夢喰 | ナノ
77

「そうか、話したのか、智香」
「ああ……なんつーか、うわごとって感じがしなくもないが」
「それだけ気が緩んでたってことだろ。そういうことにしとけ」
「…」

あの日、救出された智香は多少憔悴していたものの大きな怪我はなく、真選組に帰ってきた。が、智香の元には山のような始末書が押し寄せた。後始末で騒がしい世間と屯所内に、なんやかんや真面目な彼女はこうしておけば意識をやらずに済むだろうという配慮も若干含まれつつ、しかしその量は一番隊執務室を埋め尽くし沖田と神山は真顔になった。
…が、なんやかんや真面目で、そして自分の肉体を顧みない勇敢なる馬鹿は根を詰めすぎて、結果体調を崩し入院というざまである。これには一同ほとほと呆れたものである。
そしてやっと訪れた智香の退院日に、真選組の屯所に何の前触れもなく口元から紫煙を吐き出しながら松平が訪れたのだ。

「アイツは歳相応の幸せなんか知らずに生きてきて、それでいて最後に望んだもんが恋だとよ。いやー、聞いといてなんだけど、あの時は流石のおじさんも無理だと思ったね」
「………ん?…と、とっつあん、まさか、それで智香ちゃんを真選組に…?」
「こんだけむさくるしい集団なら恋のひとつぐらいできるとおもってな」
「アンタ乙女心なめすぎでしょォォォ!!!大体そんな無責任な…」
「失恋だって立派な恋だ」
「……」
そう言われてしまうと一瞬隣にいる上司を思い真顔になった部下二人だが、当の近藤は先ほどまで叫んでいたというのに智香の心情を思っているのかしきりに頷いて………まさか自分には関係のないことだと思っているから頷いているのだろうか。土方は勢い余って「あんたはそろそろ諦めろ」と言いそうになったがなんとか飲み込んだ。

「まあ、予期せぬ形とはいえこれでアイツの願いは叶ったってことだ」
と、こんな妙な空気を作っておいて松平は突如真剣な顔つきでそんなことを言う。
「俺は何年か前に、なんの力もなくて泣いてた遊女の最後の願いを聞いてやっただけだ。宝生智香がこれからどうするかなんざ、知ったこっちゃねえ。知ったこっちゃねえよ…」
そう口にする松平から滲み出るそれは、なんという感情なのか近藤は知らなかった。今このタイミングで松平は自分達を訪れた。そして今の今まで語らなかった話を語っている。不安げな父の背中に、近藤は笑いかけた。

「話してもらえなくたって、信用してくれてないわけじゃない、だろ?俺たちが智香ちゃんを大事に思ってるってことは、ちゃんと分かってくれてるさ。…なあ、総悟」
「……ったく、本当に手間のかかる部下でィ」
そう言った沖田は既に部屋を出る用意をしていて…その右手に下げる紙袋には、真新しい隊服が、戦場に出る日を待ちわびていた。



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…悲しい、夢を見た。

「あー、今となっては懐かしい、なんて思っちゃうんだねェ」
真っ白いシーツはぐちゃぐちゃで、相当魘されて動いたらしかった。もう太陽は上がりきっていて、寝過ぎたことを後悔しつつ起き上がろうとしたら、体が軋んだ。意識しだしたら身体中に痛みがじわじわと広がっていって、生きてるんだと叫んでいる。…寝違えたらしい。
つん、と鼻腔をつく消毒液のにおいと、独特の静けさ。清潔な白で統一された室内にシーツ。
左側の棚には、おはぎ、バナナ、花束、イチゴオレ、す昆布、花束、ジャンプ、菓子折り、ワッフル、ゲームソフト…なんとも不ぞろいなお見舞いの数々。特にゲーム機もないのにゲームソフト貰ってもどうしろっちゅうんだ。誰だよ。買えってか馬鹿。
「…………はあ。」
病院独特の空気に自然とため息が出た。
書かされていた始末書に躍起になりすぎて体調崩すとか、本当にどうかしてる。そりゃあ、精神的に参ってたにしても、だ。
というかいつまでもゆっくりしてらんない。今日は退院日なんだから。入院着から落ち着いた色の着物に着替えて、少ない荷物と多大なお見舞いをまとめて身支度する。


……佐々木さんに会いたいな…。

何気なく、ふっとそう考えて、思い出してしまった。
あの言葉は、どういう…「ぼーっとしやがって。いいご身分だな」
「え」
「智香ちゃん大丈夫か?まだ無理はするなよ」
「…トップ自らお出迎えなんて、随分期待されてるみたいですね」
聞きなれた声に驚いて振り向くとそこには見慣れた面々。
「…無駄口叩いてねえでさっさと帰ってこい。…まあ、相手の懐に深く潜りすぎたところは反省しろよ。一歩間違えば死んでたぞ」
「いや、むしろ死ぬよりひどい結末でしたよ…」
「何にせよ、俺たちが知り得なかった情報を奴から聞き出して事件を解決…お手柄だろ。俺たちに内密にしてたこと以外はな。プライベートにまで口出す気はねえよ。思うだけなら自由だ。が、それが理由で行動に移したら切腹させるぞ」
目に見えて不機嫌そうな副長は、きっとタバコが吸えなくて口寂しいのだろう。随分と静かなお説教は、普段のように怒鳴られるより数倍こたえる。
「ま、それ以上に奴さんがきなくせえって事だけは確信できやしたしねィ。佐々木の野郎はえらく智香にご執心見てえだし、まだまだスパイ続行ってことで」
「ま。そういうことだ。勿論、嫌だったら断ってくれてかまわない。始末書はどうにもできんがな!」

そう言って沖田君は持っていた紙袋を私の目の前の小さな棚の上に置いた。既にお見舞い品で雑多だったそこに無造作に置かれたそれから見える黒い布地は、間違いなく明日からお世話になる相棒で。ああまだ私はここにいて良いんだと、そう思うとすう、と肩から何かだ立ち去った気がした。

恋をしてみたいと思った。
恋なんてしなくても幸せだと感じた。
恋をしてみたら死にかけて苦しかった。
でも全部私のもので、全部抱えていたいのだ。

「ありがとう…ありがとうございます…!ありがとうございます………!!」
気がつけば私は安堵したのかぼろぼろと涙をこぼしていた。泣いたのは随分と久しぶりの気がする。堰を切ったようにとめどなく溢れて暖かい滴がシーツに染み込んでいく。

「じゃあ、積もる話もあるでしょうし、あとは若い者だけで…ってか」
「余計なお世話です」
そんな私を見ながら苦笑した沖田君はそうつぶやいて、三人は扉から出ていった。
そして間髪入れずにあらわれたその人に、私は今度こそ呼吸が止まるかと思った。


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