兄を殺した日


※ウィリアム誕生日上げに間に合わず、プライベッターにあげたもの。
主人公13 ウィリアム推定15~16


「誕生日おめでとう、ウィリアム」
「「おめでとうございます」」
「ありがとう」
「今夜は、一応それなりに豪華な晩餐にするつもりだけれど……本当に家族だけの祝いで良いのかい?」


イースターホリデーの短い学業休暇。
ロンドンのモリアーティ邸に集まった兄妹面々で、朝に顔合わせをしながらウィリアム兄様の誕生日を祝った。


「一応、対外的にはウィリアムの誕生日になっているのだし、せめてイートンや大学の友人の何人かでも今から声をかけてみてはどうかな?」
「今日は兄さんに新しい人生を頂いた日ではありますが……後の計画の事を考えると、あまり学内の交友関係は広げるべきではありません。
言葉をかけて貰うだけで十分です」


そう淀みなく言い放つウィリアム兄様を前に、アルバート兄様とルイス兄様は困ったように目を合わせる。


「兄さん、せめて食べたい物はありますか?」
「そうだね。ルイスの手作りの物なら何でも美味しいよ」
「……何でも」

「何でもですか…兄さん」と困った顔をしたルイス兄様を見て笑っているのは、少し意地悪だな。とも思う。
皆の朝食をルイス兄様と手早く片付けて質素な黒いドレスを纏っては、それを隠すように淡い色のコートを羽織って小さなバックを手に階段を降りていく。


ふと、途中ですれ違ったアルバート兄様に呼び止められた。

「アメリア、何処かに行くのかい?」
「少し買いたい物があるので、街に出てきます」
「独りじゃ危ないよ。ウィルの誕生日プレゼントを買うなら、付いて行こうか?」
「ウィリアム兄様への誕生日プレゼントなら、実はもう買ってあるの。
他は自分が欲しい流行りの物とか……可愛い物を」
「ウィンドウショッピングなら、尚更だよ。好きな物を買ってあげよう」


視線を下に泳がせてから、アルバート兄様に手招きをすると「ん?」と小首を傾げながら身体ごと傾けてくれる耳にそっと「レディー用の下着よ」と囁くと眉を下げて気まずそうな顔をした。


「気が利かなくてすまない。好きな物を買っておいで。足りなければ、小切手に好きな額を…」
「ありがとう。でも、小切手は要らないわ」
「馬車呼んで送らせるから、あまり遅くならないように」
「はい、行ってきます」


本当は歩いて目的の場所まで行こうと思っていたから、馬車を呼んで貰えて良かった。と胸を撫で下ろす。
馬車が到着してから外に出ればいいと思うのだけれど、来るまでの時間を長く感じてしまい、敷地の外門の前でソワソワしながら何度も馬車が来る方角をチラチラと眺める。


四輪馬車がやって来るのが見え、外門を開けて出て行こうとすると、後ろから呼ぶ声が聞こえて振り返った。

そこには、黒いコートを羽織って貴族の子弟だとパッと見で分かる上等なジャケットと帽子、ステッキを持ったウィリアム兄様が玄関から駆け寄ってくる。


「アメリア、僕も一緒に乗っても?」
「ウィリアム兄様は何処に行かれるの?」
「ええ、欲しい本があるから中心街の本屋に」
「なら、途中まで一緒ね」


ニコニコしているけれど、少し髪が乱れているから急いで準備したのだろう。
てっきりアルバート兄様にでもお願いされて付き添い役を申し出たのかと思ったけれど、ちゃんと別の目的があると言うことに心の中でホッと息をつく。


兄達には、今日の本当の目的地はあまり知られたくなかったから。


「じゃあ、ランチの時間辺りに迎えを来るようにしておくから」
「はい。では、また」


ロンドン市街の貴族令嬢たちがよく利用している服飾店の前で馬車を降り、馬車が路地を曲がって見えなくなったのを確認してから身を翻す。

服屋には入らず、目についた花屋に入って店の人に花束を一つ見繕って貰ってお金を払った。

その花束を持って、ある場所へと足を向けた。











火事のあと、廃墟となった旧モリアーティ本邸。
焼け落ちた後は全く人の手を入れていない為、何も無く砂地だった本邸の前の庭は雑草が生い茂って私の膝くらいの長さまで伸びていた。


