誰ですか、貴方。2



「おやまぁ」


上から声が聞こえた。

誰かいるとは思っていなかったから、鼻水も涙もずるずる垂れ流した状態で顔を上げた。


「あなたは運が悪いね」


「え、あ…」


……誰だろう。顔は見た事あるけれど、名前は知らない。


「蛸壷六号です」


「蛸壷…」


落とし穴だと思っていたこれは、実は名前があったらしい。

蛸壷六号…たぶん、学園内には蛸壷が何個もあるから号がついているんだろう。彼の名前ではない。蛸壷 六号なんて絶対この男の子の名前じゃない。はず。

見下ろしてくる男の子は、無表情でとっても怖かった。いや、私にとってこの場所には怖くない場所などない。

ずずずっと鼻水をすすって、懐に入れていたハンカチを使って顔を拭った。

人前でこの顔を長くさらすのは嫌だ。


「縄を降ろすから自力で上がって」


「は…い」


ひゅるんと落ちてきた縄に捕まって、頑張ってのぼる。

引っ張ってくれるなんて期待はしない。だって、当たり前だもの。忍術学園の子たちは、みんな蛸壷に落ちても自力でのぼるのだろう。

私だけ特別なんてありえない。むしろ特別だとこわい。ただでさえ、天女と呼ばれてしまっているのに。

頑張ってよじ登ってみると、近くにあの男の子はいなかった。あるのは私がのぼるのに使った縄だけ。丁寧に木に括りつけてある。


「あれ…?」


きょろきょろと周りを見渡しても誰も居ない。

たぶん、彼は私と関わるのが嫌だったのだろう。だって私、天女とか呼ばれてるけど仕事ができないタダ飯食らい。

この縄は彼の持ち物なのか。それとも用具のものなのか。用具のものなら、確か印がつけてあると事務のおばちゃんが言っていたので確認してみると、用具のものだった。

このまま放置していて、何か言われたら堪ったものではない。

ただでさえ評判が微妙なのだ。悪評がついたら、殺されてしまう。

…さっきは死んでしまった方が。と思っていたけれど、やっぱり私はまだ死にたくないようだ。

彼はいなくなったけれど、助けてもらったお礼を言っていない。礼を欠くなんて、死に直結するかも知れないと思い、蛸壷六号の入り口付近にありがとうと書いておいた。

死にたくないから習得した平仮名だ。ヘタクソだけど読めるはず。

縄と、ホウキを回収して仕事に戻った。

縄は真っ先に用具に戻して、ホウキをフルに動かして遅れていた掃除を再開する。

ああ、こわい。今日のぶんの仕事を終わらせられる気がしない。

今日こそ殺されてしまうかも。でも今日は仕方なかった。いや、でもそう思ってしまう自分がおこがましいのかも知れない。

蛸壷の中で存分に涙を流したからか、涙は出なかった。でも半泣き。



 

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