それ以上でも以下でもない世界。1
「着物?いいぞ」
「あ、ありがとうございます!」
出会い頭に、かくかくしかじかなので、女装用の着物を貸して下さい。と七松くんに言ったら、とても素敵な笑顔で返事が返ってきた。
その事にホッと息を吐いて、深呼吸する。よし、これで明日の仕事ができるわ。
七松くんが食堂から出てきた所で言ったので、一緒に長屋に行って借りるという事になった。
私の夕食の事は気にしないで大丈夫。ちゃんとおばちゃんが別に取っておいてくれている。
初めてとっておいて貰った時は、おばちゃんの優しさに涙が出そうだった。むしろ泣いた。
長屋の部屋の中に入っていいのかわからないので、開けっ放しの七松くんの部屋の前にちょこんと座る。
ゴソゴソと押入れをあさっている七松くんの部屋は、同室の子が図書委員だからなのかわからないけれど、綺麗だった。
ちょっと汚いイメージだったから少し驚く。
何で汚いイメージがついたのだろうと考えて見ると、私が七松くんに会うのは委員会の前後が主で、泥だらけの状態ばかり見ているからだと思った。
「あった!」
押入れから引っ張り出してきた着物を七松くんは嬉しそうに広げた。
元気な子だから派手な色かと思っていたけれど、シックな色だ。虫に食われていないか確認をしている七松くんの表情が少しくもった。
虫に食われていたのだろうか。綺麗な着物だから虫にたかられてもおかしくはない。
「…破れてる。これはちょっと、駄目だ」
「あ、破れているくらいなら直して返すので、七松くんがよければ貸して下さい」
「え、破れた状態で着るのか!?女性としてそれは駄目だ!」
「針と糸が部屋にありますから、それに、このくらいなら直ぐに直せます」
「嘘だ!長次だってこんな破れ方は引きつったようにしか直せないぞ!!」
ぎゅっと着物を抱きしめる七松くんに、へにゃりと眉を寄せた。
本当に直せるんだけど…あぁ、もしかして、針を通させるのがイヤなのかも知れない。
知り合いで、着物を貸してくれるくらいには仲がいいと思っていたけれど、やっぱり針と言え凶器になる。毒を塗った針というのはとても恐ろしいはずだ。
けれど、七松くんに着物を借りなければ借りるあてが減るし、こんな時間に誰かに話しかける気はしない。なにより、私はその着物を直せる程度には縫物が得意だ。
「私が、信頼できないかも知れませんが…直させていただけませんか?」
両手を突き出して、着物をねだる。
こんな事をされても嬉しくないだろう。美女だったらまだしも、私は平平凡凡。とっても普通の顔だ。
忍者のたまごとしてそれはどうなの。というくらい瞳をうろうろ動かした後、七松くんは裁縫道具と共に私に着物を渡してきた。
なるほど。目の前で縫うのだったら何かするかどうかとか見張れるものね。見知らぬ所でやられるのはこわすぎるけれど、目の前だったら防ぐこともできる。
すっと布地と近い色の糸を一本ぬいて、針に通したあと縫い目を合わせてするすると丁寧に、けれど超特急で縫って行く。
「指が見えない…?」
「え?」
「い、いや!なんでもない!」
私の手元を見て、何か呟いた七松くんに、引きつっていないよね?と不安になる。
今の所綺麗に修復できている。このまま行けばもうちょっとで直るだろう。
ジッと手元を見られて緊張するけれど、これは見張るためとかで仕方ないのだ。
緊張して失敗するのはいただけないので、丁寧に丁寧に!と呪文のように口の中で呟いた。
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