胡蝶の夢


「……あ…」


目覚ましの音と共に頭が覚醒し、ひらけた視界いっぱいに拡がったのは見慣れた筈の自室の白い天井だった。


自分の部屋の天井なのに、何だか妙な違和感が拭えなくて何度かパチパチと瞬きをして身体を起こす。


ボーッと眺めている部屋の中は、音楽さえ出来ていれば良いから。と音楽に関する楽譜や本が平積みされてる。
常にカーテンを閉めっぱなしの部屋の中は少し埃っぽい匂いがする。


(……何だろう。何か、忘れているような…?)


違和感の元を探すように部屋を見渡すと、ふと卓上のカレンダーが見えて学校のことを思い出し、クローゼットの中から制服を取り出す。

簡単な朝食を押し込んで身支度を整えていると、ちょうどいいタイミングでピンポーンと家のチャイムが鳴らされた。
机に置きっぱなしの携帯を取りに行き、パタパタと早足で玄関に向かって鞄を手に引っかける。


「おはよ、千空」
「よぉ」

マンションの柵に寄りかかりながらスマホを弄っている幼なじみの千空に声を掛けると、触っていたスマホをズボンのポケットに押し込んで歩き出す。


マンションのお隣さんということもあり、小学生の集団登校の時からの流れで(日直とかでない限りは)ほぼ一緒に登校していた。
たまに気分で「先に行ってるよー」という時もあるけれど。

小中高、とずっと一緒だった為、習慣化してしまったのもある。


登校途中で合流した大樹に「おはよう」と声をかけ、クラスメイトと二人で歩いてる杠にも「おはよう〜!」と笑いながら手を振る。



高校になって久々に同じクラスになり、たまたま隣の席になった千空と並んで座って授業を受けては、あっという間に昼ご飯の時間へとなっていく。


仲の良いクラスメイトの女の子達に「ご飯食べよー?」って言われたけど、弁当を持って教室を出て行く千空の後ろ姿が気になって、「ごめん今日はちょっと別でも良い!?」と声を掛けて、間延びした返事に手を振って応えながらその背中を追いかける。


昼ご飯になってごった返している廊下の波の中を縫うように歩き、白菜のような緑を追いかけ、制服の上に羽織ってる白衣を引いた。


「う、お!?なんだよ!」
「今日、久々に千空と一緒にご飯食べても良い?」
「……ああ」


科学部の部長である千空と一緒に訪れた科学室で、大樹や杠、科学部員たちに混ざって、昼御飯を食べた。

みんなと他愛もない話をしては、怪しげな科学実験で色んな飲み物やちょっとしたお菓子を錬成する千空は、いつも皆の注目を浚っていく。

口は悪いのに人一倍みんなを喜ばせるのが好きだから、いつの間にか人に囲まれながら皆の笑顔の真ん中で笑ってる。


そんな千空を、いつも尊敬と羨望の目で見ていた。



…………だけど、やっぱり何だか、何かが引っ掛かる。


その何か。をうまく言語化出来なくて、ため息をついて宙を眺めていると千空が「なぁ」と声をかけてきた。


「体調悪ぃなら、早退しろ」
「大丈夫だよ」
「んなわけねェだろが。テメェは気ぃ抜くとすぐ悪化すんだからな。つーか、内服は飲んできたのか?」
「…飲んでないよ?だって、もう必要ない…って……あれ…?」
「はぁ?何言ってんだ」



突然後頭部がズキズキと痛くて、頭を押さえる。
なんか、忘れてるような……?

心臓の拍動に合わせてズキンズキンと痛む頭に、視界がチカチカと明滅する。


「ごめん、ちょっと頭がいたくなってきて……」
「おい……大丈夫か」


心配するような千空の手が片庭町触れた瞬間、白く明滅する瞼の裏の中で、目が潰れそうな程緑色の光が目映く光ってハッと息を飲む。


「……あ、ぁ……っ!」


一度だけ経験した、強烈な光。

あの時、一瞬にして私達の文明を呑み込んで滅ぼしてしまった、忌まわしい光。

それが、目蓋の裏を激しく焼くように光って、光の中で周りの皆の影が、硬く動かぬ石へと変わっていく。

緑の光が途絶えると、唐突に光も音も振動も感じない真っ暗な無の闇の中に放り出され、身動き出来ず声も出ない恐怖に気が狂いそうになる。



やだ、

いやだ!!



”また数千年間、独りぼっちなのは、イヤだ”














「……ハッ、!ハァッ」

再び瞼を開いた先には、木目のある低い天井が拡がっていて、ハァハァと荒い息を零す。

見たことがある天井を見上げてボーッとしていると、少し不服そうな顔をした千空の顔が覗き込んで来る。



「っビックリ…したわ。目ェ覚ますんなら、もう少し静かに起きろ」
「せんくう…?なんで…?」



頭を動かすと、ぬるいものがベシャリと額から滑り落ちた。


息が熱い。

いや、からだ全体が熱い。

なにこれ。
頭もぐるぐるしてるし、気持ち悪い。


(風邪、ひいてる…?)


