01


1865年、ロンドン郊外、ラグドスクール。
スタッフ事務室の中で、兄に促されながら、2人の孤児の少年の前に歩み出た。


「初めまして、お兄さまたち。
アメリア・ジェームズ・モリアーティと、もうしま、す」


片足を後ろに引き、レースが何層も重なって膨らんだスカートの裾を震える指先でつまみ、新しく家族になった二人の養子の兄に対して頭を下げる。

礼を解いた後は、言葉を噛んでしまった気恥ずかしさから実兄のアルバート兄様の後ろに慌てて隠れ、後ろで手を組んでいる兄さまの手を強く握り締めた。

相手に失礼な事だとは分かっていながらも恥ずかしくて、兄様のジャケットに顔を埋めながら「よろしくお願いします…」と尻すぼみの声でそう伝える。


でも私のその様子をアルバート兄様は怒るわけでもなく、微笑ましいような顔で笑った。


「すまない。この通り、妹は照れ屋なんだ。
気を悪くしないでほしい」
「いいえ、大丈夫ですよ。…こんにちは」


新しい兄の一人が窺うようにゆっくりと一歩近付いてしゃがみ込み、私の目線よりも下から柔らかく笑いかけてくれた。

プラチナのような金色の髪が日の光を帯びてキラキラしており、パッチリとした大きな真紅の両眼はルビーを嵌めたような鮮やかな色をしている。

まるで聖書の物語に出てくるような天使様みたいで、見てるだけでドキドキするくらい愛らしくて綺麗な笑顔をしていた。


「初めまして、アメリアお嬢様。僕は"ウィリアム"。
此方は僕の弟のルイスです」
「…初めまして、お嬢様」

私の前でしゃがんで笑っている少年が視線を向けた先には、やや色合いの違いはあれど、金の髪と赤い色の瞳をした血の繋がりがはっきりと分かるほど似ている少年が立っていた。

でも、それよりも別の事が気になって、自然と口からその事がこぼれ落ちた。


「ウィリアム兄様と、同じ名前…?」


私とアルバート兄様は父に似た容姿をしていて一目で兄妹だと分かるのだけれど、アルバート兄様の一歳下で母に似たウィリアム兄様が居る。
そのウィリアム兄様と同じ名前で在ることに驚き、傍らにいるアルバート兄様の顔を見上げると、少し驚いたように戸惑った顔をしていた。


その事に違和感を感じていると、我に返ったように曖昧に笑いながら「…あ、あぁ。そうだったね」と戸惑ったような声を出しながら放された手が、肩に置かれる。



「ウィリアムと名前が同じで覚えやすいだろう?
兄妹として、仲良くして欲しい」
「はい、アルバート兄様。同じ名前なら……そうね、ウィル兄様とルイス兄様ね」
「2人はとても賢いんだ。だから、何かあれば2人にアドバイスを貰うといい」
「はい。兄様」


2人を連れて四輪馬車に乗り込み、ロンドン市内のモリアーティ本邸に向かっていく。

アルバート兄様が私達の間を取り持つように穏やかな言葉を投げかけ、ウィル兄様は始終笑顔で、ルイス兄様は少し強ばっているものの、短い相槌を打つ。
ボロボロな服と靴なのに、2人の足はピタリと揃えられ背筋もピンっと張っていて姿勢も綺麗だった。
『2人が並んでいるとお人形みたい』と見惚れていると、目が合ったウィル兄様がニコリと綺麗に笑うものだから、恥ずかしくなって隣に座っているアルバート兄様の腕にギュッと張り付く。

ふと移り変わる外の景色から、もう少しで本邸に着いてしまう事にだんだん気持ちが沈んでいく。

『屋敷に帰りたくない』という思いから、空っぽな胃までキリキリしてきて、片手をお腹に添えて下唇を少しだけ噛む。
帰りたくない気持ちとは裏腹に馬車は止まってしまい、御者が扉を開けてアルバート兄様が先に降りて、エスコートされて馬車の外へと足を出した。

入り口を開けて待っていた執事のサイモンが恭しく頭を下げる。

「お帰りなさいませ、アルバート様・アメリア様」
「ただいま帰りました、サイモン」
「…ええ」
前を歩くアルバート兄様が無反応なのを視線だけで見送ったサイモンが、グッと眉を寄せて私の後ろを歩いて来ていた新しい兄達を睨み付けた。


「おい、待て。お前達は裏へ回れ。
そんな靴で中に入られたら、玄関が汚れる」
「サイモン!彼らは今日からモリアーティ家の一員だ。
無礼な振る舞いは止めて貰おう」
「……ッアルバート様」

明らかにグッと歯を噛みしめて嫌そうな顔をする執事のサイモンを一瞥し、そのまま2人を屋敷の中に招いて歩いて行くアルバート兄様の堂々とした背中に、感嘆しながら歩き出す。
身分関係なく立場の弱い人を助ける兄様の姿は、本当にカッコいい。