敷地に入る時、羽織っていた淡い色のコートを脱いで腕に持ち、喪服を模した黒いドレスになって花を携えて敷地の中へ入り込む。

今はモリアーティ家の人間はいないけれど、屋根も何も焼け落ちてしまって雨風を凌ぐ事が出来ないからか、浮浪者が住み着いたりはしていないから変に荒れている様子もない。

黒いドレスに草がまとわりつくのを手で払い退けながらザクザク進み、ただの廃墟になっている建物を、中から見上げる。

大破して青空が見える穴の上には、カラスが巣作りをした痕跡があり、時間の流れを感じて小さく笑った。


焼け落ちて崩れた壁の隅に近寄り、瓦礫の山の上にそっと花束を供えた。
そして、数歩下がってからニコリと笑みを作る。



「お久しぶりです。“ウィリアム兄様”」


あの日見殺しにした、血を分けている本物のウィリアム兄様。
13歳の誕生日の夜に炎に包まれ、此所で亡くなった。

あの日、痛みに苦しんでいたのに、更に炎に身を焼かれて、誕生日の朝を迎えることが出来なかった兄。

そして名前も、存在も、何かもを別のヒトに奪われた、ヒト。



「私、もうあの日のお兄様よりも何日も……何ヶ月も、歳上なんですよ」


身長だって、もしかしたらあの日のお兄様よりも大きいかもしれない。
あの日歩みを止められた兄様の時間を、私はもう追い越してしまった。



もし、あの夜ウィリアム兄様があの部屋に行かなければ。

もし、私がこっそり医者を呼びに行けば。


……、わたしは。



「……何度考えても、あの日に、後悔を感じていないの。酷い話よね?」


遺体は此所には無い。
けれど、あの日、私は確かに兄を見殺しにした。

墓地に向かってもいいけれど、そうなると少し郊外に出ることになるし、遺体は眠っていてもその墓石に刻まれている名前は、“ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ”じゃない。

それに、死んだ兄の墓参りを毎年隠れてしているなんて、その兄を殺した他の兄達への当てつけになってしまうのではないかと思って、いつも隠れて来ていた。


でも、とうとう私は13歳の誕生日を通り過ぎてしまった。


兄様たちの“本来の計画”では、私も一緒に炎に焼かれて死んでいる予定だったのに。
無様にも、ずる賢く、生き残ってしまった。


「でも、わたしね…」


ガサッと草を踏んだ人の気配を感じ、ハッとして後ろを振り返ると、瓦礫の奥から金色の髪が観念するように顕れた。


「様子が少しおかしいのが気になってね、後を付ける真似をしてごめん」
「ウィリアム、兄様」


帽子を取りながら申し訳無さそうに目を伏せる姿に、怒るに怒れず、小さくため息を吐く。


「毎年この日はこっそり理由を付けては独りで出かけている様だったけれど、墓場には向かっていないから、多分此方に来ているんじゃないかと思って」
「本当なら、私もお墓で寝ている筈だったのにね?」
「……アルバート兄さんは優しいから。
これから僕たちが歩む茨道に、君を連れて行くことを躊躇ったんだ。
だから、あの日、眠っている間に何もかも終わっている方が、君にとっては幸せだろう。とも言っていたよ」


赤い瞳が少し戸惑いの色を覗かせているのが珍しくて、こんな弁解をさせてしまっているのが申し訳なくて、カラリと笑った。


「慰めなくても良いわ。足手纏いだった自覚はあるの。
私はウィリアムお兄様に嫌なことも沢山言われて、酷い事もされたこともあるのに、
本当の意味で嫌いになることは出来なかった。これが家族の情なのかもしれないわ。
でも、その反面で兄様は殺されても仕方ないとも思っているの」
「……」
「ウィル兄様やルイス兄様、使用人たちを苦しめている母様やウィリアム兄様の姿は……凄く、嫌だった。母がいながら、違う女性を囲って愛している父も。
そんな2人から産まれた私の中には、硫黄の血が流れていて、産まれながらの悪魔なのかもしれない」


