じゃあ明日マネージャーたちに聞いてみるわ」

「うん、お願い」

私は真一に口紅を託した。
それからは、「名前は化粧なんてしねぇよな」という真一の一言(と嘲笑)でまた言い争いに近い雑談をして一緒に帰路に就いた。



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