慕っている兄の後ろを、新しい兄達とカルガモの子のようにテコテコと歩いて行く姿ははたから見てると滑稽だろう。

でも、それもすぐに女性の声によって遮られた。


「随分とごゆっくりされていた様ですわね。30分の遅刻ですよ、お嬢様」
「ま、マリアンナ先生…」

母よりも少し若い位のその夫人は、全身のコーディネイトをモノトーンでシック(地味)に纏め、長いスカートとブラウスには一点の汚れも曇りもない。
わずかに白髪が交じっている髪をしっかりと纏めて撫でつけ、分厚いメガネの先の視線は鋭く吊り上がっている。
爪先までピシリと揃えられた指先には、彼女の神経質さが垣間見える。

モリアーティ家に雇われている、私の家庭教師だ。

彼女の姿を見た瞬間、無意識に身体が強張ってしまった私の代わりに、アルバート兄様が困ったような顔をしながら弁明してくれる。

「申し訳ありません、マリアンナ夫人。
遅れたのは僕が向こうで職員の方と話し込んでしまったからなんですよ」
「言い訳は結構です、アルバート様。
お嬢様の時間管理が出来てないのは、貴方様のせいではございません。
さあ、お嬢様。早くお部屋にお戻りなさいませ。このあとのスケジュールが詰まっているのですからね」
「お兄様たち、また!あ、アルバート兄様はあとでダンスのパートナーしてください」
「うん、分かったよ。頑張って」

二の腕を掴まれ、引っ張られるようにグイグイと屋敷の中を連れて行かれる。
位の高いの貴族の子息たちは、プライマリースクールに行かない代わりに家庭教師の先生を雇って家で教育を施す。

この夫人は兄様たちの男性家庭教師(チューター)とは別で社交界のレディの教育に特化しており、レディの基礎教育から専門教育も兼ねることができる凄腕の先生だ。

公爵家に長く住み込んで他のレディのフィニッシュ・カヴァネス(最終教育)を兼任しているから、週の数日しかうちには来ない。
基礎から教育をしたレディーが社交界デビューしてしまうと失業することになる為、空いている時間を使って次の宿り木となる職場を探しつつ、この伯爵家に雇われてきた。

伯爵家に滞在している時間が限られている為、時間を無駄にしないように分単位でキッチリとスケジュールを管理されており、少しでも遅れると言葉で罵られるのは常だった。

バタンッと私の私室の部屋の扉を乱暴に閉め切ると、腰のラインに手を添えられてため息を吐かれた。

「また髪も結い上げず、コルセットも着ないで行ったのですね」
「…だって、コルセットは」
「言い訳は要りません。さ、そちらに立って」

外出用の簡素なドレスを剥ぎ取られるように脱がされ、夫人が持ってきたコルセットで腹部をギュウギュウと強く締め付けて紐を引かれた。
壁に縋り付きながら、深く息を吐くのに合わせてジワジワと胴が締め上げられていく。


「せめて、ウエストラインは50センチを切りませんと!社交界で恥をかくのはお嬢様だけではなく、貴女に教育を施したワタシだと言うこともお忘れ無く」
「う…っ、うう」
「この程度で泣くのではありません!みっともない!」
「ごめんなさい…っ」


夫人が愛用しているというコルセットは、内蔵している骨組みが多くて少し長めになっており、アンダーバストから下腹部まですっかりと覆われるようになっていて、きつく締められると余分な脂肪は胸や足に押し出されそうなくらい、苦しい。

コルセットを締められたかと思えば、上手く呼吸も出来なくなったようで頭はガンガンして痛いし、思い切り息を吸うことも出来なくて、浅い息しか出来ない。


室内用ドレスに着替えさせられ、乱暴に髪を引っ張られるように梳かされて涙目になりながら髪をきっちり結われ、遅れた時間を取り戻さん勢いでウォーキングや挨拶の練習、ダンスの授業を施された。

アルバート兄様がダンスのパートナーをしてくれている間、広間の片隅で見学するように2人の養子のお兄様たちが立っており、じっと観察するように見られていることが恥ずかしくて、少し乱れたステップになってしまった。

それを見た先生が、「アルバート様。下民はホールの外に出して下さいませ」と告げ、アルバート兄様が呼んだメイドによって何処かに連れて行かれてしまったけれど、みっともない姿を見られずに済んで、少しだけ胸をなで下ろした。

兄様を巻き込んだダンス授業が終わった後も、先生との個人授業は続く。
母国語の英語以外に、王族が公用語としているフランス語や知識としてのラテン語。
英国の歴史。貴族のレディとしての礼儀作法。

