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「あやめさん。昼は七人分の常食、二人分の全粥をよろしくお願いします。
私はしのぶ様の回診の補助をしてきますので」
「はい、アオイさん」


鬼殺隊の隊服の上に纏っている白い看護服と、二つに結わえられている黒い髪がぴょこんと揺れる。
テキパキと指示を出しては濡れた手をサッと拭い、踵を返して調理場を後にしようとしていた足が一瞬止まって振り返る。

「後は頼みますね。作り終わりましたらそのまましばらく休憩を取って頂いて構いません。
貴女は、休むのも仕事の内なのですから」
「気を付けます。ありがとう」

調理をしていた手を止めて軽く会釈を返すと、少し照れたように視線を反らしながらも「私は、貴女が来てくださってから、本当に助かっていますので」とポツリと呟いてそのまま隠れるように去った背中に、ついついクスっと笑みが漏れてしまう。


此所は、鬼殺隊の頂点に立つ柱の1人、胡蝶しのぶ様が管理されている蝶屋敷。
蝶屋敷に住み込みで働き始めてから一月ほど経つというのに、毎日が忙しい故か昨日の事のように思い出せる。



善逸さんと別れたあの夜から約2年。


夢を叶えるべく、兄の伝手を使って都市部に上京し、小料理屋に住み込みで働かせて貰いながら特殊な事情を持つ家庭向けの学び舎にも通わせて貰った。
当初は女学院に入学させようと動いてくれていたみたいだったけれど……字は書けるけれど中等教育を受けていないし、料理の勉強もしたかったから辞退した。


働かせて貰いながら料理を学び、夕方頃から数時間は学び舎で中等教育を受ける生活。
目が回りそうな忙しい毎日の中、体重もかなり落ちておかげで体が軽くなった。
着物を着る際、補正の布を何枚か巻かなければ綺麗に着付けられなくなったのは正直面倒だけれども、不自由な右足を引きずって歩く私の体にはだいぶ負担が減った。


いよいよ卒業を控えて将来の進路を考えた時、真っ先に浮かんだのは鬼殺隊の隊士の方々の事だった。


都市部でたくさんの人に囲まれた平和な時間を過ごす程に、あの時自分の命を救ってくれた背中を思い出して、恩返しがしたかった。
私の出来る事は限られているけれど、それでも少しでも命を賭して戦っている人達の手助けをしたいな。と思って、藤の家の伝手を使って幾つかの就職先を紹介して貰った。


その中に、傷ついた隊士の方の治療を行っているという蝶屋敷の求人を見た時、「これだ!」と思って真っ先に手紙を出していた。

向こうから綺麗な字で書かれたお返事を貰うや否や、住み込みでお世話になった主人達に礼を言い、そんなに多くない荷物を売って僅かに得た金銭をはたいて列車に飛び乗り、蝶屋敷の門を叩いた。


風呂敷一つに纏まった小さな荷物を手に提げた私を一番に出迎えてくれたのもアオイさんで、意志が強そうな目をジッと向けながら「どうぞ此方へ」と案内してくれた。

近くの村までは親切なおじさんの荷馬車に乗せて貰ったけれど、そこから屋敷までの長距離を歩いてきた足は悲鳴を上げていて、ただでさえ動きの鈍い右足が摺り足をするように、遅れて動く。

足が悪いと言うことを音で気付いたらしく、肩越しに振り返って私の足に視線を向けると、自分の足元を指差す。


「そちらに段差があるので、気を付けてください」
「ありがとうございます」
「いえ。荷物、お預かりします」


少し冷淡でぶっきらぼうに聞こえる声だけれど、その言動の端々に気遣いが垣間見えて、ほっと息が漏れた。
先程よりもゆったりとした歩調で歩む姿に、ついつい頬が緩んでしまう。


案内された先に座していたのは、花も恥じらうような可憐な美しい女性で、私と目が合うとふんわりと口元を緩めて穏やかに微笑んだ。


「初めまして、あやめさん。私はこの蝶屋敷の主、胡蝶しのぶ。
貴方をここまで案内したこの子は神崎アオイです。遠くからよくいらっしゃいました。大変だったでしょう?」

どうぞ?と流れるように椅子を勧められ、会釈を返してから有り難く腰掛けて息をつく。


「色々な方に助けて頂きましたので、そこまでは。急な申し出でしたのに、お返事ありがとうございます」
「いいえ。私共としては猫の手も借りたい位ですので、有り難いです。
今日貴女とお会いして、決めました。このまま雇わせて頂けますか?
雇用に関する詳細は後ほど詰めましょう。お疲れでしょうから、取り敢えず今日はこのまま休んで貰います。
空き部屋の準備はしてありますから、そちらを使ってください。
アオイ、屋敷の中と部屋までの案内を頼みます」
「はい、しのぶ様。では、案内します」


隊服の上に看護服を纏い、キュッと帯紐を締めた彼女に屋敷の中を案内されていく。


「既にお聞きとは思いますが、此処は蝶屋敷と呼ばれています。
主に負傷した隊士の治療と回復訓練を行っています」

胡蝶しのぶ様が隊士の治療を請け負い、その他は基本アオイさんが率先して治療補佐、食事や機能訓練などの雑務を行ってきたものの、負傷する隊士が増えて手が回らなくなったらしい。

確かに、毎日毎日三食違う食事を考えるだけでも結構大変だし、おまけに怪我の程度によっては常食が食べられない人もいる。
それぞれのニーズに合わせたメニューを作るというのは、それなりに知識や経験が必要になるもの。


食事とは、人の体を作る為の大切な栄養を摂る為の大事な行為。
特に、隊士の方々は思春期で食べ盛りな青少年だらけ。それだけ栄養摂取は重要になってくる。

私が主に板長として調理場を任されることになり、食と栄養の管理・調理と献立の作成を。

代わりにアオイさんたちは、しのぶさんの手伝いや家事などをメインに行っていくことになった。
そこまで隊士が居ない時や食事の時間以外は、時々私も洗濯や掃除などのお手伝いをしている。


足が不自由なせいで一日中調理場に立つことが叶わないというのに、雇い主であるしのぶさんはいつも柔らかい笑みを浮かべながら感謝の言葉を言ってくれる。

むしろ、障害がある私を雇って給料も住む場所も与えてくれて、定期的に足の診察までしてくれるという有難い待遇に、感謝しているのは私の方だというのに。



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