今日はいつになく静かだった。お父様が秘書みたいな格好をした女中さんを連れて出かけていったからだ。こうなれば、家に一人きりのようなものだ。厳密にいうとまだ他の女中さんはいる。しかしながら、私は私のお世話をしてくれるいつもの女中さん以外の女中さんとは(勿論、ごはんや洗濯、掃除、その他諸々に対しての感謝は当然しているが)挨拶を交わすくらいしか接点がないので、こんなにも静かなわけだ。
毎日の日課となっている勉強をしている時、シャーペンがテキストにすれる音が響いているように聞こえるくらいの静けさは、自然と私を集中させていった。ちなみに、今座っているこの椅子と勉強机は、毎日頑張っているから、とお父様から贈られたもの。ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいである。そんなことも相まって勉強に精が出る。
昼食を頂き、午後からまた勉強。こんな日々も全然苦ではなかった。想像してみて。頑張って特待生になって鬼道さんと一緒にいってきます、といって登校できたらどんなに幸せか。これを女中さんに言ってみたら、それ想像っていうより、妄想じゃない?と意地悪を言われた。その後すぐに、まあ、がんばりなさいな、と言ってくれたので、女中さんなりの優しさだと気づけたからいいけれど。ご機嫌ですらすらと数学の問題を解きすすめていく。そんな中も鬼道家はとても静かだった。
その静寂を破ったのは、ピンポーン、というインターホンが鳴った音だった。その後すぐに玄関の開く音がしたが、自分にはあまり関係のないことだと思って気には留めなかった。すると、ダンダンダン、と力強い(少々力強すぎる気がするが)二階へと上がってくる足音がした。私はシャーペンを机に置いた。お父様と女中さんは今日は遅くなると言っていたし、鬼道さんは部活がある日だし、帰ってくるにはまだ早すぎる。
じゃあ一体誰なんだろう、と思った時、隣の鬼道さんの部屋のドアが開いた音を私は確かに聞いた。鬼道さんの部屋のドアが開いたということは、鬼道さんが帰ってきたということにほかない。だって鬼道さんは自分の部屋を女中さんに任さず自分で掃除するから、女中さんが入っていくわけない。
鬼道さんは何らかの理由で学校から帰ってきたのだ。そこで私は、もしかしたら鬼道さんが体調を崩して早退してきたのでは、と心配になった。そう思うと早く鬼道さんのところに行かなくては、と私は鬼道さんの部屋のドアをノックした。
するとどうだろう、聞いたこともない気だるそうな男の子の声が私の耳に届いてきたのだ。


「ふぇーい」


この声は絶対鬼道さんじゃない。私はびっくりしてドアを開けるのをしばし躊躇ったが、ノックをしてしまったがために開けるしかなかった。意を決した私が、勢いよくドアを開けようと手をのばしたその時、突然ドアが開いた。行き場を失った私の手が、私の体全体のバランスを崩すことになってしまった。グラッと視界が揺れた。
「わぶっ」情けない声を出して私は何かに顔をぶつけた。しかし本来倒れたならば床に顔をぶつけるようなものだけれど、床みたいなそんなに硬いものではなかった。かたいといえばかたい、やわらかいといえばやわらかい、くらいの微妙なところ。床と比べたらそれはやわらかいに決まっている。そんな感じ。それと、あたたかい気もした。床と比べると床にも床暖房というのが備え付けられてあるみたいなのでこれに関してはどっこいどっこいである。床暖房は関係ないか。そんなことより、わきの下にも何かの感触があった。ここで私はようやく誰かに助けてもらったと気づいたのだった。
顔を上げると見知らぬ男の子の顔が目と鼻の先にあった。私はこの助けてくれた人にお礼を言うはずだった。けれど、それは私の人間としての本能に邪魔された。それは蛇に睨まれた蛙というべきか、つまりはその男の子の顔がものすごく怖くて(それに中央にある髪以外をすべて剃りあげたような見たこともない鬼道さんより珍しいくらいの髪型にびっくりして)腰が抜け尻もちをついたというわけだ。おしりに痛みを感じている暇はない、速く逃げなくちゃ!と思っても立ち上がる力が入らなかった。こうなればもう最期の命乞いをするしかなす術はなかった。


