7 君がいなくちゃいみなんてないのに、ね。
綾瀬が学園からいなくなったと僕が聞いたのは、実習を終えて直ぐの事だった。
学園長先生に呼び出されるなんて何かしたかな?とうなって、悩んでいたのは聞いた瞬間にすっ飛んで、学園長先生の庵を出た瞬間に綾瀬の部屋へ急いだ。
部屋の前にあるはずの、立て札もなくなっている部屋に動悸を隠せないまま音を立てて戸をあける。
がらんとした部屋には、僕の兄が居た形跡は全くと言って良いほどなかった。
それはそうだ。綾瀬が学園をやめたのは、僕が実習に出たその日。一月前で、一月も経てばにおいも、生活感も消える。
けれど、僕に何か残したものがないか。と、探してしまうのは仕方がないだろう。
屋根裏まで隅々まで探してみたけれど、何もなかった事に肩を落とした。
何もない部屋にいる気にもなれず、来たときとは正反対にゆっくりと戸をしめた。
そのまま少し進んで、廊下の縁側に座り込む。
座ると、どっと疲れが出た。それはそうだ。僕は実習を終えたばかりだし、疲れがたまっている。
こんな状態では、考え事をしようにも疲れてしまっていて頭もまわらない。
「…どうしよう」
ばたんと身体を横に倒して呟いた。
なにがなんだか全くわからない。
綾瀬が学園を去る要素が全く見当たらないのだ。
三郎と双忍をすると言った時、何かを決めたような表情をしたけれど、あれは決定打にはなっていないはず。
何が原因?前から、何かあったのでは?いや、特に何もない。何かあったとしても、綾瀬は大体の事は自分で乗り越えるはずだから。
つまり、自分で何かを乗り越えたのだろう。何を?それがわかったらこんな疲れた身体で考えたりしない。
………とりあえず、寝てから考えよう。そうしないと、よいものも見えなくなる。
目を瞑ると、直ぐに夢の世界へと僕は旅立った。
「綾瀬、先輩?」
綾瀬の名前を呼ぶが聞こえてきて、僕はパッと目を開いた。
戸惑った様子で僕の方へ近寄ってきたのは…えーっと
「神崎?」
「あ…不破雷蔵先輩でしたね!失礼しました」
僕を見てぺこりと頭を下げた神崎に、この子は僕と綾瀬の見分けがつくのだろうか。と思った。
いや、それよりも
「綾瀬の事を探していたの?」
「いえ、探してませんでした。寝顔が綾瀬先輩と似ていたので、間違えただけです…あ!これ!」
「え、なに?」
懐をあさって、僕の前に神崎が手紙のようなものを差し出してきた。
首を傾げながら受け取る。若干くたびれたそれは、長い間懐に入れていたのだと実感させるものだった。
「綾瀬先輩からの預かりものです!不破先輩に渡してくれと頼まれていたんです」
「綾瀬から、の?」
「はい!渡せてよかったです」
「ありがとう」
「いいえ!じゃあ私はこれから委員会があるので失礼します」
ダッと走り出した神崎を見送る。委員会まで送った方がよいのかも知れない。と一瞬迷ったけれど、渡された手紙の方が気になった。
勝手にいなくなった綾瀬。僕に何を書いたというんだ?
つつみをひらいて、手紙を読む。
そこに書いてあったのは、ただ一言
【家に帰る時は不破綾瀬になりなさい】
というだけだった。
別れの言葉も何もない素っ気ないもの。
どういうことなのか真意も掴めない。何度眺めても、あぶり出しでも、忍者文字でもないものだった。
…とりあえず、家に帰れば何かがわかるのかも知れない。今度の休暇に家に戻ってみよう。
そう頷いてこの件はとりあえず放置した。課題のレポートを書かなければならないし、他の雑務があるのだ。今は時間が足りない。
何日か経って、休暇の日。
僕はいつのまにかあった綾瀬の服を着て、学園を出た。
綾瀬の服なんてもらった覚えがなかったから、勝手に入れたのだろう。代わりに僕の服が一着なくなっていた。
それにやはり首を傾げたけれど、今回は悩んでも答えが出ないからと足を速めて家に帰った。
家の前に立って、深呼吸する。今から僕は綾瀬になる。そうなったら答えが出るだろう。
ふにゃりとした表情を作って、足を踏み入れる。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい。綾瀬」
なんだろう。家の空気がおかしい。
奥の部屋からこちらを窺ってくる長男が、戸惑っている表情を隠してもいなかった。
僕は三男で、綾瀬は次男。僕は家を継ぐ事はしないけれど、もしかしたら長男が継ぐ気がなくなったとかそういう事なのだろうか。
首を傾げながら居間に上がって座ると、母親は真っ直ぐと僕を見た。
「あらら、母さんどうしたの?そんな緊張してさぁ」
「あなたに言わなければならない事があるの」
「なにをだい?」
緊張した声の母親を見て、ふにゃりとした表情が崩れないように気を張った。
「場所は言えないの。けれど、あなたは雷蔵の兄だから伝えなければならないわ」
「…雷蔵がどうかしたの?」
僕に何かがあった?いや、僕には何も起きていない。
つまり、綾瀬に何かがあったということ?