私のような悪魔は、炎に焼かれて死んでいた方が良かったのかも、と思う瞬間があるのよ。
今日、とか。


呟くような声を拾ったウィリアムは、「あぁ」と少し腑に落ちて声を漏らす。
目の前にいる少女は、あの事故を通じてPTSDの一種であるサバイバーズ・ギルト……サバイバー(生存者)症候群になっているのだろうと。


戦争や災害、事故、事件などに遭って奇跡的に生還した人間が、周りの亡くなった人間と生き残った自分を比べて、感じる罪悪感。


それが、この誕生日と一緒になった命日をトリガーにして、フラッシュバックしているのだろう、と。


(……やっぱり、盛大な誕生日にしなくて正解だった)

ウィリアムがひっそりと息を漏らすと、廃墟の瓦礫にステッキを立て掛けてそっと歩み寄る。
小さく蹲った背中を後ろから包み込むように抱き寄せ、右手の上から手を重ねてギュッと握り込む。



「加害者の僕が言うのはおかしい話ですが、独りで思い悩まず、話したい時はいつでも話を聞かせてください。
それに二人の時は、僕のことをウィリアムと呼ぶ必要はありません。
君にとってその名は、血を分けた兄の名なのだから。人前だけで良いです。
僕の本当の名前でもありませんし」
「……じゃあ、何て呼べば良いの?」
「僕自身もあの日に死にました。だから…そうですね。ただのウィルで良いです」
「“ウィル”は、この罪も罪悪感も全部、一緒に背負ってくれるの?」

「僕だけでなく、アルバート兄さんもルイスも……あの日からずっと。
家族で、共犯ですから。いつだって、僕たちは手を差し伸べ続けます」
「……ありがとう」
「僕たちは、もう少し……話し合っておくべきだったのかもしれない。
そうでなければ、君にそんな苦しい想いをさせずに済んだのかもしれないのに」
「そんな苦しくはないの。ただ、今日だけは少しだけセンチメンタルな気分になってしまっただけ」


亡くなった兄が迎えることが出来なかった日を、私は何事も無く迎えることが出来てしまったから。


(ただ、それだけのこと……だけど)


言葉にしなくても、聡いこの人は全部分かってしまっているのだろう。と小さく息を吐く。


「全部僕のせいにしてしまって構いません。
憎んで貰ってもいい。それが、君が立ち上がるための力になるのなら。
まだ、僕は君に殺されるわけにはいかないけどね」
「……ウィルは、優し過ぎるのよ」
「そんなことはないよ。どちらかといえば、聞き分けが良い君の親切に付け入ってしまおうとしている」
「そうやって……いつもいつも自分の方が悪い様に振る舞わなくて良いの。
あの夜、私達兄妹は、あなた達を選んだことに変わりないから。
何度も言うけれど、後悔は無いの」


名前と共に命さえも奪われてしまった、もう一人の兄。

もう、呼ぶことは二度と叶わないだろう。


抱き締めている腕を軽く擦って離して貰うと、立ち上がりながらウィルの腕を引く。


「もう、此所には来ないわ。
だって此所はただの廃墟で何も残ってはいないし、私たちにとっての“ウィリアム”はもう、たった1人しか居ないから」
「…そう」
「それに、憎しみなんて無くとも私は1人で立てるわ。
他でもない私自身が、選び取ったの。ウィルとアルバート兄様やルイス兄様。私の大切な人達のいるところが、私の帰る場所であり、家だから。
私達は、血筋なんかよりも強い絆で結ばれた、家族だもの。
だから、一緒に帰りましょう」


ギュッと腕を抱いて見上げた赤い目が、眩しいものを見るように柔らかく細められる。


「僕は、君のそういう所を凄く好ましいと思っているよ」
「あら、嬉しい。私もウィルのことは好きよ」
「兄様、とは呼ばないの?」
「今のウィルは、私の兄では無いもの。家に帰ったら、ちゃんと呼ぶから。心配しないで」


ウィリアムの持ってきたステッキを掴んで渡し、ふと一瞬だけ背後の花束に目を向け、そのまま振り返らずに元歩いてきた道を、2人で戻っていく。



さようなら、もう1人の兄様。









「あ、帰りに下着屋と雑貨店に寄らないと」
「僕は外で待っているよ」
「ダメよ」
「………本気かい?」


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