「ほ、本当にごめんなさい、許してください、命だけはご勘弁を・・・・・・!」
「何言ってんだお前」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「というか・・・・・・パンツ見えてるぞお前」
「えっ」


そんなことを言われ、閉じていた目がカッと開いた。さっき尻もちをついたせいか膝まで上がってしまっていたスカートの裾をバッと先ほどまで合掌していた手で足首まで引っ張った。一連の動作すべて、とてつもなく必死だった。
しかしまだ知らない人にパンツを見られてしまったという恥ずかしさは拭いきれてはいなかった。もうそれはすでにショックに近いものがあった。
そのため茫然とへたりこんだままの私だったが、ぐいっとまたわきの下を掴まれ体を持ち上げられた。そう、目の前の男の子に。また恐ろしさで表情が歪んだ。すると男の子は苛立ちを隠せないという様子で舌打ちした。


「ひぃっ」
「なんでてめえそんなにびびんだよ馬鹿か」
「馬鹿です、許してください、離してください」
「ああそうかよ」


「うわっ」パッと男の子の手が私の体から離れた途端、私は腰から崩れ落ちた。その寸前、また男の子が私を支えてくれた。私を睨むように責めるように見つめる男の子に私は良心が痛んだ。この男の子はこう見えてすごく優しい人なんだ。それに比べ私はなんて心の汚い人間なんだろう。


「ご、ごめんなさい、私誤解してました。見るからに怖い人だと思って・・・・・・」
「失礼な奴だな」
「でも、優しいんですね!」


「助けてくれてありがとうございます!」感謝の気持ちを述べる時は自然と笑顔になる。男の子はなんだか実に嫌そうな顔をしてため息ついた。その後突然笑いだした。


「お前結構おもしれえな、ちょっと付き合えよ」


そう言って私の足を持ち上げて抱えると、鬼道さんの部屋に入りソファーの上に降ろした。足がソファー
からはみ出し、頭と背中にだけふんわりとした感触があった。ふつうに座らせてほしかったけどそんなことは言えるわけなかった。私の頭のすぐ上にドカッと男の子は座った。


「俺鬼道くんのともだちの不動明王。お前は?」


鬼道さんのお友達ならいい人に違いないじゃないか。私は円堂くんや佐久間さん源田さんのことを思いだしつつ、数分前の自分を後悔した。不動さんもそれを早く言ってくれればよかったのに。


「私は今鬼道さんの家に居候させていただいている名字名前と言います」


その時ポカンと口を開けた不動さんは眉間にしわなんて一切なくて、私はこんなこというのもおかしいけれど可愛いと思ってしまった。ちなみに、鬼道さんに可愛いと言ってしまうと一気に機嫌を損ね、『全く最近の女子学生は口を開けば可愛い可愛いと馬鹿のひとつ覚えみたいに』から始まり気が済むまで怒る。最初言ってしまった時はちょっと涙目になった。ということがあったので、学習した私は可愛いなんて言わなかった。


「居候、ねえ。まあいいや、詳しいことは鬼道くんに聞くわ」
「そうしてくれるとありがたいです」


自分の口から言うのは辛いものがあった。甘えかもしれないが、やっぱりあのお父さんとの生活、逃げ出したあの日を思いだすのが辛かった。私はまだ自らの問題に向き合えていないのを痛烈に感じた。これは自分で解決しなくてはならない問題だ、と心に深く刻みこんだ。


「で、本題な。俺も今日から何日かここに泊まらせてもらうことになった」
「えっ」


そうなんですか、と聞くと満足気に不動さんは頷いた。ふと不動さんの足元にあった大きめの荷物が目に入った。不動さんは不意に立ち上がって、前方にあるテレビの方に向かってリモコンのボタンを押した。


「まあよかったわ、暇潰しの相手がいて。んじゃさっそくこれ見ようぜ」


テレビの画面に映し出されたのは、顔が半分つぶれかけたようなゾンビだった。私は声にならない声を上げた。







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