額から落ちたタオルを拾った千空が、氷の入った桶にタオルを浸してはギュッとしぼり、また額に乗せられる。
頭の下には、氷の入った氷嚢が置かれていて、上と下からじんわりと冷えてくる感覚に熱い息をゆっくりと吐いた。


床に直に布団を敷いて寝ており、傍にいた千空が胡座をかいて書類に目を通しては、付きっきりで看病をしてくれていた様だ。

ふと左手が妙に温かいなと思って視線を向けると、千空の服を握り絞めながら眠っていた事に気づき、ぶわわと頬が熱くなる。


「ヤな夢でも見たか?」
「……現代の、ゆめ、みた」
「ああ…そうか」
「朝起きて、学校いって授業を受けて、友達や千空と話して、ご飯食べて、そんな日々は……もう、無いんだね」


ポロポロと出てきた涙が、枕に吸われていく。

眉間にしわを寄せて難しい顔をした千空の手が伸びてくると、ぐしゃぐしゃと少し雑に頭を撫でては、小さくため息を漏らす。


「風邪ひいて、弱気になってるンだろ。好きなだけ泣いとけ」
「…………」


その言葉に、ボロッと大粒の雫が目尻を滑る。

数ヶ月しか過ごせなかった高校生活だった。
短い間だったけど、そこそこ気の合う友人も出来たし、あんな日々がずっと続いていくものかと思い込んでた。
もっと………満喫しておけば良かったのに。


友達も、先生も、近所の人たちも、
もう会えないかもしれない。

「…………もう、皆に、会えないかも知れないんだ」
「でも、俺はいるだろ」
「……うん……」
「まあ、俺だけじゃなく、大樹や杠だっているが。
そして、今はゲンやコハク、石神村や司帝国の奴らもな」

もし石化光線が無ければ、あいつらは産まれなかっただろうし、俺たちとあいつらが出会うこともなかった。


そうだろ?



「…………そうだね。
コハクやルリたちに会えないのは、イヤ……だなぁ……」
「ああ。それに、今は会えない連中にも、いつか会う方法、見つけてやる」
「ほんと?」
「ああ。頭脳担当は俺だろ。
だから、テメェは小難しいこと考えずに寝て、風邪細菌ぶち殺しておけ」
「うん……。ありがと、千空」

たちの悪い風邪に当てられた赤い顔で笑っては、千空の服を離さないように握り直して目蓋を閉じた。


今度は、緑の光は見えなくて、スッと穏やかな夢の世界へと飛び立っていく。
それを見送った千空がふっと表情を緩めた時、部屋の下から人の気配がして、ひょっこりと白と黒のモノトーンの頭が覗く。


「話し声した気がしたけど、幼馴染みちゃん起きた?」
「いんや、今二度寝した」
「そっかぁ、残念」

ゲンがハシゴを降りて下の部屋に戻っていくと、コハクの元気の良い声と「起きたのか!?」「寝たってー」という呑気なやり取りが耳を擽る。

今度はコハクがギシギシっと音を立てながらハシゴを登ってきては、ひょっこりと顔を覗かせてニッコリと快活に笑う。


「早く元気になるんだぞ。皆が待っているからな」

スッと音を立てないように扉を閉めて下に戻っていく姿を見送って、肩の力を抜く。


持病の影響で使える薬に制約があるせいで、下手に薬を使えないから、免疫力で乗りきるしかない。
何人か交代で看病をしているうちに、村の住人たちもがあんな風に顔をチラリと覗きにきては、帰っていくのだ。


ルリや子供たちも心配している。
もし、このまま悪化して肺炎などになってしまったら、
自分と同じ苦しみを味わうかもしれないと、不安に感じてるらしい。

いつの間にか司帝国の方にも体調不良のニュースは届いており、今朝速達で食べ物や布とかも大量に届いた。
滋養の為か、やけにジビエが多いのも気になる。


そして、何処から聞き付けたのか、海外のファンと名乗る連中からのFAXやら、モールスも飛んできていて、クロムはそっちの対応にも追われている。

この石の世界では、現代の時よりも人間の輪が狭い分、人と人の繋がりが厚い。

誰か一人の為に、皆で考えて、皆で助け合う。
手と手を取り合い、大きな単位の家族のように、当たり前に心配して、看病もする。


現代では少し希薄になっていた関係性の輪が、強く、温かくはっきりと繋がっている。


今度こそ目が覚めれば、夢なんかよりもずっと眩しくて明るい現実が待っているんだ。


「………ったく、馬鹿の風邪は長引くっつーが、見事に全方位に心配かけさせやがって。
とっとと元気になって、戻ってこい」





2021.11.16 作成
2023.04.20 編集

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