レディーの手習いである、ダンスや音楽、刺繍に至るまで。
あらゆることを広く教えてくれる分、夫人と二人きりの時間は長い。


「……ぁ……っ」 

考え事をしていたせいか、刺繍をしている最中に針で指先を貫いてしまい、指先から赤色の玉がぷっくりと滲み出して白い布地にジワリと拡がった。
折角途中まで綺麗に出来ていたのに、 全部台無しにしてしまったことにサアッと血の気が失せる。


「お嬢様」
「……ご、…ごめんなさ」
「集中力が無いみたいですね。ワタシの授業中だというのに、考え事とは」

スッと先生が、手に持っていた刺繍針を持ち変える。

「さあ、腕をお出しなさい」
「……っ…」

顔を背けてギュッと目を閉じて震える腕を差し出すと、先生の針が私の腕をブスりと突き刺す。
悲鳴を上げるとまた怒られるため、下唇を噛んで痛みに耐えながら顔を歪める。

『体罰を伴わなければ、人間は無駄なミスを繰り返す』というのが先生の持論のため、 ミスをすればいつも何かしらの体罰が与えられた。


本で背中を叩かれたり、酷い時はムチでお尻を叩かれ、座ることもしばらく辛くて泣きたくなる時がある。
止血のためにタオルを押し当てた腕を冷たい目で見下ろした夫人が、私の左腕から血が出なくなるのを確認し、私のドレスの袖を引き下げて傷を隠すとスッと立ち上がる。

「今日の授業は此所までです」


革の小さなトランクを持ち上げると、分厚いメガネをグッと押し上げて玄関に向かって歩いて行く。

「ワタシは、お嬢様の教育者として全ての管理をご両親に任されています。
ワタシの為すことは、ご両親の意志です」
「は、い」
「明後日の朝一はラテン語の授業です。この前のように全く単語が読むことが出来なくて先に進まないでは、お話になりません。しっかり予習しておくように。
明後日、いつもの決まった時間に来ますわ」


それと、コルセットは毎日付けるのですよ。


ピンっと背筋を伸ばしながら先生とレディーの礼をした後、メイドが先生を見送るために玄関に続く扉を開けると、玄関にはさっきの2人の兄達が座り込んで大理石のタイルや飾ってある大時計の拭き掃除を行っていた。


「…汚らわしい…」


玄関掃除をさせられている兄様二人に顔を向けては、ハンカチーフを鼻に当てて凄く嫌そうに目を細めると、コツコツと靴音を鳴らしながら避けて馬車へと乗り込んでいった。


2人に声をかけようとして足を踏み出しかけるも、後ろからウィリアム兄様に「お前、まだこんな所にいたの?」と呆れたような声が投げかけられた。


「ウィリアム兄様?」
「そろそろ夕食の時間だろ。ほら、あっち行くぞ」
「…、あ」


ぐっと手首を掴んでズンズンと歩を進めていくウィリアム兄様が、舌打ちをしてから言葉を吐き捨てる。


「あんな奴ら、目に入れないようにした方がいい。
アンダークラスの人間と仲良くしちゃダメだ」
「でも、もうモリアーティの」
「先生にも汚いモノ見せちゃったし、ほっんと最悪だよなー。汚いし、臭いし!
お母様に言って、この時間は別の場所を掃除するようにさせないと。
じゃないと、またお前の先生に嫌な思いさせることになっちゃうし」


メイドにも蔑むような目で見られながらホールに繋がる扉が閉められた時、玄関の床を拭き掃除していたウィルがそっと顔を上げた。



「……ルイス、貴族の子女に求められる資質とはなんだと思う?」
「美しさや、寛容でしょうか?」


バケツの中に雑巾を入れてギュッと強く絞りながら、茶色く濁った水がバケツの中に堪っていく様を見下ろし、目を伏せる。


「勿論それも一つかも知れない。
けどね、貴族の子女に求められる一番の資質は、相応の身分の出た血筋であること。
そして家を護り、子供を産むことなんだよ」
「…身分…」
「そう。貴族同士の婚姻は、そもそも身分差があれば認められないからね。
基本的な礼儀作法や手習い以外は詳しく教えず、箱庭の中で純粋培養していく。
貴族の娘は無知で余計なことをせず、ただ夫を立てる愛らしい天使たれ。と育てられるんだよ」


”そしていつか、良家の御令嬢として、めぼしい家に出荷されるように出来ているんだ。”


床の隅の土埃も綺麗に拭き取りながら、無感動な目でそう言い放つ兄の横顔を見ながら、ルイスは思った事をぽつりと口に出す。


「………まるで、家畜か何かのように言いますね」
「社会的な人権(地位)がなく飼われているという意味では、家畜と同じか。
食用に出来ないという意味では、家畜以下か」
「………」
「どちらにせよ、この歪んだ社会の弱者であることに違いはないね」


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