習字の時間、俺は部活の他に学校で過ごす中でこの時間が一番好きかもしれない。
何故かと言われれば、束の間の静寂が流れるからだ。俺はなんとなく張り詰めた空気が好きなのだ。
というのはただの格好付けた言い訳であり本当はもっと単純である。
左隣の名字名前に惚れたからである。その一言に尽きる。
席替えをするまでは特に接点など無かったのだが、現在の隣の席になってからは割りとよく話した。(大体名字の繰り広げるマシンガントークに相槌を付くくらいだが)別にその時は好きとか嫌いとか一切考えた事も無いただの普通のちょっと(どころでは無いかもしれない)うるさいクラスメイトだった。
それが、偶々国語で習字をやるようになってから感情に変化が見えたのだ。

いつもうるさい癖に、習字の時だけは静かになり姿勢をピンと伸ばして筆を半紙に垂直に降ろす。一画、一画、心を込めるように。表情は凛としていた。俺は名字に釘付けになったんだ。

そして名字は書き終えた作品に視線を落とす。その時にその作品の明暗が分かれるのだ。気に入らなかった作品は容赦無くくしゃくしゃに丸められる。俺が見る限りどれもこれも上手いのに。最初にその光景を見た時小さく「あっ」と声が出てしまったのを今でも覚えている。あまりに上手い物だから「書道教室にでも行っているのか」と訊いてみたが笑顔で「行ってない!」とだけ答えられた。

その時から俺は名字の事が好きになった。だから習字の時間が好きなんだ。
今日も俺は名字に「上手いじゃん」と言われるために全身全霊をかけて頑張るのだ、と筆を整えながら意気込んだ。

だんだん書き終えた奴らが多くなってきていつものクラスの騒がしさが戻ってきた。俺もこれでいいか、と納得のいく物が書けたと思っていた頃に名字が話し掛けてきた。まだ書き終えてないようだが、それなのに話し掛けてくるというのはとても珍しい。

「豪炎寺」

「何だ?」

「豪炎寺って、かっこいいよね」

俺は堪らずフリーズしてしまった。名字にそんな事言われるなんて思ってもみなかった事だったから何て返したらいいかと混乱した。ここで赤面してしまっては男が廃る、俺はとりあえず礼でも言っておくかと平静を装い「ありがとう」という言葉が喉元まで出かけた際に名字が「うん、本当にかっこいい名字だ」とか言うから俺は頭を思い切り書き立ての字が書いてある半紙に打ち付けそうになった。危うく左右の逆転した「敬愛」の二文字が顔面に付くところだった。

「名字、借りていい?」

「はぁ」

俺はよくわかっていないまま名字に返事をした。名字はこれまた綺麗に「敬愛」と書かれている左隣の名前を書くところに二年と書いた後、

゙豪炎寺゙

と書いた。
俺は思わず「おい」と声を出してしまった。だってもったいないじゃないか。しかし、本当に上手いもんだ。俺の場合、画数が殺人的に多いので゙豪゙が8割方潰れるのだが名字はバランスよく且つ丁寧に゙豪炎寺゙と書けていた。

「初めてなのにすごいな」

「初めてじゃないからね」

「え」

初めてじゃない、その言葉が俺の頭に突っ掛かる。しかし名字は何も答えずにまた筆を走らせた。走らせたと言ってもいつものように一画、一画丁寧にだ。そして名字は文鎮を取って満面の笑みを浮かべ半紙を俺に見せた。名前の欄には、

゙豪炎寺名前゙

と書いてあった。俺はもう顔が紅潮していくのを止められなかった。さっきから心臓の鼓動がうるさくて仕方が無い。

「にひひ、これ取っとこ」

先程までの凛とした表情はどこに消えていったのか、別人かと思うくらい明らかに種別の違ういたずら好きの少年(少女だが)のような笑顔で名字はそんな事を言った。俺は名字が提出する作品以外の作品を自分の手に置いておくのを初めて見た。俺が知らないだけかもしれないが、期待せずにはいられなかった。


翌日、部活が終わった後数学の問題集を忘れた事に気付いて教室に寄った。誰も居なかったが教室の後ろの壁一面に昨日書いた「敬愛」が貼り出されていた。真っ先に俺は名字の作品を探した。名字のはずば抜けて上手いからすぐにわかる。予想通りにすぐ見つかったが俺は思わず吹き出した。

あの、゙豪炎寺名前゙と書かれた作品が貼ってあったのだ。

俺は自分の机を漁って問題集を手に取ったが動揺を隠し切れずにそれを落とした。

なんだか頭がぐちゃぐちゃになって呆然と名字の例の作品を見ていたら、突然前の扉が開いた。俺は反射的に振り向くとそこには名字が居た。俺の心臓が大きな衝撃を受けた。名字が両腕を頭の後ろに回して俺の方に歩いて来る。

「あっ、見られちゃったかー、明日驚かせようと思ったのに」

なんて言うから俺は我慢出来ずに言った。もう限界だったのだ。好きな奴にからかわれたり、好きでもないのにほのめかしたり、なんの意味があるというんだ。俺にとっては苦痛でしかない。なんて情けない奴なんだろうか。

「からかうのは、もうやめてくれ」

名字が口をへの字に曲げた。こうやって感情がすぐに表情に表れるのも好きだった。

「からかってなんかないよ」

名字は俺が言葉を継ぐ前に言葉を猛スピードで並べていった。それも意味がすごくこもった物を。

「嫌だったらごめん、あのね、私、ずっと豪炎寺が好きだったんだ、だから書いちゃった」

そして名字は一呼吸置いてまた続けた。

「でも、嫌でも結婚すれば豪炎寺名前だから!」

この名字の超次元理論に俺は笑ってしまった。それだけでなく、好きと言われた事が嬉しすぎた所為もあると思う。

「な、なんで笑うの!」

頬を膨らます名字が最高に愛しい。名字も顔が赤いが俺はそれ以上に赤いと思う。正直恥ずかしい、というか名字に先を越されて悔しかった。だから俺は名字を抱き寄せてキスをした。

「こっちは俺が先だ」

名字の顔がさっきよりもみるみる赤くなっていった。

「せ、責任取ってよね!」

「当たり前だ、結婚するんだろ?」

名字は俺の胸に顔を埋めてこくりと頷いた。俺は優しく頭を撫でてやった。



(20101016)









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