外での仕事を終えて携帯で時間を確認すると、既に午前0時を過ぎていた。職業柄、外出中に日付が変わるなんてことはそう珍しくなかった。
自宅付近までタクシーを使い、エントランスを抜け、エレベーターを使い自分の部屋の玄関ドアまで進む。そう、ここからが異常だった。

俺の家のドアを塞ぐようにして背中を預け座っている姿は、さながらここ新宿でもよく見かけるホームがレスな方々のようでもあったが、それには不都合なバーテン服が、目の前の不審者が誰であるのかを物語っていた。それよりなにより、まず目につく派手な色の髪が既に俺の機嫌を幾らか損ねていたのだが。

他でもない平和島静雄は、何故か俺の自宅前で無駄に長い足を投げ出して座り込んでいたのだ。予想外の事態に、黙って様子を窺うことしかできない。

相手との距離は1メートルと言ったところだろうか。しばらくじっと観察したところで、相手に変化はない。目を閉じて腕を組んで、息遣いもすうすうとこの男に相応しくなく穏やかだ。それを聴いて漸く、相手が寝ていると把握出来た。

……これは、なんだろう。新手の嫌がらせだろうか。だとしたら確実にその目論みは成功だシズちゃん、現に俺は今君の所為で当惑している。さらには非常に面倒だとも思わされている。完敗だ。だからとっとと何処かへ行ってくれそして死んでくれ。

だがしかしこの男に限ってそんな地味な嫌がらせをするとは到底思えなかったので、俺は別の可能性を考えることにした。
シズちゃんの行動は、例外こそあるものの大抵はパターンが決まっている。単細胞が動く様を想像することは容易かった。

あ゙ーうぜえうぜえうぜえ臨也ぶっ殺す!と腹いせに俺を殴りに新宿へ→俺が家にいないことを知って待ち伏せ→待ち疲れて寝る

これは大いに有り得る、というか九分九厘このパターンだろう。常日頃「化け物だ」と揶揄しているが、人間であることを本気で疑ってしまうくらいには、実に本能に忠実な生き物である。人間とは本能と同じくらいに理性をも備えた生き物だ。そういった意味でも、シズちゃんは人間の枠を大きくはみ出していると思う。因みに俺は人間が本能と理性の狭間で揺れる様を見るのが好きだ。葛藤してる人間の表情っていいよね。

しかし腑に落ちないことがある。
オートロック付きの共通エントランスをすり抜けて来れたのは、おそらくこのマンションの住人か誰かが出入りした際に一緒に通ったのだろうと察しがついた。住人だって、こんな金髪長身で殺気を纏っていた(であろう)奴に口出しすることは憚られたに違いない。その光景を想像して思わず溜息が漏れた。
それにしても、一体どうしてドアを破壊しなかったのだろう。腑に落ちない点というのはこれだ。以前家に押しかけてきた時は、呼び鈴も鳴らさずそれなりに重厚な扉を蹴破りずかずかと入ってきた。いい加減厭になって毎回のドアの修理代を電卓に打ち見せてやったら、さすがに気が引けたのか最近は呼び鈴を鳴らすようになった。耳がおかしくなるくらいに呼び出しボタンを連打されて、それはそれで鬱陶しいのだけれど。

一度、激しい呼び鈴の音に耐え居留守をきめこんだことがあった。
しばらく続いたチャイムは止み、ふうと息をついた矢先、玄関でミシミシと不吉な音が聞こえ、しまったと思った時には派手な音と共にドアは地面となっていた。その後は散々だった、本当に。

だから何が言いたいかっていうと、シズちゃんは俺が反応しなければ、俺がいてもいなくても構わず玄関ドアを破壊してしまうのだと今までは思っていたが、どうやらそういう訳ではなく、この男はドアを開けずして俺が家にいるのかどうかがわかっていたらしいということなのだ。今日ドアが壊されていないのは、俺が本当に不在だとわかったからだろう。俄かに信じ難かったが、そう仮定すれば今回の不可思議な現象にもそれ以前の出来事にも整理がつく。気配にしろ奴の言う「臭い」にしろ、恐らくそういった類のもので察知したのだろうから全く獣じみている。

側にしゃがみこめば、俯いた顔がよく見えた。普段目元を覆っているサングラスはバーテン服の胸ポケットに引っ掛けられており、寄せられていない眉間や脱力した瞼をこんな至近距離で眺めるのは新鮮だった。俺の前ではいつだってしかめっ面で目をぎらつかせていて、だから仇敵がこんなに近くにいるのにあまりに無防備なシズちゃんに意図せず笑いが零れた。薄く開かれた口からは規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
今この息の根を止めようと色々な手段でかかれば、恐らくは叶うだろう。でもそれはなんとなく惜しい気がした。

とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。この男をどうにかしない限り、家には入れないのだ。

実際、俺の家は他にもいくつかある。職業柄様々なケースを想定していく上で、我が身の安全を確保する為には、ほとんど使わないにしても居場所が複数必要だからだ。しかし今からまたタクシーを拾ってそこへ行くのはあまりに面倒だった。何より目の前の男の所為で自分が手間をかけなくちゃいけないだなんて、不本意にも程がある。
ドアが開く程度に退かしてそのまま捨て置いてやろうとも思ったが、扉を挟んですぐ向こうにいつ目覚めるかも知れない猛獣がいるだなんていう状況下では、安眠など出来そうにない。

ああ、早くソファに座りたい。休息を求めて帰ってきたはずなのに、とんだ誤算だ。シズちゃんはいいよねえ、好きな時に来て好きな時に寝て、その単細胞っぷりが少しだけ羨ましいよ。

急激に全てがどうでもよくなり、投げ出された両足を跨ぐようにしてどかりと座り込む。相手が目覚める様子はない。これはもしかしなくても物凄く殴られやすいポジションにきてしまったみたいだ、と後になってから気づいた。しかし俺だって眠い、目の前ですやすやと眠られて、家は目の前なのに俺は眠れなくて、全く理不尽ったらない。

「…シズちゃん」

「………………」

「シズちゃん起きて、」

「………ん゙ー…あぁ…?」

うっすらと開いた瞼から覗く瞳の焦点は定まっておらず、何度かゆっくりと瞬いて瞼は再び閉じてしまった。容赦無く頬を叩いても反応は鈍い。
どうしたものかとしばらく様子を伺っていたら、再び酷く緩慢な動作で両の瞼が開かれる。

「………いざや…?」

「あ、起きた?」

「………………」

目は開いているというのに活気がない。ついでに普段嫌という程纏っている殺気もなかった。ただただぼうっとした眼差しに、どこか新鮮な気持ちにさせられる。そうだ、せっかくだから写メでも撮って後でからかってやろうじゃないか。
そんなささやかな俺の企みが成功することは、残念ながら遂になかったのだが。

「臨也、」

「えっ」

しまった。背後で何かが動く気配を感じ咄嗟に退こうとするも、既に自身の背中辺りは「何か」に抑えつけられている。そのまま呆気なく、シズちゃんにまたがって座る形だった俺の身体は、上半身ごと覆い被さる体勢にさせられてしまった。なんてこった。
「何か」の正体はシズちゃんの腕だった。つまり俺は今、仇敵に抱き締められているということになる。全く笑えない。
どうやらシズちゃんは寝ぼけているらしかった。そうでなきゃ俺を抱き寄せるなんて理解不能なことをこの男がするはずはない。いやこの男は常に俺の予想を軽々と越えてしまうのだがそれとこれとは話が別だ。

「いざや、」

「───!」

どうにか腕から逃れようと藻掻いている合間に耳元で名前を呼ばれ鳥肌がたつ。相手の顔が思いの外近くにあることを思い知り瞬間的に消え去りたい衝動に駆られた。
シズちゃんの腕は決して苦しい締め付けでもないがかといって抜け出せる緩さでもない、何とも微妙な力加減だった。

「…ちょっとシズちゃん、」

「……………」

「おい、起きろよ……嘘だろ…?」

シズちゃんが本格的に起きる気配はない。人の家の玄関でここまで爆睡できる神経を疑うがそもそもこの男に常識を当てはめること自体ナンセンスだ。
しかしそれにしたってこれはおかしい。何故俺は目の前の大嫌いな男に抱き枕のような扱いを受けているのだろうか。抱き枕という形容はおそらく無難な選択だっただろうが、脳内でその単語が選択された直後苛立ちと吐き気と言い知れぬ気分がごちゃ混ぜになって俺を襲ってきた。

色々と考えている内に、認めたくはないが、俺よりも幾分か高い体温と規則的な寝息が子守唄のように俺の眠気を増長させ、既にそれは抗えない程になっていた。加えて俺は未だ物理的な意味でも拘束されている。これはちょっと、いやかなり危機的状況じゃないだろうか。
そんなことを考えている間にも、前触れなく──寝言なのだろうから当たり前だろうが──、俺の名前を呟かれる。低い声だ。でも馬鹿みたいに幼い。その行為に抱くのは嫌悪感だけであるはずなのに、どうしてか、心臓の辺りで虫が喚いているような、変に落ち着かない気持ちになるのだ。
そんな自分もこの状況も目の前の男も全部が嫌で仕方ない。きっと今日は厄日なんだ。もうどうにでもなれ、頭の中でそう吐き捨ててきつく目蓋を閉じた。





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