「雷蔵が、見初められて…婿に行きました」
「…え?」
「あなたは忍者になるから場所は言えないの。どこのお姫様とかも言えないわ。けれど、この村の事を考えると断れなかったの。知らなかったでしょう?雷蔵は言わないで出てきたと言っていたから…止められると思ったのでしょうね」
ぼろっと涙をこぼして、泣きだす母さんを見て、長男が奥の部屋から出てきた。
申し訳なさそうな表情をして母さんを連れて奥へ下がる長男を呆然と見送って、僕はぎゅうっと着物を握りしめた。
【家に帰る時は不破綾瀬になりなさい】
ということは、綾瀬は、不破雷蔵となって婿に行ってしまったという事だ。
忍術学園に入学する時に、綾瀬は僕になんて言っていたかが思い出される。
「おれはねぇ、雷蔵とか、家族を守れる忍者になるのさ」
にこりと笑って言った綾瀬に、僕はなんて言った?
いいや、なんとも言えなかった。僕は迷ってばかりで夢なんてまだなかったから。
そのあと綾瀬は顔を隠してしまったから、僕と同じなのが嫌なのだと思って近づけなくなって、組も違うから尚更で、僕の顔を借りた三郎と仲がよくなって……。
そして、僕は三郎と双忍になって仕事をしていくという夢を持って、綾瀬は家族を守るのが夢だと言っていたから、それは変わらなかったんだ。
どんなお姫様と結婚させられたのだろうか。僕の家は商家とは言え、そんなに大きくない。姫様と母さんは言っていたけれど、武家の人かも知れないし、豪族かも知れない。
どのくらいの大きさの家なのか、幅が広すぎて検討もつかないし、相手の年齢もわからない。見初めてしまって連れて行くとなると、かなりの年上か?
商家の人間なんて、権力の価値なんてない。あきられたらお終いだ。ただの玩具としてもらわれていったのかも知れない。
ギリギリと胃が痛む。
家族を守るためでもある婿入り。連れ戻したりなんかしたら、この小さいけれど栄えている村は消えてしまうかも知れない。どの程度の権力者かわからないから問題が起こるかどうかすら検討がつかない。
探す事すらしてはいけない。だって、綾瀬は僕を、家族を守りたいんだもの。
家族だって口を割らないように言われている。村の人はいなくなった事すら知らないだろう。目立つ去り方をしたら、どこの城か丸分かりだ。
綾瀬はい組だった。頭をまわす事には長けていたし、特に逃げる事がうまかった。
八方塞。僕にはどうしようもできない。
チラチラと感じる視線は長男のものだ。
それにふにゃりとした綾瀬の表情を作って答える。
「ごめんね。今日はちょっと帰るわ」
「お、おお。気をつけてお帰り」
ほっと息を吐いた長男に見送られて家を出た。
学園への帰り道、思わず足が速くなる。
これから、家に帰る時。僕は綾瀬にならないといけない。
そう思うと気が重かった。僕は誰かの真似をする事には長けていない。
綾瀬は、大丈夫だろうか。僕の真似をずっと、これからしていくなんて。
不安に思ったけれど、そういえば綾瀬は誰かの顔をいつも貼りつけていた。
三郎程ではないけれど、成績はよかったのだ。どうにかなっているかもしれない。
…もう、僕にはわからないことだけれど。
学園について、無償に三郎に会いたくなった。
代わりになんてならない事はわかってる。けれど、僕と同じ顔を見たかった。
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