シャッフル! | ナノ




またある日のこと。

特別教室ばかりで人気のない校舎を、晴日は一心不乱に掃除していた。その全身は包帯やら絆創膏やら湿布やらが制服の隙間から見え隠れしている。特に右手の包帯は真新しい。
ただ、その包帯の巻き方はなんだか乱雑で、本職の者が施したのではないことは誰の目から見ても明らかである。

しかしそんなことはどうでも良いとばかりに晴日は掃除に無心だった。彼女にとってこの行為は義務でも使命でも趣味でもなく、己にかせた試練に近いものである。

…と、どこからかかすかに話し声が聞こえる。女子の声だ。
放課後この校舎に人がいるなど、通常ならば有り得ない。
箱庭学園の平和を守る一委員として晴日は声のする方をたどる。


「「あ」」

晴日が声の源を見つけるのと、源が振り返り晴日を見つけたのはほぼ同時であった。
そこにいたのは学年の有名人、おそらく整っているであろう素顔の一切を包帯で閉ざした理解不能の凶人、名瀬妖歌。濁った目が晴日に視線を向けたもののおよそ興味はないようだ。
と、見たことのない、お団子頭の女の子。
こちらは晴日を認識するなり丸い目がみるみるつり上がっていく。

「はは。噂の美化委員さんに見つかっちまったかー。けどまあこの辺は後にしてくれや。可愛い古賀ちゃんとデート中なんだよ」
「いいよ名瀬ちゃん。もういこう」

不快感を露わにさせて目も合わせたくないと下を向いたまま晴日の横を通り過ぎた所で少女、古賀はぴたりと足を止めた。
最初からの変わらぬ顔で自分を見つめる晴日を見るほどに、古賀は唇を噛みしめ、拳を握りしめた。

「私はあんたが大嫌い!話したこともないけど、大っ嫌い!」

感情の権化のような叫びだった。
人間らしい理論も、理性も、何もかもあったものではない獣の叫びは、それ故彼女の心中をよく表していた。
それだけ言い残すと古賀はまた視線を床に這わせて歩いていってしまう。

「悪いな。古賀ちゃんは十三組(ジュウサン)のくせにのうのうと普通に暮らしてるあんたが許せねえみてーんだよ」
「…みたいだね。あの子は私ともアナタとも毛並みが違う。まあ、これほどに近い生物を差別化する事に意味はないか。貴方はワタシで、私はアナタなんだから」

そう言ってギィ、と幸せな世の中を見放したような荒んだ目で笑う晴日に名瀬は少なからず驚いた。
そして同時に薄ら寒く包み込まれているような感覚が脳を支配する。


「…俺も、お前のことは快く思えねーな」
「酷いなあ」

晴日はワラう。
きっと意味はない。
だからこんな風に笑えるのだ、きっと。

「別に俺はお前が何処に属そうがどう暮らそうが、知ったこっちゃねーし関知するつもりもねえ。
けど、なんでいつもそんなに理由もなくヘラヘラしてんだよ。…まるで、」

――誰も傷つけたくないみたいだ。

名瀬はそう続けようとした。
そう。
と、した、のだ。
口になど出していない。

だが晴日はその言葉を遮って、身の毛もよだつような台詞をまき散らした。

「…手厳しいなあ。でも、私もアナタもみんなも、幸せになりたいし誰も傷つけたくないんじゃない?」
「―――――――――!?」

戦慄が走った。
肌がひっくり返ったように泡立っていくのが分かる。

見透かされた。
自分の本質を。
ほんの一瞬で。

動揺を隠すように、名瀬は口を開いた。

「…否定はしねーよ。けど、テメェはそんなこと言っといて、どーでもいいみたいな顔してるぜ」
「そんなことはないよ。私はアナタで貴方はワタシなんだから」

晴日がそう言うと、名瀬は忌々しそうに顔の中心にしわを寄せながら、ハッ、と鼻で笑った。


「人は生きてる時点で誰かを傷つけてんだ!誰も傷つけずに生きてけるわけねーだろ!」

高らかな宣言そのままに、颯爽とスカートを翻しながら禍々しく廊下を歩いて去っていく。

晴日は何も言うことができない。
上手く、感情が言葉として生成されないのだ。


「いたいなあ」


夕日の射し込む廊下に一人、晴日は立ち尽くした。


ある夕日の綺麗な放課後の話。
箱庭学園は実にいつも通りに歪んでいる。


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