サマルトリアの王子
ワンライ第2弾
この時間が遠く隠れてしまいそうだ。から始まるサマルトリアの王子のお話。
この時間が遠くへ隠れてしまいそうだ。
穏やかな日差しが城の中庭を照らす午後3時、淹れたての紅茶を口に含みながら私はそう思う。
まるで愛の詩を易々と作り上げる有名な詩人にでもなったかのようだ。
「なんて、柄でも無いことするんじゃないわね」
そう呟いて、廊下を掛けていくメイド達を眺める。今日のサマルトリア王国は、皆が慌ただしく動いていた。
普段は静かに過ごしているこのティータイムも、今日はどこか落ち着きが無い。
滑らかなシルクのクロスが敷かれたテーブルには料理長特製の美味しいアップルパイをはじめ、これでもかという程に様々な洋菓子が置かれている。
私の気を紛らわしたいという気遣いが表れているのだろうが、量があればいいってものじゃあない。
私は一つ、溜め息をついた。これでは心も休まらないというもの。
……でもまあ、皆の気持ちもわからなくない。私だって、こうして優雅に紅茶を飲む仕草をしていなければ、そわそわと城内を彷徨いている筈だ。
明日は、運命の日だ。
勇者の血筋を引くこの国の王子が、大神官ハーゴン討伐の為にサマルトリアを発つ日。
──それは、私の幼馴染が、生死の行く末もわからぬ旅に出ることを意味していた。
今までに、覚悟は散々決めていた。
勇者の血筋を引く由緒ある家系の者であるならば、逃れられない定めに対面する日が必ず来ることを。
その彼と、共に過ごす穏やかな日々がいつかは壊れてしまう事を。
でも。それでも、すっぱりと割り切って送り出す気分になれないのだから、私もまだまだ未熟者らしい。
「わぁ〜、お菓子がいっぱいだねぇ」
「……でも、当の本人はこれだもの」
聞こえてきた暢気な調子の声のせいで、強ばっていた身体から力が抜けてしまった。
視線を向けると、にこにこと笑みを浮かべるこの国の王子がそこにはいる。
城内の慌ただしさに感化されていないのか、それとも深く考えてはいないのか。どちらにしろ、昔から変わらない暢気なやつだ。
「どうしたの、ナマエ? アップルパイ食べなくていいの? 美味しいよ」
明日旅立つ王子は隣の席に座って、アップルパイを頬張っている。
ナイフとフォークで器用に切り取られたアップルパイは、いつもより大きめに取られていて、私はなんだか得体の知れない不気味さを感じた。
「ねえ、アンタ」
「なあに?」
「ちゃんと、帰って来るわよね」
「……うん、勿論」
いつもは気の抜けた暢気な返事が返ってくるのに。返ってきたのは、あまり聞いたことの無い男の声だった。
それに気付かなかった振りをして、残っていた紅茶に口を付ける。
──紅茶は、とっくに冷たくなっていた。