図書室で三十分ほど読書(本は人並みに読むのだ)をして時間を潰した私は、下駄箱で靴に履き替えサッカー部の部室へと向かっていた。
もしかしたらあの噂の天才ストライカーさんに会えるかもしれない、と思いるんるん気分の私は調子に乗って鞄をぶんぶん振り回しながら。

それなのに。

ばん。
勢い良く部室の扉を開けたが、私の淡い期待を余所にそこには誰も居なかった。

辺りには閑散とした空気が流れている。
部室内を見渡すと、ミーティングで使ったと思われる大きなホワイトボードと机と椅子が二組並んでいた。
その他にはタイヤが数個積み重ねられていたり、サッカーボールがカゴに大量に収納されていたりしている。
壁際にはロッカーと棚。
初めて入ってみたけど、なかなか殺風景な部室だった。

それにしても。
この、さっきまでに積もりに積もった期待をどこにぶつければいいんだ!
ていうか真一どこ!

私は肩を落とした。

しかし、本当になんとなくだけど、少しだけここに居たいと思った。
私は鞄を机に一旦置いて、ドアのすぐ横の、左側の壁に寄りかかってみた。
よくはわからないけれど、その壁から私の背中へと正体不明のみなぎる力が送り込まれた気がした。

壁から体を離して自身で立つと、すっかり肩も元通りでなんだか体全体がすっきりしていい気分だった。



しかし、後に起こる事件により、私はこの行動を"魔が差した"としか言えなくなるのであった───。



よし、そろそろ真一探すか。
そう思って、私は鞄を肩にかけると踵を返して開きっぱなしの扉の方へ一歩踏み出した、その時だった。

どん、と肩口に衝撃が走る。
小さく情けない声が私の口から洩れた。

私はよろめいて重心が後ろへと傾いた。

た、倒れる……!

きゅっと瞼を閉じ両手を胸元でぎゅっと握りしめた。
人はピンチの時ただそれに備えることしかできない儚さを私は感じていた。
しかし、すぐさま私を襲うことになるであろう背中への痛みはなぜかなかった。
その代わりにあったのは、背中の温かい感触。

それと同時に、なにかが床に落ちた音と、散らばって転がったような音が部室に響いた。

何事かと思って瞼を開けてみると、私の視界いっぱいになんと、あの豪炎寺修也くんが現れたのだ!

ど、どういうことか全然わからないんだけど……誰か説明してくれないかな?

「すまん、大丈夫か」

まさかこんなに早く、こんなに近くで、あの豪炎寺くんに会えるとは思わなかった。
それにしても間近で見る豪炎寺くんは、イケメンというより男前であった。
いやまぁイケメンには変わりないんだけど、レベルが違うというか。
髪型がかっこいいとか、そんなようないわゆる雰囲気イケメンとかじゃなくて、正真正銘の、美少年だった。

眉目秀麗、という言葉が真っ先に頭に浮かんでくる。

そして今、私はその天才イケメンストライカーさんに抱き抱えられていた。
顔が近い……っ!

「だだだだだいじょぶ、です」

「ならよかった」

私は右足を一歩後ろにしてバランスを取った。
豪炎寺くんの腕が離れる。
ちょっと名残惜しかったとかは全然なかった。
……いやちょっとは名残惜しい。
だってこんなかっこいい人とこんな機会滅多にないよ!?
多分これが最初で最後だろうね。
そう思うと途端に切なくなる。
でも、私には真一みたいな奴が合っていると思うから別にいいんだけど。
……本当別にいいからね。

至近距離の豪炎寺くんはあまりにも心臓に悪いので私は目線を床に落とした。
すると、床にいろいろな物が落ちているのに気がついた。
黒いトートバッグと、二三冊の参考書や筆箱、筆箱の中身がぶちまけてシャーペンやら赤ペンやらが辺りに散らばっていた。
それと、小さめのグレーのポーチ。

私が聞いた音はこれだったのか。
申し訳ない気持ちが私の胸に漂ってきた。

「ご、ごめんなさい!拾うね」

私はしゃがんでグレーのポーチに手を伸ばそうとした。
しかし、飛んできた、豪炎寺くんの言葉に私は身動きが取れなくなったのだった。

「拾わなくていい……!」

怒鳴ったわけでもなく特別強く言ったわけでもなかったが、それは低くく重く私の耳朶に響いた。
その言葉の根底に何かが秘められていたような、そんな気もした。

私は手を引っ込めてしゃがんだまま、豪炎寺くんが床に落下した物たちを黒の手提げに戻しているのをただただ見ていた。
そうする事しかできなかったのだ。
言葉から感じ取ったもののせいも勿論あったけれど、彼自身から発せられるオーラもその一因であった。
強圧的なそれが、私に上から重くのしかかっているようだった。

気付けば、床に散らばっていた物は一切なくなっていた。
目の前にあるのは、豪炎寺くんの真新しいスニーカーだけだった。

重い空気の中で私は恐る恐る立ち上がって、視線を床からだんだんと豪炎寺くんの爪先から顔まで上げた。
……念のため言っておくけど、別に舐め回すように見たわけではない。
豪炎寺くんが怖かったから、だ。
一瞥をくれた豪炎寺くんとばち、と目線がかち合う。
なんて鋭い眼光の持ち主なんだろう。
肉食動物に睨み付けられた獲物のごとく、私はまた動けなくなった。

豪炎寺くんは私から視線を離すと、ロッカーに直行した。なにかを取り出して鞄に入れていた。多分なにか忘れ物でもしたんだろう。

──こうまで偶然が重なると最早必然に感じられた。後々、私はそれを呪うことになる。

さっさと用を済ませた豪炎寺くんは、私にそっと会釈しながら「じゃあな」と言って去っていった。



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