夢喰 | ナノ
78

「どうも」
その人はいつも通りに眠たげな目をして、染みひとつない白いコートを身にまとって現れた。
「え、ちょ、待って。待って待って待って。今ちょっと話できる状況じゃ…」
目ェ腫れてるし涙でぐちゃぐちゃだし鼻かみたいし…。私はベッドの上で慌ててみたが全くの無駄だった。ティッシュボックスはさっき沖田君が置いた紙袋の裏に隠れてしまっていてパニック状態の私はそれを見つけられない。

「面会謝絶になったと思ったら入院だなんて聞いたものですから、お土産も持たずに来てしまいましたよ」
「あー。多分まだ面会謝絶……という独り言でーす」
「では、私も時間が無いので今から少々長い独り言を話します。」
「いや、だから」
「清水家は倒産しました」
「!」
「あの日、真選組が船を壊してしまいましたので。」
「…よく言うよ」
「私がしたことは林さんを逮捕したことだけですよ。まあ、待っているのは極刑でしょうが」
「でも、倒産って……」
「あの家の台所は火の車でしたが、土地や家を売ればかなりの学は返済できるでしょう。到底今までの暮らしはできませんが、それでも路頭に迷うことは無いはずです」
「……」

見廻組に行くまでに随分と遠回りさせられたあの屋敷は、もう無くなってしまうのだという。盛者必衰。表すならこの言葉以外にはないだろう。最後まで、歪みのなかった彼も、時代に揉み消されるのだ。世間知らずな私にもわかるくらいにこの世というのは日々流れて廻っていく。
静かな病室に沈黙が訪れた。

「……何です」
「いや、その、ありがとう…?」
「…まあ、建前の世間話ですよ」
「………」
「答えは、まだ頂けませんか?」
「う……」
…触れたいような触れたくないようなで結局触れられていなかった部分に佐々木さんは土足で踏み込んだ。この人の神経の図太さは本当に一級品だと思う。
「迷っている、と捉えて期待しますよ」
「…つ、釣り合わなさすぎるよ。名門一族の嫡男で、次期警視総監と……どこの馬の骨とも知れない女、なんてさ」
「では聞きますけど、私が政略結婚したところで相手の女性の行く末は、幸せだと思いますか?」
「……それは、」
「私みたいな悪党には、貴女くらいしかいないんですよ」
「え」
「巻き込まれたのに文句の1つも言えない度が過ぎたお人好しのね」
「………」
「とはいえ私とあなたでは主義、志、立場がまるで正反対ですから中々厳しいとは思いますが、ね」

随分と含みのある言い方をする佐々木さんのその目にはほの暗く、しかし意思の強さを感じさせる明かりが点っている。
この人が何を考えているのか知らないし、分からない。けれど、さっきの言葉が真選組と見廻組という、それ以上において相容れないという意味ならその答えはおのずと一つであり、それは彼の価値観とも一致するし納得もできる。頭のいい彼が妄信的にそんなことを考えるとは思えない。だとしたら冷静に、着実に虎視眈々とその時をねらっている。
だとしたら、彼と私はどうあっても未来を作ることはできない。不可能なのだ。

「……やっぱり、佐々木さんは喰えないねェ。何企んでんだか恐ろしい」
「ええ。ですからその時は…貴女が止めてくださいよ、智香さん。」
「………ん。そうだねェ。佐々木さんを丸ごと全部頂くことにするよ。その時は、佐々木さんも私のことを貰ってくれるんだよね?」
「ええ。勿論。余すところなく」

これは恐ろしい約束だ。とても優しくて残酷で、どこまでも狂っている。けれど、それでもいいと思ってしまうくらいにはこの人が好きで。佐々木さんも、そう思ってくれているとしたら嬉しくて嬉しくて、どうしようもないくらいに嬉しい。

「帰りましょうか」
「うん」

踵を返す彼はすでにポケットから車のキーを出している。気づけばまとめた荷物もすでに反対の手に収まっている。私は夢のようなふわふわした感覚に苛まれながら残った隊服の入った紙袋を手に取った。
驚くべきことに私の恋は実ったらしい。けれども憧れていた甘さなどなく、これはただただ破滅に向かって蝕んでいく悪夢だ。結末が分かり切っているなんて、どんな三流恋愛小説よりも滑稽で愚かしい。それでも私は、この人を私で縛りつけていたいし離れるつもりもない。
不運と策略から始まった、実に不毛で幸せな恋。

「ただいま」

私は白いその人の闇を抱えた手を、黒いその手でそっと握り返した。


夢喰

〜FIN〜

[*←] [→#]

[ back to top ]