バーの営業時間は過ぎ、大方店の片付けも終了した頃、一緒に働いていた後輩に「あとは俺がやっておくから先あがれ」とだけ伝えて、俺は一人グラスを拭きながら昼間の出来事を思い出していた。
門田と偶然会って、話をした。もうずっと前の事のように感じる。


働きはじめは、考え事をしながらグラスを拭いているとすぐにヒビが入ってしまうことから、グラスを扱う時は細心の注意をはらっていたが、今では自然と力加減が利くようになった。


BGMも消えた静かなバーに、キュ、キュとグラスを拭く音が響く。
円柱の形をした、シンプルで大きめのグラスを全て拭きおわり、それらをいつものスペースにしまう。
代わりに隣のスペースから出したのは、所謂カクテルグラスというもので。
それとシェイカーを一つ、バーカウンターに置いた。


シェイカーに氷を入れ、酒の並んだ棚から幾つかの瓶を取り出す。
ウォッカにシャルトリューズ、それにライムジュースをそれぞれ二対一対一の割合でシェイカーに注ぐ。
今作っているカクテルは別段高度なものでもなく、むしろ作りやすい部類だ。
しかし考え事をしていた為か、ライムジュースを計量していた時に手が震えてしまった。数滴多くなってしまったが仕方ない。




「臨也が亡くなる何日か前、あいつお前に会いに来ただろう?最期の一ヶ月はまともにメシも食えてなかったってのに」

俺をからかいに来た時は、いつも通りピンピンしていた筈だ。そんな酷い状態なら、隠しきれるもんじゃねえだろ?

そう問えば、「あいつは人に弱味を見せない。特に静雄には。そういうやつだろ?」と返ってきた。

その言葉にドキリとした。俺が投げたゴミ箱をかわした時、臨也の身体はどれだけ苦しんでいたのか。いつも通りの言葉の応酬の合間に、どれだけの痛みを感じていたのか。俺にはわかるわけもない。そもそも俺は臨也のことを碌に理解しようとしなかった。わかっていれば、──わかっていれば、何だ?俺は今何を思った?あいつに少しでも安静にするよう説得出来たのに、自然と浮かんだその考えを全力で否定する。相手は仇敵の憎い臨也だ。こんな甘い考えを持ってしまいそうになるのは、もう随分と臨也の嫌がらせを受けていないからだろう。




シェイカーの蓋を両の親指で押さえ、手首を使って軽くシェイクする。
シャカシャカと軽快な音にリズム。氷がシェイカーの中を行き来するのを掌で感じた。




「あいつさ、静雄のことずっと好きだったんだよ」

門田の口から出た言葉は思いもよらないもので、俺の思考は完全に停止した。

「──……は…?」

「まああれだけ素直じゃなけりゃ、静雄も気づかなくて当然だと思うがな」

そう苦笑いをこぼす門田に返す言葉を考えることすらできないでいた。

「高校の時から、何かある度お前のことで相談されたよ。俺としては複雑だったけどさ、」

その言葉に含まれる意味は何となく感づいた。しかしそれより前に聞いた言葉が未だに脳に浸透しない。臨也が?俺を──?
悪い冗談だ、と笑い飛ばせればよかったのかもしれない。けれども胸の中に渦巻く感情が重すぎて、そんな軽い表情は出来なかった。


「臨也と最後に会った時にな、あいつ言ったんだよ。『シズちゃんの作ったカクテル、飲んでみたかったなあ』ってよ」




シェイカーの蓋を開き、カクテルグラスの上で静かに傾ける。こぽ、と滑らかな動きで液体はグラスへと移動した。
淡い緑色のカクテル。俺にしては上手くできた方だと思う。

カクテルグラスを親指と人差し指で丁寧に挟み、液体が零れないようにゆっくりと前へ押し出す。
差し出した先のカウンター席にはもちろん誰もいない。あいつだって、もちろん。そんな事はわかっている。


「まだまだ上出来とは言えねぇが、これでも客に出せるくらいには上達したんだ。タダ酒呑ませてやるんだから感謝しろよ、」

臨也。
震える声で、それでもどうにか仇敵の名前を呼ぶ事に成功した。
いざや、口からこぼれたその3文字の響きに、俺はもうどうしようもない。頬に温いものが勢い良く伝うのがわかる。しかし拭うことはせずに、ただただそれを流し続ける。拭ったってすぐに無駄になることがわかっていたからだ。

ああ、もっと早くに気付いていたら。臨也の病気のことではない。ずっと昔から潜んでいた自身の感情の正体を、今になって気付いても、もう全てが遅い。




ああ本当に、うぜえ気分だ。













「おいしいよ、シズちゃん」
カウンター席に座った臨也が微笑んだように見えた。
それが己の浅薄な願望に過ぎなかったとしても、それでもよかった。





20110406
20111214加筆修正


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